時間の流れ

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 芥川賞受賞作品『きことわ』を、一泊二日の入院中に読んだ。不思議な読後感を味わったが、心の躍るような話ではなかった。
 
先日、大学時代の友人から、お孫さんの難病に母親であるお嬢さんとそのご主人、ご主人のご両親や友人夫婦などが一致団結して立ち向かっているとの手紙を貰った。その文面は40年以上前に彼が私に見せていた誠実でひたむきな生き方の面影をくっきりと残していた。
 別の日には、昔のクライアントと会って、とある喫茶店に入ろうと車を走らせたら、店はシャッターが下りたままで、白い告知文が張ってあった。
 「昭和51年開店以来お世話になりましたがこのたび閉店いたしました。…」と書いてあった。
 若く美しい奥さんと、無骨で寡黙なご主人とが始めた喫茶店で、開店直後から私は常連になっていたが、十数年前に職場が遠くなってからは、年に数回ふらりと入るだけになっていた。
 いろんな人と会ったり、たくさん本を読んだり書き物をしたりした店だが、最近は入っても客がいたことがなかったような気がする。
 
 そんな、時間の流れを意識する出来事があるたびに、『きことわ』の記憶がよみがえる。
 そうなってみて、20台半ばを過ぎたばかりの著者が、30年の時間の流れを脳裡で描き出す作業が、なかなかのものだったと気づいた。
 時間はひとつの方向にのみ流れているのではないという、作者が伝えたかったテーマがするりと心に届いた気がしたのだ。
 
 この実感を得てから、ネットで『きことわ』のレビューをいくつか目にした。思いがけず「つまらない」とか「がっかりした」「わからない」とかの感想が多かった。
 冒頭に書いた「心の躍るような話ではなかった」という、私の最初の読後感と重なった。
 私が、後になって何度もこの小説を思い出し、改めてこの小説とつながったのは、私が六十数年も生きてきたからかもしれない、と思った。
 そうだとすれば、この若い女性作家はずいぶんすごい人だと思った。

 たくさんの人と別れることが多くなって、作中の貴子と永遠子のように思いがけず再開することさえないだろう人々のことを、しきりに思い出す。
 今に始まったことではないのだけれど、『きことわ』が呼び起こした効果でもある。
 
 理由が分からず離れていった人のことがひどく気になった時期もあり、その痛みは時間とともに薄らいでも傷跡はずっと心に残っていたが、そういったことさえ、自分の気持ちの揺れ動きまで含めて丸ごと、映画のシーンを見るように思い出して受け入れることが出来る気がしてきた。


 
 

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蕗の薹

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 寒さが戻ったので、ダイニングの石油ストーブに灯油を入れるため、ポリタンクを持って家の裏に回った。
 給湯器用のタンクから灯油をポリタンクに移しながら、東側の窓の下に行ってみたら、雪ノ下にまぎれていくつも蕗の薹が出ていた。
 一週間ほど前、妻が摘んでてんぷらにし、今年はこれでおしまいといっていたのに、五つ六つほど出ていた。
 ポリタンクを持ち、台所に戻って、摘んだ蕗の薹をコップに入れておいた。春の香りがさっと室内に広がった。
 妻が今から顔を出して、どうするのと聞くので、蕗味噌を作るよと答えた。
 夕食後、黒味噌と赤味噌をあわせて適当に砂糖とみりんと酒で溶き、暖めながら、さっと湯通しして包丁でたたいた蕗と、指先で小さく砕いた胡桃の実を混ぜた。
 水気が多すぎてゆるいままだったが、あまり煮詰めずに火を止め、小なべから器に移しておしまい。
 わずかの分量なので、1、2度の食事でご飯に乗せればおしまいになる。
 それでも楽しみだ。

 ポリープは、一つ取る予定で施術室に入ったのに、内視鏡のカメラを見ているうちにその場で、二つ取りましょうということになった。
 いい加減な気もしたが、任せるしかないと、医師と助手のやりとりにには口を挟まず黙って聞いていた。
 切除は何事のトラブルもなく行われ、その後の経過も上々。

 それでも、こうした時間をすごした後だけに、issyuu 蕗の薹の色と香りは妙に新鮮だった。

 芥川賞作品。
 「きことわ」は手術前の待合室と手術後の病室のベッドで読了。
 ちょっと不思議な読後感の小説だった。まあ、新人賞らしい小説といえる。

 
老人とブログの海


 
 
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総合雑誌を買った

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 先日、行きずりのコンビニで総合雑誌「文○春○」の3月号を買った。
 芥川賞受賞の二作が全文掲載されているからだが、その日の朝目にした「文○春○、××年ぶりに増刷」という新聞記事に背中を押されて、ともいえる。
 今日からの一泊二日の入院にちょうどいいと気づいたのは、買ってしまった後からのことだ。
 一冊しか残っていない本で、裏表紙の角が折れているのが気になったが、「大型企画 秘めたる恋35」という表紙の文字にも惹かれて買ってしまった。

