帰国しました

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29日夕方帰国しました。

暗くなってから家にたどり着きましたが、車を降りるなりどこからかニャーニャーと大きな猫の呼び声が聞こえました。部屋に入り雨戸を開けると庭の向こうの闇から白い猫が鳴きながら走ってきました。
紛れもなく我が家のシロでした。
餌と水はご近所にお願いして朝夕テラスの餌場においてもらっていたはずでしたが、部屋の中に飛び込むと、ひとしきりニャーニャー鳴いていました。
そのあと、しばらくして落ち着くと居間のソファーで体を伸ばして寝てしまいました。

もう一匹は明日の朝、病院のホテルに迎えに行きます。

旅の報告はおいおいここでさせていただきます。
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ようやく

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旅の準備が整いました。明日朝早く家を出ます。病気持ちの猫は夕方、行きつけの病院に預けました。診察室で現在の体調などを報告し、いくつかの確認ごとをして部屋を出ました。いつもの通院の際には、診察台に置かれている間は絶対に私と視線を合わそうとしない猫が、部屋を出ようとする私をじっと見つめました。小学生高学年のとき、母の実家に行った時のことを思い出しました。母は四国の海に近い町の農家で生まれて育ちました。何度か帰省した思い出があります。この年の帰省では、姉妹の多かった母は私と弟を連れて何軒か、近くの町に嫁いでいる妹の嫁ぎ先を回りました。兄は中学生だったのでついてきていなかったのかもしれません。年恰好の似たいとこのいるある家で遊びつかれて食事の後寝てしまいました。夜中に目が覚めたら、家の中は寝静まっていて、私の身近に母も弟もいないことに気づきました。しかし、別の部屋にでもいるのかと、少しは不安に思いながらもそう考えてまた寝ました。朝起きたら母と弟はいませんでした。私が寝た後、車で送ってもらって実家に戻ったようでした。大人たちは、私がいつまでここにいるべきなのかも、母や弟がどうしたのかも何も言いませんでした。私は私の身の回りの小物の入った風呂敷を大事に抱えて、部屋の決まった場所におき、後は何も聞かずにいとこと遊び大人たちの世話になりました。海で泳いだり花火をしたり、夜はいとこたちと雑魚寝をしました。しかし二日ほど誰も何も言わないまま時間が過ぎると、さすがに心が楽しまなくなりました。それを見計らったかのように、母の妹の夫が、私を母の実家に届けてくれました。理不尽な扱いを受けたという思いは長く心に残りました。理由もいわず、私の意見も聞かず、黙って姿を隠すなんてと思ったの言ったような気がします。それならなぜ二日も放っておいたのか、とまた不満でした。それでも、それを口にすることは自分の幼さを示すようなきがして、意地を張って私からは何も言いませんでした。猫をおいて帰る車の中で、長い間忘れていた遠い夏休みの思い出がよみがえってきました。妻の知人で、つい先ごろイタリヤから帰ってきた人がいるそうです。たまたま電話がかかってきたので明日から行くといったら、「暑いから覚悟をしていきなさい」といわれたそうです。
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今週半ばから

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ちょっと地中海方面に行ってきます。ローマとかベネツィアとか。

病気持ちの猫は病院に預けていきます。元気なほうは庭に出して、ご近所さんに毎日テラスの器に餌と水を入れて手もらいます。

三年前にはどんな気持ちで出かけたのかなと思って、ここ を読んでみました。

すっかり忘れていたのだけれど、やはり結構気をもんでいたのだと分かりました。
でも前回は、出かけるときは案外のんきに考えていたような気がします。
妻は、今回はなんだかもっと心配しています。

前回同様一週間の旅です。
行く前にもう一度ここに書きます。
そして、無事に帰ってきたら報告します。







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盂蘭盆会

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奥田英朗『ウランバーナの森』を読んだ。1997年刊行で、彼の第一作だそうだ。
その後の彼の作品の原型がちゃんとここにあって、面白かった。

このあたりでは、8月15日前後にお盆の行事をしているのですっかり忘れていたが、東京では昨日あたりがお盆の中日だったなと、今になって気がついた。

まったくの偶然だけれど、そんな昨日、夢中でこの本を読んでいたのも不思議な符合だ。

ちなみに、盂蘭盆会とはウランバーナの音訳だそうな。

夏の風

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第1クールの仕事が昨日終わった。

西日本からは豪雨の知らせが続いている。が、私の周りでは昨日今日と夏の気配。
さっき、農作物の産直店に行って赤紫蘇の束を買ってきた。
梅酢が上がった小梅を日に当ててから赤紫蘇をつけた梅酢につけ戻す作業を、この間から少しずつ進めている。

この一週間ほどの間に、半日日差しが出ればあわてて干したりしていたが、これからは落ち着いて干せそうだ。

東京遊び

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一昨日は、友人からの頼まれ仕事も自分の本来の仕事もほったらかして、東京に出ました。

三菱一号館美術館。それから、マリオン。
有楽町界隈で時間を過ごしました。

『マネとモダンパリ展』は急ぎ足で観ましたが、それなりに楽しい時間でした。
この間の『若冲展』を思い浮かべながら、遠く時間と空間を隔てた二人の、時代を切り開いた絵描きについて考えました。

『アウトレイジ』と『告白』を続けて観ました。
どちらの映画も、善人が出てこないで、なにやら狂気の沙汰の話ばかりで、そんな映画を続けざまに観た自分がちょっとおかしくて、笑ってしまいました。

