ものへの愛着

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電気炊飯器の内窯のテフロン加工がはがれ始めた。
ずいぶん前からのことで、はがれた部分がところどころしみのようになっている。
私は全く気にしていなかったが、妻はいつからか、体によくないのではないかと、しきりと気にしだした。

何年ぶりかで義父が我が家に来ることになって、妻は内釜のことがどうにも我慢できなくなった。内釜だけ買い換えたいからメーカーに電話をしてみると言う。
ネットで調べたら、メーカーは親会社の機構再編で別の部門に吸収されてなくなっていた。さらに製品のアフターサービスについて調べたら、当該製品は既にサービスたい商品リストになかった。
七年前に購入したもので、しかも私に頼んで、私が勤め帰りにみつくろって買ってきたものだと妻は思い出した。
そうだとしたら、当時私が家電類をいつも買っていたローカルな量販店で買ったに違いない。そこはもう閉店してしまっている。

結局、妻は昨日市内随一の電器量販店で機能の少ない低価格の炊飯器を購入した。私は運転手として付き合った。
帰宅するとすぐに私は、一昨日の夕食まで何の不都合もなく働いていた炊飯器を定位置からはずし、買ったばかりの炊飯器をそこに据えた。ぴかぴかの炊飯器は、周りの景色から少し浮いた感じだった。
台所の上がりかまちに置いておいた古い炊飯器を見ると、妻は布巾を取り出して、ほこりをかぶったままになっていた炊飯器の胴回りなどを磨き始めた。ごめんねなどとつぶやいたりしている。
捨てることになった道具を奇麗にするという気持ちの働きは、私にはあまりないのだけれど、わからないことは無い。

今朝は不燃物のゴミ出しの日だった。他のものにあわせて炊飯器も集積所に持っていった。
ゴミの山の隅において家に戻りながら振り返ると、一昨日まで台所にすとんと座って毎日ご飯を作り出していたその器具は、ゴミになっていた。

それにしても、新しい炊飯器で炊いたご飯は、なんだかおいしいような気がするというのは、昨夜の私たち夫婦の感想である。

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桜の花を漬けました

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あわただしく時間が過ぎていきます。

その合間を縫って、桜の花を漬けました。

昨年、お腹の大きくなった女性を連れて花見に行ったとき、「桜の花の塩漬けを作るの」といって彼女が桜の花をいくつか摘みました。桜花漬は大好きなのですが自分で漬けたことはなかったので、どうやるのか聞いたら、さっと洗って塩に漬ける、という程度の話でした。

二日前に、庭の桜が散り始めたので、件の女性が桜の塩漬けを自分で作っているらしいという思い出話をしたら、妻が庭から枝を折ってきました。
やり方がわからないので、開いた花はめしべおしべを取り除き、つぼみや柔らかい葉も混ぜ、塩水で数回洗った後で小さなビンに入れて塩で漬けました。

先ほど昼食時に、妻がビンを開けてみると、桜のにおいがぱっと食卓に広がりました。
漬け始めたたときにはほとんど匂わなかったのでびっくりしました。

妻は大急ぎで庭に出て、また一枝とってきました。
私はもう一度、桜花漬を作りました。

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二転三転

少し前に、ある国の首相がころころ言うことを変えた。自分が決めた政策に自分が従うといったり従わないといったりしたので、評判を落とした。野党のリーダーが「二転三転、七転八倒」と揶揄した。うまいことを言うものだと感心した。
その野党の党首の態度もやはり自分の秘書の逮捕などについては「二転三転」している。彼もそのうち「七転八倒」する羽目に陥るのだろうか。

Tさんから「Oさんのお世話で、一度話を断ってきたKさんが仕事を引き受けてくれることになりました。そちらの線で話を進めさせていただきますのでご了解を」と電話があったのが、22日。
「それはよかったですね。」と応えたものの一抹の寂しさも感じたりして一夜明け、気分もすっきりと読書計画などを立てつつ、いつもの友人のお手伝いで一日あくせくして、夕方ようやく一段落。そこへOさんから電話。「Tさんから電話があった?」
「ああ、聞いたよ。Kさんが引き受けたそうだね。俺の診断の結果はもう少し先になるし、よかった。」
「いや、それがね」
彼の声は気のせいか少し怒っていた。
Kさんには仕事の内容は正確に伝えてあったという。
KさんがやるきになったというOさんからの連絡で、Tさんはすぐに私に電話をして了解を得、勤務先の上司にそれを伝えた。上司はKさんに早速電話を入れた。
しかし仕事内容を具体的に話したら、とたんにKさんが自分の考えていたことと違うといって降りてしまったのだ。
引き受けてからじたばたするよりはずっと良い態度だ。
しかしOさんの立場はなくなってしまった。