 芥川賞作品は、大腸ポリープを取った後、病院のベッドで読むことに決めて、「秘めたる恋」特集を少しずつ読んでいる。
 記事のほとんどが、出来事そのものは「秘められていない」誰もが見聞きしたことのあるスキャンダルの再録で、羊頭狗肉の感が強かったが、越山会の女王佐藤昭の(認知されていないが田中角栄の娘とされている)娘が立花隆のインタビューに答えている記事は面白かった。
 また、林葉直子が中原誠と不倫騒ぎを起こした経緯について書いているのも、率直な感じで面白かったのだけれど、今朝の朝日新聞に彼女が中原誠のことにも触れながらエッセイを書いているのを見て、なんだかおかしかった。

 この雑誌は嫌いなのだけれど、買ってしまうと案外あちこち面白がって読んでしまうのが、ちょっと悔しい。
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春の兆し

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 我が家の廊下で、今年初めてゴキブリを目撃した。
 温かくなったのだと実感した。
 
 しかもそのゴキブリはどういうわけか、勝手に仰向けにひっくり返ってもがいていた。

 かわいそうだが、重ねたティッシュペーパーでつまんで、ひねりつぶした。

本を読みながら

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 少し前に領家高子『言問』を読んだ。町の図書館の書架で見かけて、なにやら面白そうなので借り出したが、素材の面白さが生きていない気がして、残念な気分で読み終えた。
 返しに行ったときに今度は大西巨人『二十一世紀前夜祭』が目に入ったので借りた。これは面白かったけれどいささか難解だったり、知らないことが何の説明もなく書かれていて、頻繁に困惑した。
 収録されている最後の短編『あるレトリック』の中で、「中野(重治)は、ミヒャエル・コールハースともレーニンとも裏腹な道を行くことによって…」という叙述と出会った。
 「ミヒャエルコールハース」が分からなかった。しかし、そう遠くない時になにかの本で呼んだ気がした。出てきそうな本としてまず思い浮かべたのが、『1Q84』だった。しかし、その中でどんな風に出てきたのか、どうしても思い出せなかった。
 仕方なく、ネットで検索してみた。
 それは、『1Q84』よりずっと後で読んだ、大江健三郎『美しいアナベルリイ』に出てきた、この小説のキーパーソンとでも呼ぶべき、ヨーロッパ中世の人物だった.。

 読んでいたときはあれほど面白がっていたのに、ネットで検索するまで、私は『美しいアナベルリイ』を読んだことさえ思い出さなかった。


おつとめ品

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 「おつとめ品」という言葉に、ある方のブログで出会った。
意味が分からず、ネット検索。
意味が分かったら、以前にも同じように調べたことがあったかもしれないという気がしてきた。

知らなかったこと、忘れていたことよりも、本当に知らなかったのか忘れていただけなのかが分からないことが怖い。

節分のあたり

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 今日が節分、明日が立春。
 寒いが天気は良い。
 昨日は久しぶりに少し雨が降った。これからは雨が降るたびに春が近づいてくる。

 昨日から妻は実家行き。それでおとといの夜、一人で豆をまいていた。
 やらないと気がすまないから、と言っていた。

 相手にしないでいたのだけれど、「鬼は外 福は内」などとお決まりのせりふを言っているのがきこえた。
 余所行きの調子で、ちょっと声が裏返っている。
 
 その後私のところに来て、昔の思い出話を始めた。私が鬼の面をかぶって庭に出、息子や娘が窓から豆をぶつけたのだと言う。
 あっちだこっちだと、私が逃げた先の窓を見つけては、こどもたちは大騒ぎで豆をぶつけたそうだ。
 覚えているような覚えていないような。
 そんなこともあったかなあという程度の記憶だ。

 大西巨人『二十一世紀前夜祭』を読み始めた。面白い。

 先週、苦労して作った文化サークル機関紙が、「発禁処分」を受けた。
サークルの事務局長で機関紙編集長のM氏が電話をよこして、「あれは全面的に配布停止と言うことになりました。」という。彼が書いた総会の報告が、会の外に出すべきではない内部事情を含んでいて、まずいとクレームがどこかからついたらしい。
 私も気になっていた記事だし、原版を、誤植防止のために妻に読ましたら、「こんな記事を出していいの」と即座に彼女が言ったくらいだから、確かに誰が見ても問題な内容だった。私は、編集者ではなく版下作りの印刷屋と自分を位置づけているので、割付はある程度都合に合わせて行うけれど、字句の訂正は最小限にとどめ、内容については口を出さないことにしている。
 それでも印刷直前に、これもいいんですよねと確認は取った。彼は、ちょっと見当はずれの冗談を言って、何も問題はないと言う認識を示した。
 しかしやはりクレームがついて、印刷したものは全部廃棄処分になった。
 彼が、たいしたことではないという風な調子で連絡してきたので、さすがにむかついて、「あの新聞の原稿打ち込み、割付も版下作りもちょっと大変だったのですよ」と口にしてしまった。
 すぐに再発行したいようなことを言うので、「あなたの原稿しだいですけど、私も都合があるし」などといやみも言った。
 後で、風呂の中で考えた。
 失敗をして落ち込んでいる彼に、もう少し優しい言葉をかけるべきだったかもしれない。
 第一、原稿を渡された段階で、つきはなした態度をとらず、「これはまずいと思う」と、一度くらいははっきりいうべきだったかもしれない。
 
 私は、それほど遠くない過去に、自分が仕事の上でささやかな批判を受けて、わずかにだが責任も問われ、問題そのものの解決よりも、批判されたということそれ自体に、子どもじみて傷ついた記憶を思い出していた。