真夜中に

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寝酒代わりのビールさえ口にせず、昨夜十時過ぎに倒れこむように寝てしまったら、真夜中の一時半に目が覚めた。
風呂の中で、この間から読んでいる『和泉式部日記』の注釈本を読み進み、気分が落ち着いたところで風呂から上がって体を拭いていたら、右のふくらはぎを何かが撫ぜた。
見下ろすと、「タマ」がそっと体をこすり付けていた。。
お互いに寄り添うような感覚が生まれた。
しばらく彼女が体をこすりつけるのに任せておいてから、そっと体を離し、私は書斎に向かった。

「シロ」は餌がほしくても、外に出たくても、あるいは中に入りたいときも、とにかく「ニャアニャア」と声を出して私たちの注意を引く。
「タマ」はほとんど声を出さない。ただ、こちらをじっと見つめているだけである。そして気付くまでじっと見つめているか、諦めてそっと目をはずしてよそに行く。
見つめられていることに気付いた時は、よく、どのくらい長く見られていたのかなと思う。

ダイニングの残してきた「タマ」は、今この瞬間には居間に戻ってまたソファーの隅に丸まっているのだろうか。

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宴の後

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娘の結婚式と披露宴が済みました。
会場のスタッフのサービスは優しく行き届いたもので、私も妻も満足しています。
娘は、普段の姿とかけ離れたかわいらしい花嫁に変身していました。
妻も、見違えるほどとは言えませんが、それなりにきりりとしていましたので、ぎこちなく、褒めておきました。

披露宴で娘や新郎の上司や友人のスピーチを聞けたことは、私にとって一番の収穫でした。
彼ら二人が、とりあえず孤立せず善良な人々に支えられて生きていることを実感できたからです。

娘が私達夫婦に送る手紙を読み上げました。
小さいときから何をしても傍でじっと見守り、人生の節目節目での選択には一切口を出さず、しかもいったん選んだ道は全力で応援してくれた、と書いてありました。
それはとても意外な文章でした。
私たちは日々の暮らしの忙しさに追われ、ずっといろんなことを気に病みつつ、仕方がないと居直って手を抜きながら、時にはこどもに淋しい思いもさせて暮らしてきました。
ものは言いようだとも思いました。

私達夫婦にとって幸運だったことは、子供の養育方針について全く意見の衝突がなかったことでした。
性格も異なり、生育歴から来る生活スタイルのずれはお互いにストレスを生み、何よりも相手に求めるものの違いが少しずつ目立ってきて、結婚数年後から次第に衝突が多くなりました。
日常の細かいことまで、子どもたちを夫婦で協力して育てるということは、共働きなのでそれ以外の方法がなかったので、当たり前のことでした。
そして、子育てでは全く衝突しなかったことが結局、今になって比較的穏やかな夫婦生活を送られている一つの要因かもしれません。
娘は、式の趣旨に合わせて少し大げさに書いたのかもしれませんが、とりあえず私たちに感謝はしているようでした。しかしむしろ感謝すべきなのは、紛れもなく私達夫婦なのだと思いました。

式の翌日、娘たちが律儀に電話をかけてきました。旦那もわざわざ電話口に出てきて、挨拶をしました。

二人の生活が私たちにどのように関わってくるのか想像もつきません。
しかし私たちは、子供たちとは別の人生を送っているのだとの意識ははっきりしています。
いささか淋しくはないかという声も聞こえてきますが、私もそのようになき両親とは離れて暮らしましたから、それが人生だと思っています。

披露宴直前の体重よりも、式が終わって二日目の月曜朝の体重のほうが減っていました。
何をしたわけではないのに、体の芯が疲れています。
わざわざやらなくても良い式だという思いもありましたが、終わってみれば、娘たち夫婦二人の努力が報われた、なかなか意義深い宴になっていたというのが、私達夫婦の一致した意見です。