話をもう一度私に戻すために、Oさんが電話をしてきたというわけだ。
一度切れた気持ちだからちょっとどうかなと思ったけれど、相手の上司を除けばTもOもKも全部顔見知りの人たちの間の話。
他に適任者がいなくて、私の診断の結果が問題なければやっても良いという、一昨日午前中までのスタンスに戻った。

もうどう話が転んでも気にしないことにした。先々「七転八倒」という結果にさえならなければよい。

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四月からのこと

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昨夜、四月からの仕事を持ち込んできた知人が電話をしてきた。

三月初めにオファーをもらった、その直後のこと。
「人間ドックで再検すべき項目が出たので、いただいた話はなかったことにして欲しいのです。再検査の結果が良好でかつその時点で別の引き受け手が見つかっていない時は、またご相談に乗ります。」
後になって迷惑をかけてはいけないので、そう連絡した。
途中で向こうから一度こちらから一度、電話で連絡を取り合った。
途中のチェックはいずれも良好なので、それを踏まえた最終検査を今月下旬にする、と伝えた。彼からは、誰でもいいというわけにもいかず、人を通じて二人ほど当たったけれどいずれにも断られたので、なお私に期待している、という話だった。
一年続けてきた仕事が二十日に終わると、なんとなく四月からは新しい仕事に入るつもりになりかけていた。

昨夜の電話は、一度断ってきた人に仲介者がもう一度話したら、引き受けてくれることになった。そちらの話を進めたいが了解して欲しいという話だった。

最終結果が出るまでは、私のことは気にせず人探しを勧めてほしいということを伝えてあったのだから、丁寧に了解を取りに来てくれただけでもありがたいことだった。それはよかったと言い、この仕事の話をまず私に声をかけてくれたことに礼を述べ、期待に答えられなかったことをわびて電話を切った。

書斎に戻って、読みかけの本を開いてから、心が少し淋しがっていることに気づいた。

四月からはのんびりして、散らかし放題の自分の身辺を奇麗に整理したい。今年の年賀状の何通かにはそう書いた。
友人の一人は、悪い病気にでもかかっているのかと心配して電話をかけてきた。
その、三月末を待ちわびる気持ちが、二月末の知人の電話で揺れ動いた。
そして、でもやっぱりめんどくさいなという気持ちは、ドック再検査の話の後いつの間にか、かえって、仕事をしたいという思いに傾いていたのかもしれない。

忙しいときには却って本を読みたくなる。
先週もずいぶんいろいろあって忙しかった。その間に、伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』続編『陽気なギャングの日常と襲撃』、嶽本野ばら『カルプス・アルピス』を読んだ。
『カルプス~』を昨夜読み終わって、今朝、以前図書館で借りて期間延長をしてあった辻邦生『西行花伝』を読み始めた。

昨夜ちらりと感じた「落ち込み気分」は、今朝はすっかり消えていて、しばらくはゆっくり出来そうだという、年の初めに期待していた時のわくわく感のようなものが生まれ始めている。
ボリュウムがあって手間取りそうな『西行花伝』は、その内容もう含めて今の私の気分に丁度よい感じがした。




小説を読む

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数日前から二冊小説を読んだ。時間が無いので、睡眠時間が削られることになる。

獄本野ばら『シシリエンヌ』。ポルノ仕立ての恋愛小説というか、恋愛小説仕立てのポルノというか。途中で一度いやになったけれど、ちょっと我慢してそこを越えたら最後まで苦労なく読めた。
伊坂幸太郎『魔王』。一冊の中に同じタイトルの長編とその続編とも言うべき『呼吸』が入っている。政治的な味わいの混じったファンタジー。人物の造型が類型的になりがちなところをうまくかわして、ちょっと変わっていてしかも不思議なリアリティーを持った人物が配置されている。
面白かった。

