桜桃

昨日帰宅したら、宅配便の不在配達の知らせがポストに入っていた。クール便とあったので、急いで再配達を依頼する電話をかけた。
届いてみたら、春先にこちらに遊びに来た大学時代の後輩Mが、さくらんぼを送ってきていたのだった。
6月半ばに山形にさくらんぼ狩りに行ったということは、メールで知らされていたのだけれど、そのときその場所で、昨日に期日を指定して注文してくれてあったようだ。

早速電話をした。携帯を使わない彼女は、家にいて、お礼を言うと「たいしたものじゃないから気にしないでね。さくらんぼなんてあんまりむしゃむしゃ食べる機会がないから、たまにはいいかなと思って送ってみたの。」と言った。「なにもしないでよ」と言うので、「じゃあ何もしないからね、ありがとう。いただきます」と答えて電話を切った。

夕方帰ってきた妻に、Mさんがさくらんぼを送ってくれたというと、ちらりといぶかしげな顔をしたが、早速、器にいくつか出してリビングのテーブルに置いたら、おいしいわねと言って食べた。




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探し物をしていたら、部屋の堆積物の中から数冊の雑誌が顔を出した。

一年前の「週刊朝日緊急増刊 朝日ジャーナル 創刊50年 怒りの復活」号。
wikiによれば、1959年に創刊され、1992年に終刊したという。
出張で大阪から東京に出てきた父と大学生になったばかりの私が待ち合わせて東京駅で会った時、私の手には「朝日ジャーナル」があった。父は珍しそうにそれを見て、「ジャーナリストになりたいのか」などといった。
今思えば、戦後の経済復興を支えて走り続ける中年のサラリーマンが読む雑誌ではなかったらしい。
1962年のことだった。
就職してしばらくした1970年代初めには、私はこの雑誌とすっかり縁がなくなっていた。

やはり昨年の7月下旬に発行された週刊新潮。
これは『夫が宮城まり子の元へ去った日 遺骨となって帰った日』というノンフィクションの記事が読みたくて買ったのだと思い出した。(ここでも記事にしたような記憶がある)
その少し前に、長い間一緒に暮らした吉行淳之介の思い出を語る宮城まり子のインタビューをテレビで見たこともあって興味を持ったのだった。
吉行が家を出て宮城まり子の元に行った後も、なぜ籍を抜くことを承知しなかったのかというレポーターの問に、夫人は意外そうな顔をして、「籍の話は彼から一度も出ませんでした」といったという。
彼の死後遺骨の引取りの妻と宮城まり子との交渉には一年間がが必要だったらしい。
骨を引き取りに吉行と宮城まり子が立てた家に行った夫人は、応接間で骨を受け取った。
「骨箱をあの方がテーブルの上におかれ、それを私がいただいてきました」
互いに終始無言だったという、と記事は続く。
現実の別れはとうに済んでいるのに、人は誰かと別れるためにさまざまの儀式を必要としているのだと、改めて感じさせるシーンだと思った。
同じように、長く同居していた男性に先立たれ、その遺体も葬儀の儀式も彼の妻や家族に取り戻されて一人残された都はるみに比べれば、まだ宮城まり子は幸せだったかもしれない。
ところで、彼らの戸籍上の妻の本当の思いは、どうだったのだろうか。

一年たって同じ感想がよみがえることが面白かった。

もう一冊は、昨秋の芥川賞を掲載した文芸春秋。買ったままで読みそびれていた芥川賞作品をやっと読めた。
いつも思うのだが、面白さという点では、芥川賞より直木賞のほうが勝っている。
賞の趣旨からして、当たり前といえば当たり前だが。

朝日ジャーナルの処置には迷っている。
週刊新潮は、吉行の記事だけ破りとって、本体は捨てた。
文春は、丸ごと廃棄した。




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読了

テーマ:
湊かなえ『告白』を読了しました。いったん読み出すとどんどん読ませる筆力はなかなかでした。
しかし、大騒ぎするほどの作品かどうかは意見の分かれるところでしょう。

私は、かちかち山を思い出しました。かちかち山物語の善悪をひっくり返した太宰がこの小説を読んだら、なんというかなと思いました。

作者がそこまで考えて書いているようには思えませんでした。
もっとも大きな過ちを犯したものを、そのようには描ききれていないと思えたのです。

ひとつの死が生み出した波紋の広がりを現実よりも衝撃的にサスペンスフルに描こうとしていますが、現実に起こっている諸事件のほうがもっと重たくて厳しいと思いました。

夕方、『井上ひさし「絶筆ノート」全文掲載』という記事のタイトルに引かれて文春七月号を買いました。
奥さんの井上ユリさんの手記の結びの文章が印象に残りました。
井上ひさし氏は死と向き合ていた入院中に、いろんな人の闘病について彼女と話していて、「戦争や災害だと、たくさんの人が同じ死に方をしなきゃならないんだ。一人ひとり違う死に方ができるというのは幸せなんだよ」と言ったそうです。

