モニタリング

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 モニタリングという言葉を何十回と聴いた。
 「経過を見守りたい」と言えばすむことではないか。
 しかし、そういえばどのような姿勢で、何を言っているのかが余りにもあからさまになるから、モニタリングと言う。
 
 気がつけば、私たちもずいぶんの時間、彼らをモニタリングしている。

 私の周りには、なにやら気詰まりで気落ちをした雰囲気が漂っている。
 被災者に対して、平穏であることが申し訳なく、無為であることがやるせないのだ。
 
 その一方で、災害が起こってしまった出来事なのではなく、今なお起こりつつあるのだということが、不安をかきたて、被災地への心をひとつにした支援の手を鈍らせる。

 そんなときに、モニタリングなどという言葉は、本当に聴きたくない。

 
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菜種梅雨

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 ここ数日、冷たい雨が断続的に降った。
 菜種梅雨というしゃれた言葉を思い浮かべたが、岩手から福島にかけての人々の生活を思ったら、そんな言葉を使うことさえ、ためらわれた。

 四月から、また一年仕事を続けることになった。その上、四月の第一週には臨時の手伝い仕事が飛び込んできた。
 地震のこともあったし、3月半ばに一年間の仕事が終わってから、なんだかぼおっとしていたけれど、もう新しい時間が回り始めた。
 そう思ったら、また3月11日で時間が止まっていしまっている人々のことを考えて、申し訳ないような気がした。
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怒りの島、か

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 あちこちで誰かが誰かをそしる声が聞こえる。
 でも、本当に怒りたい人怒るべき人の怒りの声は、ぶつける相手も見えず、あるいは見えてもぶつけるすべもなくて、私たちの耳にも届かない。

 

悲しみの

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 被災地の様子を報道番組で見る。助かった方の言葉が亡くなった方を浮かび上がらせて、ひときわ悲しくなる。
 ネットに戻ってニュースを読んでいたら、俵万智の歌に出会った。
 彼女のツイッターを覗いて、彼女が仙台に住んでいたこと、仕事で東京に出ていて地震にあったこと、仙台に残していた息子のことでひどく心配したが、何とか無事で、苦心して仙台に戻り子供をつれて「西に向かっ」たことなどを知った。
 俵万智が仙台に住むようになった事情がわかるかなと、Google検索にかけたら、思いがけず「林あまり」という歌人に出会った。
 
 直角に見下ろすかたち うっとりとしている男をあわれむような 
 舌でなぞるかたちも味もあなたは知らない わたしにはこんなになつかしいのに

 なるほど、こんな歌を作る人かと感心した。
 しばらくネットで彼女の作品を探してから、人が生きるということのありふれた営みを詠嘆することが、今はなんと幸せなことに思えるのだろうと、われに返って、改めて悲しくなった。 
 昼間テレビで見かけた男性はもう何日も廃墟の中で妻を捜している。妻の使っていた鞄は見つかったけれど、妻は見つからない。遺体安置所は20キロ先にあって、ガソリンがないのでそこまで行くすべがない。
このままもう会えないのか、遺体すら確認できないのかと、男性は地面にうずくまって泣き出した。

地震のこと

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 災害の大きさを見聞きするたびに、語るべき言葉もありません。
 人間の小ささ、弱さ、愚かさを改めて痛感し、その人間への愛惜の情を強くしています。
 
 自分が無事であったこと、親しい人が無事であったこと、身の回りで起こった小さな困難やトラブルを乗り越えられたことを喜ぶ気持ちと、そのことにさえ引け目を感じてしまうほどの、報道に見る無数の人々の苦しみと悲しみの現実。
 
 遠くのたくさんの人から、声をかけられました。何十年もその声すら聞いたことがなかったいとこと電話で話をしました。
 小さいころ私をかわいがってくれたオジキと、声も話し方もそっくりだったので、びっくりしました。

 10月に計画して、台風のため中止した同窓会を再度企画して、今度はこの地震のために中止しました。
 同じ日に、古い友人のお母さんが亡くなりました。
 地震の前日に「子供ができたよ」と知らせてきた息子も、産休目前の娘も、地震の日は職場に泊り込みました。
 人間の生活の日常は、こんなにも危うくてしかも、休みなく進んでいくのだと思いました。

 被災された人々に心からのお見舞いを申し上げます。

クローバー

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島本理生『クローバー』を読んだ。

仕事が金曜日で一区切りついて、帰りに図書館によって、これといったあてもなく借りた。
今朝、2時半に目が覚めて、もう一度眠るための儀式のように、風呂に入った。
風呂で『クローバー』を読み出した。

ほんの2・30分入っているつもりだったが、読み出したら、2時間あまりで全部読んでしまった。
20代の女性が書く等身大の世代の男女の揺れ動く恋の気持ちを、上手に書いている。

しかし私はそんなものを真夜中に面白がって読んでいて、いったい何をしているのかと、ふと思わないでもなかった。
それでも、この時間の、不思議に懐かしい気分は、まんざら悪いものではなかった。

どこかのカフェテリアから、通りを行く若いカップルをぼんやり眺めているような気分かもしれない。