グッ○ライフ

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 テレビドラマ『グッドライフ』の初回を見た。何でもわかったつもりの男が、身近で大切な人のことをぜんぜん見ていなかったし分かっていなかったという話は、自分に照らしてみて、痛かった。
 私と妻はそれでも、私がこのブログを始めたころからずいぶん変わったように思う。
 そのころ私にいろいろ声をかけてくださった方とは、お付き合いの切れた方もたくさんいるけれど、いろんなことを気づかせていただいて、本当にありがたいことだった。
 
 娘が出産のため里帰りしてきて、我が家の生活も少し変わってきた。これで孫が生まれたら、私たち夫婦の生活はまたどう変わるのだろう。
 心配性の妻は実父のことも合わせて考えて、胃が痛くなるような思いをしているようだけれど、私は例によってぼんやりと先のことを思い浮かべているだけ。
 結局のところ娘の婿殿にお願いするしかないのだと思っている。
 しかし、なるほど私たちも妻の実家や、遠方だった私の今は亡き両親にずいぶん心配をかけていたのだったなと思い知る。
 
 娘に続いて、息子のお嫁さんも懐妊した。秋に出産の予定なのだが、息子からはほとんど情報が届かない。
 そちらも気にかかるのだが、手が出せない。
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 ここ数日の中では一番寒いけど、それでも震え上がるほどのことはない夜の10時に、帰宅する道すがら月を見た。
昨夜が十五夜だったそうだけれど、激しい雨で見えなかった。今夜の月も丸く明るく中天に懸かって明るく静かだった。
 東北では嵐だというのに。

 その月の下で、車で帰りながら、栃木の事故を思い出した。私も、この車で一瞬居眠りをし、道端の立ち木のゴツンと当たった。
 高い修理代を払ったが、人は傷つかなかった。
 私が人を傷つけなかったのは、ただの偶然に過ぎない。それを思うと、心が凍るような恐怖感がわいてくる。

 自然に対しても、人間が作り出したものに対しても、畏れの気持ちを忘れずに生きたいと、今は強く思う。


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日は出で日は入り…

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 今年度の、正規の仕事始めの日です。
 変わり映えはしなかったけれど、取り敢えず元気にやってきました。
 
 昨日から読んでいた『包帯クラブ』をついさっき読み終えました。
 映画化されたことは知っていたのだけれど、どんな話かまったく見当がついていませんでした。

 9日に里帰りしてきた娘が図書館に行きたいというので、昨日ほかの用事のついでに乗せて行きました。用が済んだ後図書館に寄るからと言ったら、少し運動も必要だから帰りはゆっくり自分で歩くよという返事でした。
 それでも一応寄ってみたのですが、娘の姿はもうありませんでした。その娘を探すので、普段は行ったことのない、閲覧室の奥まったところの書架まで入ってみました。そこは児童書の部屋とは別のジュブナイルを集めたコーナーでした。そこで、『包帯クラブ』見つけて、ためしに借り出してみたのです。

 先日読んだ辻井喬『私の松本清張論』も、久々に気持ちの高ぶる本でしたが、『包帯クラブ』も、なんだか無性に面白くて、みんなに薦めたくなるような本でした。
 でも、誰もがそう思うかどうかはわかりません。

 世間のことはいらいらすることがたくさんあります。
 帰ってきた娘と、そのことで二度も激論を交わしました。私たちの、世間に対するスタンスにはいつの間にか大きなずれが生まれていたようです。
 今日から実家に行く妻は、今朝の私と娘の口論めいた議論を聞いて、本当に悲しそうな顔をしました。

 でも、妻のいない今日の午後、私たちは何時間もしんみりと妻や、娘のだんなやその家族のことを話し合い情報を交換し合ったのです。
 
 世間の出来事についての不安や不満は、ゆっくりと考えることにしましょう。
 娘の子どもが生まれるまでの一ヶ月余りを、大声の議論ですごすのは余りいいことではなさそうです。
 それでなくとも彼女はナーバスになっています。
 
 『包帯クラブ』は若者向けの小説ですが、人を傷つけたり人から傷つけられたりする人間群像のあり方は、年寄りにもそのまま当てはまるような気がしました。
 そして、この小説のおかげで、私は心が少し和んだのです。
 
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幼稚園に入ったころの思い出

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ちょくちょくお尋ねしているブログに登場するお嬢さんが幼稚園に入園。
私の娘が出産のため一昨日から里帰り中なので、ことさら小さな子の成長と奮闘振りが気にかかる。
お母さんの心配もご本人の緊張もなんだかありありと見えてくるようで、ほほえましかったり、かってにどきどきしたり。

自分のことを思い出した。
幼稚園の送り迎えは、小さな弟が二人もいたので、母ではなく祖母がやってくれた。
初めのころだったと思うのだけれど、教室の窓の外、廊下に見える祖母の顔を何度も確認していた。そのうち、先生に、みなさん机に顔を伏せて目をつぶりましょうといわれて一生懸命そうした。後で祖母が母に「本当に寝てしまったみたいだった」と報告しているのを聞いて、ずっと一生懸命我慢していたのにと、少し恨めしく思った。