小説がひとつの死に焦点を当てて書かれる時、どのような視点でかかれなければならないかを、私は改めて考えさせられました。

多分私は、復讐譚そのものを、あまり好きではないのかもしれません。





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裏切り

仕事が休みで朝から家にいた。
午前中は洗濯やら洗い物やら取りためた録画の整理などをしてすごした。午後は友人宅に届ける頼まれ仕事をしていた。
実家にいる妻から電話がかかり、夜のテレビ番組を二つ録画しておいてほしいと頼まれた。承知して、少し用事をしてからテレビの前に座ったら、番組のひとつが思い出せなかった。
番組表を見るとそれらしいのがいくつかあったが、番組名を言った妻の声が思い出せず特定できなかった。
友人宅から帰った後、妻にメールを打っておいた。妻は、遠方から来たおばと義父と義弟とで食事に食事に出かけていて、そういう時は携帯には出ないはずだった。
夜の8時に電話がかかってきた。
9時からの時代劇スペシャルが希望だった。
私は、自分が予約してあった映画を取り消して時代劇を録画予約した。

何ヶ月も前に録画した二時間ドラマを、ウィスキーを呑みながら見た。
途中でたまに書斎に来てメールを打ったりしながら、ダイニングで見ていたのだが、気がつくと転寝をしていた。目を覚ましたら11時になっていた。
妻に頼まれた録画を確認したら、時間の設定が狂っていたようで、2時間物なのに1時間しか録れていなかった。

妻は、二度も連絡したのだからまさか録れていないとは思っていないに違いない。
私は、頼まれた録画をしばしば録り損ねる。
妻は「結局あなたは自分の好きなことしかちゃんとしない」とよく言う。
そんなことはないと思うのだが、今夜は、もしかしたらそうかもしれないと思った。

がっかりするだろう妻の気持ちを考えたら、私はずいぶん周囲の人を裏切ることばかりしてきたなあと、少し気持ちが落ち込んだ。

眠気が飛んでしまい、風呂で昨年の芥川賞、磯崎憲一郎「終の住処」を読み始めた。
受賞発表時に文春を買ってあったのだが、読まないまま半年以上が発ってしまった。

半分ほど読んだら少し気分が戻ってきたので、風呂を出た。


典厩某という作家の『大杉栄の○月』という小説を読んだ。
探偵小説の出来としては、装丁通りいかにも怪人二十面相的なものだったが、背景となっている時代と舞台についての薀蓄めいた書き込みは面白かった。
西園寺公望と住友財閥の十五代当主が実の兄弟であったなどと、多分有名な話なのだろうが私は不勉強で知らなかった。

これから『告白』を読み始める。

はやぶさ

テーマ:
youtubeで探査機はやぶさの大気圏突入の瞬間の動画を見ました。
夜空の一角が明るく光りました。
地球から送り出され、はるかかなたの虚空をものすごい速さで動いている小さな岩の塊に着陸し、遠い宇宙空間を横切って再び地球に呼び戻された機械が燃え尽きる瞬間です。
人々の知恵と想いが凝縮したこの機械は、もはやただの機械ではないと思えた一瞬でした。


よはなれのみの

テーマ:
いつも同じ想いの周辺をうろついている。

先日書いた、中野安兵衛の『ヘイ、ジョニー』をYOUTUBEで今日も聞く。

 ♪ヘイヘイ ジョニー聞かせてよ 悲しい恋の物語り
 ♪何処かで誰か独り泣いているよ みんなみんな淋しいんだね

先週、とある新聞記事で見かけた和泉式部日記の一節。
 
 なにせんに身をさへ捨てんと思ふらん
  あめのしたには君のみやふる
 
  たれも憂き世をや

そして、高校時代に出会った詩歌。
 
   花薔薇 ゲロツク
 わがうへにしもあらなくに
 などかくおつるなみだぞも
 ふみくだかれしはなさうび
 よはなれのみのうきよかは
         「於母影」(明治22)所収

父の日の思い出

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小さい娘が贈り物をくれたことを思い出すきっかけがあって、何十年も使い続けている机の袖の引き出しを開けた。乱雑に詰め込まれた書類や雑貨の奥から、見覚えのある紙の箱が出てきた。

中には、少し記憶と違うけれど、二枚の広告紙の切れ端と手作りの小さなアクセサリーが入っていた。

広告紙のひとつは父の日の贈り物の宣伝で、その裏に私の似顔絵らしいものと季節のイラストが書いてある。
もう一枚には私への手紙。

私の机にはこのほかにも、娘の手作りお手伝い券やちょっとしたメモ風の手紙が、受け取ってそのまま間引き出しに放り込まれて眠っている。
小学校に上がるまでのことだったような気がするのだけれど、私はその頃きちんと娘のメッセージに答えていたのだろうか。

そういえば、もう一月ほど彼女の声を聞いていないし、便りもない。

父の日にはまだ少し早いけれど、懐かしい気持ちになれて、少しよかった。

老人とブログの海 老人とブログの海


ご近所の女性がはちく(淡竹)のたけのこを持ってきてくれた。
今朝掘ったものだから茹でずに、炒めるか何かしてと言って置いて行った。
妻は庭にいたので、呼ばず、私だけで受け取った。
後で部屋に戻ってきた妻にたけのこを渡し、ずっとご無沙汰だから今夜は一度顔を出さなきゃ、といった。
この女性は市内の飲み屋街でスナックをやっている。

夕食の後,疲れたを連発する妻に代わって食器を洗った。
それから、もう少ししたら出かけるよといった。
エ、本当に行くの。男の人って結局そうなんだ。
妻はそういった。
男女に関係はない。
彼女は外に出たがらないし、私は時には外で飲みたい。
女性にも外に出たがる人はいるし、男性にそうでない人もいる。
内心そうつぶやきながらしかし、腰痛がらみで少し億劫な気分にもなっている。