何を知っているか

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昨夜NHKBSハイビジョンが放送したビビアン・リーの評伝のドキュメンタリーを録画して、さっき妻に見せた。ビビアン・リーが、自分の夢は必ず実現させるという強い意思を持った女性だったと、ナレーションが語った。

見ていた妻は、「スカーレット・オハラそのままだわ」と手を打った。

私は「風とともに去りぬ」という映画の題も、「明日は明日の風が吹く」という、ヒロインのスカーレットの最後の有名なせりふも、意味も分からない子どもの頃から知っていたが、ついに映画そのものを見る機会は無かった。

妻は中学か高校生のとき、日本で何度目かの映画公開に合わせて全校で見に行ったという。
結婚以来何度も、「私が見た映画の中の一番をあげろといわれたら「風とともに去りぬ」ね。あのスカーレットの行き方ほど衝撃的なものは無かったわ。」という言葉を聞いた。
そして今夜もまた。

私は妻の中にある思いの何を知っているのだろうと、改めて思った。
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柿をつるす

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昨日、産直品の販売店で妻が大きな渋柿を買ってきた。12個200円だったという。袋に手をかけたら、顔見知りの店長が寄ってきて「奥さん、渋柿だけどご承知?」とわざわざ聞いたという。値札にちゃんと断わってあるのにとおかしく思いながら、「干してみようと思うの」と答えたら納得顔で離れて行ったそうだ。
妻が皮をむき、私が不器用な細工で糸を掛けた。
その夜、東京の知人から「今夏の猛暑のせいで柿がたくさんなりました。今日落としたので、よかったら少し送りましょうか」と、メールが届いた。「大好物です。もし送っていただけるのなら大喜びです」と返事をした。
楽しみが増えた。

老人とブログの海-干し柿作り

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晩秋の朝に

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いつもごみためのような書斎を年に一度片付ける日が近づいた。
ピアノの調律師が今週末にやってくる。

今朝もおきぬけの入浴を終えた後、重い気持ちを抱えて書斎に入った。
しばしぼんやりしていたた後、机の脇に積み上がったガラクタの中から、今年9月30日付けの文春を取り上げた。
どの記事が読みたくて購入したのか、今となっては見当もつかない。ゴミ箱に捨てる前に、ぱらぱらとページをめくっていたら川柳の投稿ページに目がいった。

 暑いなと云える妻亡き猛暑かな

という句が特選に入っていた。
そういえば今年の夏は暑くて長かったと、遠い日の話のように思い出した。

「暑いなと云える妻居る猛暑かな」と言い換えてみた。さらに、「冷えるなといえる妻居る秋の暮れ」と今の季節に置き換えてみた。
そんな風にしてみると、元の句の味わいがことさら身に染みた。
そして、とりあえず妻と暮らしていることの安寧にも、思いが至った。
一人で悦に入っていたら、いましがた妻がおきだしたもの音がして、ほどなく足音が近づき「風呂の脱衣所に脱ぎ捨ててある下着は昨夜着替えたばかりのものではないのか、あまり頻繁に着替えないで欲しい」と書斎の入り口から文句を言って、台所に戻って行った。

それでも、この川柳に出会えた僥倖を思い返しながら、古雑誌をゴミ箱に投じた。

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ここしばらく

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なにやら疲れが体の奥にたまっている。
10月末の金曜日には古い友人の葬儀があって、半日その手伝いをした。
11月の第一週と第二週は連続して週末に東京に出かけた。
そんなわけで、考えたら三週続けて、週末の一部を忙しく動き回っていた。
以前なら一日休みが取れればそんな疲れはすぐに無くなったのに、今は週末三日の休みが当たり前になっていて、その時間をマイペースで身の回りのことにかまけながら休まないと、てきめんに翌週に疲れが残るらしい。

そうこうしているうちにもう11月も半ばを過ぎた。
数日寒い日が続いている。

しばらく便りの途絶えていた友人からメールが届いたと思ったら、先日の友人の葬儀で何年ぶりかで会った知人から、二度三度と電話が入る。
葬儀の直後に、久しぶりに話をしようと言い合ったのに、妙に都合が合わずに会えない。
昨日の電話で、今日はちょっと無理をして、私の遅い出勤の前に、通り道にある彼の家の近くで少し話をすることにした。

桐野夏生『アンボスムンドス』を読んでいる。
その前に、桜庭一樹『青年のための読書クラブ』を図書館で借りて読んだ。読みながらずっと既読感に襲われていたが、(そして間違いなく一度読んでいるに違いないのだが)最後までプロットは思い出せなかったので、結局それなりに楽しんで読み終わった。

『青年のための…』と一緒に坂東真砂子『月待ちの恋』を借りてきた。図書館の開架式書庫を渉猟していたら、この作者の本が十冊ほど並んでいたので、以前に誰かが系統的に購入希望を出したのだろうと推察した。
名前に覚えが無かったので、何気なく一冊手にとって見たら、ぱっと目に入った挿入画が北斎の無修正春画だったので驚いた。
ぱらぱら開いていくと、オムニバス風の短編の冒頭にそれぞれ浮世絵の極彩色春画が入っている。
そういう時代になったのかと、感慨を覚えて借り出した。
それぞれの絵に導かれて(あるいは添えて)書かれた掌編はそれなりに達者だったが、らざらざらした舌触りの話が続くので、途中で読むのをやめた。
作者をネットで検索したら、直木賞作家で、別の事件でも名前の出た人物だった。その後作家活動も止まっていたのかと思ったら、ちゃんと活動は続いていたらしい。
図書館での書架の様子を見ても、それなりのフアンもついているのだろう。
妻にその作家の名前出してみたら、ちゃんとその事件と彼女の名前を覚えていた。

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マット

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昨日、帰宅したら玄関の上がり口のマットが変わっていた。
居間に行くと、妻がマットに気付いたかとしきりに言うので、「うん」と答えたが、なにやら不満そうでもっと感想を欲しがった。しかしどんな模様だったか、そのときはすでに記憶に無くて、何も言いようが無かった。
玄関脇の書斎に戻るときに見たら猫の後姿が並んでいて、なかなかかわいいなと思った。
やがて妻がわざわざ部屋まで来て、言った。
「真ん中に「タマ」がいるでしょう。店の前で見かけたとたん「買ってください」って言われたような気がして、迷わずに買っちゃった。」
二度目にマットを見たとき、もしかしたら彼女はそんな気分なのかなとは思ったが、言われてみて、妻の心の中にもあの猫が深く住み着いていることが、改めて分かった。
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文化の日

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月に一度か二度、思いついてSさんのブログを訪問していた。ここ一年ほどめったの更新されないので時々そうしていたのだ。
昨日、久しぶりにお気に入りをクリックしてみた。下のような画面が出た。
驚いたけど、以前からブログを閉じようと思っているみたいなことを書いていらっしゃったので、ああ、とうとう、という気持ちもした。
頑張る姿に励まされていたので、とてもさびしい。
でも、相変わらず元気で頑張っていらっしゃることは間違いないと思っている。
書かれていた記事に関係のある新聞を見たり歌手を見たり舞台を見るたびに、Sさんのことを思い出し続けることだと思う。

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