映画はどちらも評判どおりの面白さでした。
突っ込みどころは山ほどあって、感動的な名画とはとてもいえませんが(作っているほうもそう言われることを望んではいないでしょう)しばらくはいろいろ思い返しそうな作品でした。

口直しにもう一本、と観おわった後一瞬考えましたがそのまま帰って、自分の町で酒を飲みました。

タケシの映画をちゃんと観たのは初めてです。
一瞬も退屈する時間がなかったし、話も単純だけれど、それなりに場面作りがひねられていて、面白かったです。

退屈しなかったのは、達者な役者たちが十分にその力を発揮していたからだと思います。
それは最終的には演出の力だから、タケシの力量はそれでうかがい知られる気がしました。
娯楽活劇としては、その暴力描写ややくざを描く視点に違和感を抱く人はいるかもしれないが(私のそのうちの一人かもしれません)、水準以上の作品だと思いました。

唯一といっていいミスキャストは、タケシ自身でした。
やくざの本家の下の組のまたその下のチンケな組の親分。言われるままに、ただ暴力をむき出して突っ走る。その下っ端やくざの粗暴で危なっかしくて、だからある意味で哀れな軽さが、出せていないのです。
タケシはなにやらいわくありげなまなざしや、ちょっと奥をうかがい知れないような沈黙を通して、備わっていてはいけないはずの貫禄をにじませてしまっていました。だから、例えば三浦友和の演じるやくざの大幹部が、タケシの演じる「大友」が本家の親分に詫びを入れに来て、ソファーに座って待っているとき、「チンピラがどこに座ってんだよ」と大友にすごんだときの三浦のセリフが宙に迷ってしまいました。

そしてもう一つ、なによりも女性が描けてない、あるいはあえて描こうとしていないこと、それがこの映画を古臭いものにしている最大の理由だと思ったのでした。
これを彼の特質と見るか限界と観るかは、見る側の好みの問題かもしれません。

タケシは、人間の行動や感情の二面性や多重性はうまくドラマに取り込んでいますが、人間性そのものの多重性についての解釈が浅いと思いました。あるいは、そんなものを認めないと思っているのかもしれません。
その意味では、小日向文世はいい役者だと改めて思いました。
映画の中の役どころのせいもありますが、何重もの被覆に覆い隠された人間性を持つ人物をうまく演じていました。
彼は、「大友」の本質がいかに空疎な存在かを観客に思い知らせる役を、過不足なく演じていました。

小日向の演じる刑事が「大友」を殴った一瞬のシーンは、あの映画の中のベストシーンだと思いました。
タケシは、監督としては、ああいうシーンを演出できる自分のセンスをもっと大切にすればいいのにと思いました。
しかし、そうなるとタケシがタケシでなくなってしまうのかもしれません。

『告白』の感想は次回に。

仕事疲れ

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あと一息。
なかなか集中できない。明日までの仕事が仕上がらない。

紅茶を飲もうと台所に行った。
砂糖代わりに入れようと思いついて、昨日妻が作ったスモモジャムを冷蔵庫から取り出した。
気が向いたので、デジカメを取りに書斎に戻り、昨日できた分すべてをレンジのそばに並べてみた。

今朝から、ヨーグルトに乗せて食べている。 ほんのりとスモモの香りがして、おいしい。

老人とブログの海-収穫

老人とブログの海-ジャム


びっくりした

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デスクワークに飽きて、庭に出た。高枝バサミを手に取り、スモモのみを採ろうとしたら、はさみがうまく動かない。
あれこれひねりながらふと足元を見た。
書斎の窓の下の草むらに頭を突っ込んで、長さ1メールをはるかに超えた青大将が伸びていた。
死んでいるのかと、尻尾の辺りをつついたら、ぞろりと動いて、エアコンの室外機の下に入り込もうとしたが、体の半分は外に出ていた。

どこからか、タマがやってきて、ゆっくりと身構えた。
病気がちで普段はのろのろしか動かないのに、見ると目がらんらんと光っている。
あわてて、高枝バサミでそっと追い払った。
それでも、離れたところから視線を青大将から離さず、チャンスを狙っている。
別の場所で寝そべっていたシロまで寄ってきた。

暑さに負けたのか、青大将はのろのろしている。
私は庭に散水するための井戸水の蛇口に走り、ホースから水を出して蛇がいる辺りに飛ばした。猫たちは走ってその場所から逃げた。

爬虫類などの小動物から、猫にとって有害な細菌や虫が体内に入ることがある。
一度、シロはそのせいで、医者の世話になった。

蛇は家の守り神などという話を信じたわけではないが、本能とはいえむやみに殺生をする猫が、家に出入りするのは気分が悪い。

青大将はとりあえず姿を消した。
理不尽に水をかけられた我が家の猫たちはどこに行ったか、見当たらない。




朝五時

朝五時にバイクで乗り出した。まるで梅雨が終わったようなさわやかな晴れ空の下で、むせ返るような緑の中を走りながら、、旅に出た遠方の友人のことを思った。

昨日、空港から、「まもなく出発します」とメールが入った。

彼女が告げた予定の通りに旅が進めば、今頃は異国の夜の空港に降り立って、あるいは今夜の宿に向かっていることだろう。

家族にせよ友人知人にせよ、会えなくとも実在を信じていられる人への思いは、心に浮かべるだけで親しさを再生できる。
もういないと分かっている人々への思いは、懐かしく心に浮かんでも、なにやら悲しい。