迎えがこなければ帰れないのだとわかっていたので、幼稚園での時間が長くなっても何とか我慢した。そのうち、幼稚園での時間が苦にはならなくなったような気がする。

「皆さん、昨日のお休みの日にあったことを話しましょう」と言われて、自分の話す順番が来たとき、みんなが騒いでいる前に立ったら何もいえなくなってしまった。
今はそうなった理由がわかっているのだけれど、そのときはなぜ言葉が出ないのか自分でもわからなかった。
実は、話したいことが少し複雑すぎて、すぐにうまくは言葉にならなかったのだ。
たまたまその直前の休みには家族で電車に乗って少し遠くの都会まで出、買い物をしたりご馳走を食べたり、年に何度もない非日常的なことをした。
川でめだかを取りましたとか、お兄ちゃんとボールをけりましたとかいうような、単純なことではなかったのだ。
立ち往生をしているうちに、みんなが騒ぎ始めて、とうとう私は黙り込み石になってしまって、先生がいろいろ水を向けても何もいえなくなってしまった。
私の人生の中でも、もっとも不本意な瞬間の記憶のひとつである。

卒園式には代表としてお話ができる位物怖じもせずおしゃまな子どもとして、周囲には記憶されていたので、そんな風なことがあったことは、私以外に家族も知らなかったように思う。

ああいう思いを、娘のおなかにいる子もしながら育つのかと思う。
子どもを育てるときにはそんな感じ方はあまりしなかったのだが。




ささやかなフェスタ

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 地域の公園で「桜フェスタ」が開かれた。
 私が手伝っている文化サークルも招かれて、野外舞台でちょっとした公演をした。
 
 昨年は桜も満開でかなりの人出があり、いろんなサークルや団体の露店が並んで賑やかだったが、今年は天気も悪く、桜も五分咲きでちょっと雨もぱらついていたし、何よりも一週間前まで開催そのものが危ぶまれていた。

 結局、チャリティーの趣旨で開催された。

 人では昨年より格段に少なかったが、集まった人々は客もスタッフもなんだか少し救われたような顔をしていたように思う。

 何とか動き出したいとみんなが思っているのだ。

 とりあえず無事に終わりほっとして家に帰ったら、地震や津波から何とか逃れたお年寄りが、十分な介護や看護を受けられずに避難所などで亡くなっているというニュースを聞いた。

 私は明日から、今年度の仕事が始まる。
 

 
 仙台の知人に電話をしました。
 
 40年前、たまたま一緒にこの町で就職して、以来10年間友人として付き合いました。
 彼は、ふるさとの仙台に帰り、年賀状だけの付き合いになりました。
 10数年前に、この町で暮らす共通の友人が事故で死んだとき、電話で知らせました。受けこたえの口調がそっけない気がして、余計な電話だったかなと思いました。年賀状だけの付き合いは同じでも、少し気持ちが間遠になったような気がしました。
 それ以来の電話を、震災直後からずっと気になっていたので、昨日思い切ってかけることにしました。
 その前に、パソコンの中の住所録を開けて住所を確認し、グーグルマップにかけてみました。新聞で、グーグルマップが被災地の写真を更新したと書いてあったからです。
 彼の家が地図上にピンポイントで示され、そのあたりの家が整然と並んでいる様子が航空写真で見て取れました。
 しかし視点を海際に移すと、数キロほど移動したあたりでは、津波が町を破壊した様子がありありと見えてきました。
 
 すぐに、彼の声が聞こえました。
 私の名前を言うと、一瞬だけ私の名前を彼の脳内で確認するための時間がかかったような気がしました。
 「ああ、どうも」
 「どうですか、そちらは」
 ちょっと間の抜けたやり取りから始まって、いろんなことを聞きました。
 彼とその家族は無事だったこと。自宅もさほどの被害は受けなかったこと。釣りが好きだった親しい友人が、退職後に海際にわざわざ建てた家で、今回亡くなったこと、自身のとき彼は実家にいて、その場所は地震の揺れが強くて屋根が落ちたこと。前日までその実家にとどまって、後片付けや家の修理に対応していて、自宅には帰ってきたばかりだったこと。留守電にたくさんのメッセージが入っていて、昨日一日その人たちと電話で連絡を取りあっっていたこと。
 そして、毎年、夏には10数年前に事故で死んだ友人の墓参りに、この町に来ていたこと。
 
 その話をはじめて聞いて、突然、彼が普段から寡黙で話し方に感情が出にくい人物だったことを思い出しました。
 友人の事故の話を知らせたときの彼の反応は、ことさら無愛想だったわけではなかったと、わかったのです。

 自分の身の回りもすこし落ち着いたし、何か地域の手伝い仕事でもしようかと思っている。
 そういう彼の言葉を聞き、今年の夏には連絡するから会いましょうといわれて、携帯の電話番号を教え、少し元気な気分になれたなと思いながら電話を切りました。