どちらも若い才能だと思う。しかしこの二冊を読み終えてふと、先日読んだ『雪国』を思い出した。
あの時はここにも悪口めいたことを書いたけれど、こうして二冊現代の売れっ子の小説を読んでみると、『雪国』の中で動いている人物像は、決して古くなっていないと感じた。
それは、ただ私が年寄りだから持った感想だというだけのことかもしれないが。

春の嵐

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朝七時半。
雨戸を立てたままパソコンに向かっています。
外ではひっきりなしに風の音がうなっています。

実家で、妻は心を痛めていることでしょう。

高齢の義父が、毎年おこなわれているゴルフコンペに参加するため、朝早く出かけたはずです。
昔の職場のOBたちがおこなうもので、これに参加することが義父のこの半年の生活目標になっていました。嵐の予報もあり、十日ほど前から義父が風邪気味だったということもあって、妻はずっと心を痛めていました。

妻が、ゴルフの日にあわせて実家に行くと連絡したら、「私が出かける日に何をしにくるんだ。私が一日家にいる日に来なさい」と義父は言いました。
ゴルフ行きを止めたいのは山々だけど止められないので、心配だからせめて実家で待機していたいと考える妻と、「心配などして欲しくない、来るのなら私のいる時に来て、頼みごとをせっせとやってほしい」と考える義父との気持ちの行き違いは、仕方のないことです。

せめてお天気だけは穏やかだと良いのにと思っていましたが、予報どおりの強風です。

せっかく心配して実家へ出かけていくのに、義父と妻はしょっちゅう衝突しています。義父にとっては、文句を言いいあう娘がいること、それも大切な人間関係の一つと思います。


昨夜の電話では、「とりあえず関係は友好的」と妻は笑っていました。
それでも彼女の心配は募るばかりのようです。

朝早く居間の雨戸を開けて外の天気を見ました。雨は降っていませんでしたが、風が吹き荒れていました。
庭の小さな桜の木が、満開でした。昨年はざるに一杯ほどのさくらんぼが取れましたが、今年も楽しみです。
強い風に千切れるほど揺れながら、枝という枝に花をつけています。
小さな体で満身の力をこめて咲いているという感じでした。

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昨日の続き

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実は、昨日の『雪国』の感想は、三分の二ほど読み終わったところで書いたものだ。今朝、早くに読み終えてみたら、感想が少しゆれた。『ダイング・アニマル』 (フィリップ・ロス)を思い出したのだ。
男と女のセンシブルな情愛の絡まりを描けば、洋の東西を問わずどこか似たような触感になるのだとなと思った。
『ダイング・アニマル』は数年前に訪問しているブログの中で教えていただいたのだった。

平行して読んでいた『ロリヰタ』も前後して読み終えた。獄本野ばらの本を選んだのは、彼が『下妻物語』の作者だったから。
小説は読んでいないが、映画は面白かった。

『ロリヰタ』には同名の長編と、『ハネ』という中篇が収録されていた。
どちらも面白かった。
男女の愛を描くという点だけは『雪国』と共通していた。時代も場所も登場する男女の年齢も異なっているから較べても意味が無い。
それでも、今の私には、獄本の描く十代から二十代若者の愛情のほうがすんなり理解できて心地よかった。

こう書いて気付いたのだが、『雪国』の駒子も葉子も十代から二十代初めの若い女性だし、そういえば『伊豆の踊り子』の主人公と踊り子も若い人たちだった。

なんだか、何もかも同じことが、繰り返しかかれているだけなのかもしれない気がしてきた。


数日前から、白猫の調子が悪い。二日続けて病院に連れて行った。
少しずつよくなっているが、妻はひどく心配している。

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ひな祭りが過ぎたと思ったら、近隣の高等学校では数日前から学校ごとに卒業式だという。

先日の人間ドックでは、医者が少し深刻な顔をしてみせた。
尿に血が混じっていたというので少し精密な検査をすることになった。第1ラウンドは無事クリアしたが、第2ラウンドが20日過ぎに待っている。
先月末にもらったオファーについては、話を持ってきてくれた人に電話を入れて事情を話し、悪い話になってからでは迷惑をかけるので、この件はなかったことにして他にあたってほしいと言った。
彼は、検査の結果を待つので、結果が分かったら連絡をくれといってくれた。私は、結果については連絡をするけど、それを待たずに他にあたって置いてくださいと重ねて言った。相手は、わかりました。でも待っていますと答えた。