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結婚式

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明後日に、娘の結婚式と披露宴があります。

半年以上前に入籍は済ませてあるので、いまさら父親としての格別の感慨はありません。
それでも、結婚式と銘打つからにはそれなりの準備があり、先日あった娘夫婦はあれこれと大変だと悲鳴を上げていました。
私も少しは準備をしなければなりません。
三ヶ月前に貸衣装屋に言われたダイエットは、最終的に失敗に終わりました。結局増えもせず減りもせずです。
床屋には一昨日行きました。
モーニングは貸衣装ですが、靴下とカフスとネクタイ止めは自分でと、渡されたプリントに書いてあったので、昨日ネクタイ止めとカフスを確認しました。安物の真珠のセットがあったので、ほっとしました。
靴下は、礼服用を今日、仕事帰りに買ってきました。
かえってみたら、妻も買ってありました。
自分自身の結婚式にどんな衣裳を着たのかは覚えていません。
自分の式ならば自分の好きにしますが、娘夫婦の式ですから、その希望に可能な限り従わなければなりません。
フォーマルな場に全く縁がなかったので、ちょっと億劫でうんざりしています。
靴も、フォーマルタイプの靴を一足買いました。
外反母趾があって、普通の靴だと一二時間で耐え難いほど痛くなってしまいます。
妻の実家にあった靴幅拡張用の木型を使って、少し前から靴を変形させています。数回試し履きをしてみましたが、思ったよりいい具合で、これはほっとしました。
明日の午後から東京に出ます。
心配性の妻は、山ほど心配を抱え込んで、今日は少し元気がありません。
明日・明後日は逆にぐっとテンションを上げて、きびきびと動き回ることでしょう。そんなに頑張らなくても良いのにと、私はいつも思います。

とにかく式と宴が無事に終わってくれることを願っています。



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穂紫蘇つみなど

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庭の大葉に花が咲き緑の穂先が伸び始めた。以前は妻が気ままに摘んで紫蘇の実を塩漬けにして壜につめ、ぼちぼちと冷蔵庫の扉に並べていた。使わないから、どんどん溜まっていった。
今年に入って、私が佃煮やら煮物、炒め物に紫蘇の実の塩漬けをどんどん使ったら、あっという間に数年分の備蓄が底をついた。
それで今年は私が少し気合を入れて紫蘇の穂を摘んだ。
中位のボールに二杯摘み、二回に渡って、穂から実をこそげ落とし、塩水でゆでてあく抜きをし、塩漬けにして壜に入れたら、結局インスタントコーヒーの壜半分にしかならなかった。
それなのに全工程で数時間かかった。

老人とブログの海

やるべき用事はあるのだけれど、午前中紫蘇の実と格闘していて疲れたので、午後はしばらくぼんやりしていた。
3時半過ぎになって、ここ数日の日課になっている「歩き」に出かけた。
家の近くの畑に彼岸花の小さな群落があった。
ナップザックからデジカメを出して、近づいて写した。
おりしも、耳に刺したイヤホーンから、埼玉にある有名な彼岸花の群落が満開で、数日の累計数万の観光客が集まっていると、ラジオのニュースが流れた。

老人とブログの海-彼岸花

実りの秋

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私の町では、秋祭りの準備が進んでいる。
子ども達が正月前に床屋に行くように、祭りが近づくとそれぞれの家が庭や外回りの草を丁寧にとり、垣根や植木を刈り込んで、住処の身だしなみを整える。

祭りの中心となる神社の前を先ほど通ったら、露天の屋台が境内や参道に次々と組み上げられていた。
本当は当月の15日が昔からの祭日なのだが、人様の都合が神様の予定まで動かしてしまった。明日が宵宮。明後日が本祭り。

妻が何度か冬大根の植え付けに失敗して、ある年に行きつけの美容院の女将さんから教わった。
「冬の大根は八幡様の祭りに芽が出るように植えるといいよ。」
妻の植え付けは、この地ではいつも十日から二週間ほど遅すぎたのだ。
彼女の助言どおりにするようになってからは毎年、太くておいしい冬大根が庭で取れるようになった。

本当は、祭りの日もその他の年中行事同様、生活の大事な目印だったのだと思う。
私は、休日を連ねるためといって休祭日を適当に動かすことが、いまだに納得できない。

といいながら、今日から私は6日間の休み。

何ヶ月も前から妻が、水道のお湯が濁るといっていたので、知り合いの水道屋に頼んでみてもらった。古い配管を付け替えるという。なんだか結構大げさな工事になりそうだ。
今日、二回目の調査に来た。おおよその構想がたったみたいで、数日の内に見積もりを出しますという。
彼の本業と少し違う仕事なので、資格はあるようだが少し頼りない。でも、昔からの付き合いに頼んだので、いまさらもういいとも言えない。

机の周りを少し覗いたら、夏前に見失っていたデジカメが出てきた。何度も探したはずなのに、今頃どうしたことだろう。
五つの失せ物の内、四つが出てきた。
喜んでいいのか、悲しむべきなのか。

オリビアを…

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A新聞の土曜特集版に、かつて流行った歌にまつわるエピソードを旅する特集が連載されている。

昨日の特集は『オリビアをききながら』。
Wiki.では「尾崎亜美が作詞・作曲をして杏里に提供された楽曲。オリコンの記録上では目立ったヒットに至ってはいないが、時を経て多くの歌手にカヴァーされ、スタンダード・ナンバーへと成長した」と紹介されている。
なるほどしゃれた題に覚えはあるけれど、歌詞もメロディーも私には思い出せなかった。
記事に載せられた歌詞を読み、youtubeで尾崎と杏里の歌を聞いた。
♪ お気に入りの歌 一人聴いてみるの  
  オリビアは寂しい心 なぐさめてくれるから  
  ジャスミンティーは 眠り誘う薬
  私らしく一日を 終えたいこんな夜
という歌いだしの一節の特に「私らしく一日を…」は印象に残った。
このフレーズは、新聞の解説を読むまでもなくこの歌が、女性の自立への旅立ちの歌だと知らせてくれる。