間もなく終わることの分かっている仕事を最後まで全力でやりきることは、それなりにきつい。
そのせいか、このところ疲れを感じることが多い。

先日町の図書館へ本を借りに行った。
借りた本は三冊。
『ロリヰタ』獄本野ばら
『西行花伝』辻邦生
『雪国』川端康成

『雪国』は、NHKの朝ドラ『だんだん』で、芸妓が出てくることから、最近になって読む気になった。高校時代に、この小説の有名な書き出しの部分が授業で取り扱われたので、父の書架にあった『雪国』を読む気になった。最初は全く面白くなかったけれど、ある日体育の授業を「見学」にして、グランドの隅の木陰で教師の目を盗んで読み進んだら、妙に引き込まれた。何かの拍子に家で「『雪国』を今読んでいるんだ」と父に言ったら、父がいぶかしそうな顔をしたので、「文学史で必ず出てくる作品だし」と言ったら、「あんなものを学校で教えるんか?」とさらにあきれた顔をした。
<文学作品として著名なのに、作品の価値を知らない人だ>と私は心の中で父を少し侮った。

面白いと思って読み終えたことは間違いないのだが、改めて読み始めるまで、筋も感想も何も今の私には残っていなかった。
ただ、『だんだん』を観ていて、祇園ではあえて芸妓と言って芸者と呼ばないという話などが出てきて、『雪国』の「芸者駒子」の姿を確かめたくなったのだ。
しかし、読み返してよくよく考えると、中途半端でいい加減な男が、北陸の温泉地の若い芸者と数度にわたり、本来なら割り切った、しかし駒子に対しては実は不実な関係を持ち、彼女の心をある意味ではもてあそんでいると言う、いささか身もふたも無い話であった。
最も昔の小説にはこのような男女関係は掃いて捨てるほど描かれていて、そこには男の身勝手さや独りよがりぶりが溢れている。
それにしても、今にして思えば、父の感想は決して見当はずれとはいえなかった。

本当はもう一冊『ダブル・ファンタジー』(村山由佳)を借りたかったのだけれど、受付脇の検索システムで調べたら、ずっと貸し出し中らしい。4人貸し出し予約があるということは、最長8週間は待たなければならないことになる。
そう思うと、どうでも読みたいという気分が消えたので、予約もせずに上記の三冊だけ借りて図書館を出てきたのだった。
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ドック入りと雑誌のこと

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今日は日帰りコースの人間ドックにはいる。

自宅から車で三十分ほど走り、山間部の閑静な病院で半日過ごす。昨年から妻と一緒だ。
その前は、何十年も東京都内の大きな病院に泊まって検査を受けた。その二日間は仕事つきあいなどの雑事から逃れてぼうっとできるのが良いと、ずっと思っていたが、最後の数年は仕事を持ち込んで、ベッドの上でこなしていた。
それでも、最終日に病院を出た後、東京を離れる前にレストランや居酒屋で飲んだ一杯のビールのうまさは、今でも忘れられない。

昨夜は九時以降何も口に入れられないので、早々と床に入った。
いつものことで、横になればすぐ眠くなる。しかし、歳をとってからは朝の目覚めが早い。
目が覚めてから小一時間布団の中でごそごそしていた。そして新聞を取り、風呂に入った。
新聞はじきに見たいところを読み終えたので、この間から読んでいる「文芸春秋」に目を移した。風呂で読みたい時に何時でも読めるように、脱衣かごに入れてあるのだ。

もともとこの雑誌は好きではないので、ふだんは書店の店頭で見かけても手にすることさえない。
けれど、『芥川賞作品』が全文掲載されているときは、その作品が面白そうだったら買う。概ね数年に一回だ。

好きでないと言いながら、買ってみると毎回、この雑誌には面白い文章が結構たくさん載っていると思ってしまう。
だから、今回もお目当ての『ポトスライムの舟』を読み終えた後も、こうして読み継いでいる。
それでもこの雑誌そのものに関心は湧かない。

先日新聞で次の号が発売になったという広告を見かけた。もちろん全く購入意欲は湧かなかった。