歌を聴きながら、一月前に読んだ小説『ダブル・ファンタジー』を思い出した。
騒がれたほど「官能」的ではなかったけれど、一人の女性が自分を縛り付けたさまざまな桎梏から自分を解き放とうと苦悶する姿はそれなりに描けていると感じて面白かった。

夏の終わりに部屋を片付けていて、古い新聞の切抜きを見つけた。『オリビアを…』を取り上げた企画の前の、男女の愛や恋を描いた物語の成り立ちや実相を探った連載の記事で、テーマは和泉式部。
切り抜いてはあったものの記事はちゃんと読んでなかったようで、中身に記憶はなかった。改めて読んでみた。
和泉式部は奔放な恋愛で有名な平安王朝の歌人だが、その姿の一部を初めて知って、図書館で「和泉式部日記」の注釈つきと口語訳本を借りてきた。
夫に捨てられ、次々と男を受け入れ、何度も恋をして狭い貴族社会の中で奔放な女と名をはせて、しかし歌の卓越した才能で男たちにも女たちにも一目置かせた女性の一代の話は、華やかというよりは哀切感がある。
彼女の墓と伝承される遺跡がが全国にあるというのも面白い。

そして、以前読んだ「待賢門院藤原璋子」のことも思い出した。
西行の終生の想い人だった待賢門院も、白河法皇の養女であり愛人でありながら、その孫の鳥羽天皇の中宮となり、そうなった後に鳥羽天皇の子として実は白河法皇の子崇徳天皇を産んだ。
後に自分の生んだ鳥羽天皇の実子後白河と崇徳の対立が保元の乱の一因となるのだが、彼女は後世になって多くの女性の信仰を得たという。
先にそのことを何かの記事で読んでいたので、和泉式部の「墓」が全国にあるということも面白く感じたのだ。

『人形の家』の「ノラ」は「家」から飛び出そうとしたが、もしかしたら女性の究極の解放とは、一人の男に囚われることからの「解放」なのかも知れない。少なくとも、長い歴史の中で、名もない多くの女性たちがひそかにあるいは公然とそのことを望みあこがれて、彼女らへの信仰を育んだのではないか。

そんなことまで、独りよがりで身勝手な連想は広がっていった。
女性の自立が描かれようとする時、それはしばしば男からの離脱の物語となるような気がして、興味深かった。

おやおや

テーマ:
今朝ニュースを見ていたら、鳩山さんが昨夜お台場で映画を見たという。
「テーマは友愛ですな」みたいなことを言っていた。
映画は「サマー・ウオーズ」
妻が「あら、あなたの見た映画じゃない」などと言い出したら困るなと思ったが、彼女は台所で朝食の準備中だった。
第一私は彼女に間違った映画の題を言ってある
もっともあの時彼女は、「ああテレビで予告編をやっていたわね」と言ったから、正しい題名を承知していて私が言い間違えただけだと思っている可能性もある。

それにしても、ますますこの映画を見たくなった。

やけくそだ!

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昔から、追い詰められたりひどく困ると、現実から逃避して妄想の世界に閉じこもったり、本や映画に逃げ込んだ。

今日の私。
またまた大事な探し物をする必要が出てきて、明日からの仕事の準備も全く出来ていなくて、そのくせ夕方、本屋に行ってしまった。

三浦しおん『格闘する者に○』(新潮文庫)を買って、結局やるべきことは何もせず、さっき読み終えてしまった。
彼女のデビュー作だが、なるほど才能ある者とは彼女のような人を指すのだと思った。


新しいおもちゃなど

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この数日で二つ新しい楽しみが手に入った。

一つは、電子メモ帳。
先日テレビで、電化製品の多機能化に逆行して、単機能製品が売れているというレポートを見た。
その一つがこれ。

ポ○ラ。
早速、近所の家電量販店で値段を見たら21000円。思ったより高くて、ちょっと二の足を踏んで、家でネット販売の価格を見たら16000円余。
先に店頭価格を見ていたもので、つい「安い!」と思わされて、衝動買い。その場で購入を申し込んで、速配を希望し、昨日届いた。
手に入れてみると、そんなにあわてて買わなくてもよかったかなと思ってしまうが、今のところは、少し使えそうな気がしている。

もう一つは、キトゥル・トリークル。
夏休みに、臨時出勤した職場で、同じ臨時職員のIさんと顔を合わせた。
8月末に新しい国家資格試験を受けるので、その勉強で追い込み中だと言う。彼女の得意な語学を生かした資格だそうだが、最後にとり残してしまったテスト科目は教養的科目で苦手な分野なのだという。
それが、私が比較的得意としていた分野に重なっていたので、手持ちの本を一冊貸した。
9月に入って職場で顔を合わせたら、おかげさまで合格しましたという。


貸した本と一緒に、袋には見慣れないラベルの壜が入っていた。
職場ではほとんどすれ違い立ったのでお礼も対して言えずに帰宅し、あけてみたら、スリランカ由来の甘味料だった。

妻に見せたら、用心深い彼女は「外国からのよく分からない輸入品は怖いよ」などと言って触れようとしない。
私は妻手作りのカスピ海ヨーグルトに乗せて、食べてみた。
ずいぶん甘い。
しばらくすると、少しお腹が痛くなり、やがて軽い下痢を起こした。

その直前に実家から帰宅した妻をバスターミナルまで迎えに行って食べた回転寿司のせいか(ちょっと食べ過ぎた感があった)、それとも胃になじみのない甘味料のせいか、あるいは少し古くなったヨーグルトのせいか、真相はわからない。
妻はそれみたことかという感じだったが、私はこの甘味料が気に入っている。老人とブログの海-ポメラ



訃報

数日前から、「あいつも死んじゃったね」という呟きが頭の中を回っていた。ところが、その「あいつ」が誰のことか思い出せない。
年寄り仲間に会うたびこの台詞を言いたいのだけれど、誰の訃報を聞いてそう思ったのか、記憶にないから言い出せないのだった。

昨日、散らかり放題の書斎の机の上を、探し物のためにひっくり返していて、死んだ「あいつ」が誰だったかわかった。
「あいつ」の訃報は数週間前に送られてきた高校の同窓会報の最後のページに、私の知らない数名の名前と一緒に書いてあった
だから、このあたりの仲間に話しても仕方のないニュースだった。

五年前、還暦を記念して数年ぶりの高校同期会が開かれた。
R先生が近況報告の中で我々の同期生のYが癌にかかっているといった。

Yは私立の医大に行き、後に別の医科大学の教授になった。
生家の仕事は知らないが、高校時代から妙に気取ったところのある男で、特にR先生のお気に入りだった。
R先生は、他のクラスの授業にまでRの名前を出して「これこれの質問をしたらRは完璧に答えた。これには驚いた。」などといった。
高校生は嫉妬深い。その上、もともとR先生は少し癖があり、一部の生徒からはなんとなく煙たがられていた。
Yは成績もよく、人におもねるところもなかったので、誰も彼をいじめなかったが、Rのことでは陰口をきかれた。
私とYは同じ文芸部員だったが、あまり親しく口をきいた覚えはなかった。

大学に入って間もない頃、一度街なかでばったりYに出会った。
彼はなんと筝曲の稽古の帰りだといっていた。
医者の修行はどうだと聞いたら、「この間ウサギの解剖を初めてやった。兎が涙を流していた。麻酔をかけると試料の性質が変わるので麻酔をかけずにそのまま手術するのだけれど、かわいそうだった。」というような話をした。
そういう話に私は大いに感心したが、彼は私のことにはさほど関心がないようで何もきいてこなかったので、間もなく立ち話のまま別れた。

卒業後20年の記念に初めての同期会が開かれて、私も出席してみた。
Yは幹事の一人だったが、あまりこまめに立ち働くという風ではなかった。
気取ってえらそうな態度に磨きがかかったように見えた。
ちょっと顔を合わせて声をかけたが、上の空の返事だったのでもしかしたら私のことはおぼえていないのかもしれないと思った。
私は、昔よく相撲をとったKなどとおしゃべりをした。Tらに誘われて新宿のスナックに行って、高校時代の、私の知らなかった教師や生徒のエピソードなどをたくさん聞いた。
私は、本当にぼんやりと学校に行っていたのだと思った。

還暦の同期会の折の話では、R先生は毎年Yの世話で彼が勤務していた病院のドックに入っていたらしい。だからYの消息には詳しかったのだ。
それにしても、彼の病状を報告することはないのではないかと思った。
その話しぶりからも、Yが皆に伝言を頼んだという風でもなかった。
Yのことを時々話したR先生の昔の授業を思い出した。

高校の同窓会報は今年7月末に届いて1週間以上放置され、何かの弾みに改めて私の目に触れて開封された。
そこにYの訃報が載っていた。
「ああ、あいつ死んだのか」と思った。
しかしその、取り留めがなくそして妙に頼りない気持ちを共有できる相手は、身近にはいなかった。