帰宅

テーマ:

妻の実家の小さな行事が終わって、妻と二人で帰宅しました。


コップの中のイベントでしたが、関係者にとってはそれぞれそれなりに大変で、無事に終わって、皆がほっとしていました。


私は前の晩、妻の実家に近い小さなスナックで義弟と飲みました。酒を飲めない彼は甘いカクテルをなめ、私はワイルドターキーをオンザロックで飲みました。

30年以上になる付き合いではじめての、飲みながらの対談は、愉快に和やかに二時間ほど続き、私の舌が少しもつれ始めたので終わりになりました。

昨夜自宅に帰ってまもなく義父から電話があり、妻が出るとすぐ私に替わるように言われたようです。

「今日はありがとうございました。一言お礼が言いたくて」とだけ言って、義父は電話を切りました。

「私とは話すことが無かったみたい」と妻は少し不満そうでした。

私は出かけていって、一行8人を私の車に乗せて墓地と食事の席と義弟の家や義父の家とを行き来しただけでした。

妻は二日前から出かけて、いろいろ細かいことまで気にしている義父の相手をし、身の回りの世話をし、準備を手伝いました。


義父が満足しているので、妻も安堵していますが、自分が正当に評価されていないのではないかという不満は温存されているようでした。


それでも妻は妻で、私に何度も礼を言いました。

私はもともとたいしたことをしたつもりはないので、はいはいと聞き流していましたが、後になって、「むしろあなたこそご苦労様でした」と返してやれば気分がよかったのだろうなと思いました。


後で気づくことが多い人生です。




AD

さて

テーマ:

これから妻の実家に行きます。亡き義母の三回忌です。時間がたつのが早いというか、遅いというか。


ところで、時々読むだけにお邪魔しているある既婚女性のブログ。


たまたま今朝覗いたら、


『彼の彼女になって2年経ちました。(中略)

お父さんみたいな年の彼が私の彼だなんて。二年前のブログ記事、読むと(探り探りの自分が)とても控えめです。今の自分が大胆すぎるんでしょうね。二年もやってると罪悪感が薄れてしまうようです。』(大意)


というような内容でした。


読んだ直後は「二年もやっていると」という表現がおかしくて印象に残ったのでしたが、この記事を書き始めた今は、同じ二年が人それぞれに流れているんだなあという感覚に囚われてしまったので、ここにあえて書きました。


AD

お彼岸

テーマ:

仕事の割り振りの関係で今日は出勤日でした。


帰り道に、よるところがあったのでいつもと違う山越えの道を選んだら、山すその集落のはずれの墓地に、若い女性が立っていました。手に桶を持ち墓参を終えて墓石の前から動き出すところでしたが、今日がお彼岸の中日だったことを思い出しました。

そういえば昨夜、食後に妻が小さな手作りのあんころもちを出してきました。


気付けばそちこちの道端に赤い曼珠沙華も咲いています。

AD

誕生日

テーマ:

数年前に、このブログで皆さんに後押しされて、妻の誕生日を祝った。

その時に贈った胡蝶蘭の白い花びらの一つだけが、乾いたまま庭の壁掛けに張り付いている。


あの頃から私たち夫婦の関係は平穏期に入り、次第に熟年夫婦らしい趣を見せはじめている。

めったにここに帰ってこない娘はそのことに気付くのが遅かったようで、この間の帰省ではなにやら驚いたことがあったようだ。

「お父さんたち何か変わった?」と言っていた。


今月19日の前後は、しかし、我が家に少し風が吹いた。

義父の生活の詳細をめぐって、妻の思いに義弟も私も、そして義父自身も十分に答えていないと妻が思うような出来事があり、妻は物に当たって、扇風機を壊してしまった。

19日の朝、私が何も言う前に、妻は「あ~あ、誕生日だというのにひどい気分だわ」とこぼしていた。


事態はそのうちに改善されて、妻も気を取り直したと見え、我が家はいつもの気配に戻った。


それにしても、妻に「誕生日おめでとう」といった人は、世界に一人もいない誕生日だった。


ケーキくらいは買って帰ろうかと思わないわけではなかったが、なんとなくしばらくは放っておきたい雰囲気だったのだ。

テーマ:

台風が来る少し前から、妻が庭の柿ノ木のことをしきりに口にし始めた。


庭には大小二本の柿の木がある。大の木はある程度の大きさになってからは、ほぼ隔年に豊作と不作を繰り返して結実し、次第に実の量も増え始めた。小の木はある時期には切ってしまおうかと思ったほど生長も悪く、何十年もほとんど結実しなかった。

その二本の木に今年はどちらも、結構たくさんに実がついているというのだ。


台風の来る前に比較的大きな実を採ってくれと妻が言った。強い風が吹くと皆落ちてしまう。

赤い実を目で探し高枝切りでいくつか採った。したから見て真っ赤だった実は、落としてみると既に鳥が半分くりぬいてしまっていた。


幸いたいした風も吹かず、台風の前にはまだ小さかった実はどんどん大きくなり、赤い実も増えてきた。

毎日夕方になると庭に出て、十個くらいずつ切っている。

烏などとの競争だから、少し色づいた頃に切り取って台所で熟させる。

本当は、枝で真っ赤に柔らかくなったのが甘いのだけれど、待っているとどんどん食べられてしまう。


小の木の実は小さく少し細長くて、しかも尖っている。名前は分からないけど渋柿だったかと、ためしに一つかじってみたら、案の定口の中がしびれた。

妻は面白がって、干し柿にするといっている。


大の木の実も、店に出ているのに較べると一回り以上も小さいが、丸くて少し扁平で、ほんのり甘い。
柿



偽装

テーマ:



勤めから帰る途中で、車を運転しながら、車中に隠してあった珍味「味付きゲソ」をかじった。


この「ゲソ」は先週後半にやはり勤めの帰りにスーパーで買い込んんだものだ。買ってすぐに車中で袋の半分ほど食べた。。


その車で、実家から帰ってきた妻を駅まで迎えに出たら、車に乗るなり、「この生臭いにおいは何?」と騒がれた。

「何のこと?知らないよ。」ととぼけたら口許に顔を寄せられ、匂いをかがれて、「イカを買い食いしたね」と文句を言われた。とにかく私の間食まで管理しようと彼女は必死なのだ。


今日は、帰路の途中でゲソを食べるのをやめ、後はガムをかんでさらにペットボトルのお茶でうがいをして家に入った。家に入ると、たまたま妻は庭で畑仕事をしていた。

私はさっと食卓の脇の棚においてある「乾燥納豆」を何粒か口に放り込んだ。

この強い香りで、私が食べてきたイカの匂いは完全に隠されるに違いない。


私の帰宅に気付いた妻が庭から上がってきた。

「おやつ食べた?」「いや、ぜんぜん」「じゃあ、少しね。」

そして、小さな饅頭がお茶と一緒に出てきた。


お茶を飲みながら、昔ある女性のブログで拝見した、男性の行動を思い出した。

その女性の恋人の男性は、女性の部屋に来るとまず下着まで脱いで裸になる。そしてその部屋での着物に着替えてしまう。それはその女性の部屋の匂いを家にもって帰って妻に悟られないためのらないための工夫なのだ。

私は長い間自分の体にまつわる匂いをそんな風に気にしたことが全く無かった。

最近は、隠れて飲み食いした食べ物と酒の匂いをどう妻の嗅覚からごまかすかに結構気を使っている。


なんだか全く艶っぽくない話で馬鹿馬鹿しいのだけれど、私としては少しだけ秘密の恋のスリルの真似事みたいに思ったりもしている。


乾燥納豆





月見れば

テーマ:

先週半ばの頃、暮れなずむ夕空に半月を見た。少し膨らんでいて、満月もさることながらこのくらいの月も格別だなと思った。


その少し前に鈴木真砂女のことを少し見聞きした。

 うすものや ひと悲します 恋をして

銀座の片隅に小さな割烹というか飲み屋を開いて、俳人としても高名だった女性である。瀬戸内寂聴の「いよよ華やぐ」のモデルだそうだが、小説は小説。


真砂女が最後まで自分なりの人生を全うしたと思えるのは、彼女の才能と才覚あってのことではないか。誰にでもまねのできることではない。


恋をして結婚し、その結婚に挫折して望まぬ再婚をし、さらに「ひと悲します恋」をして家や係累を捨てる。ここまでは、そう多くはなくとも世には間々ある境遇ではないか。

時には、その恋の手前で踏みとどまって時が過ぎ、あるいはその恋の果てにはついに浮かび上がることに無い悲嘆の人生があったりして。


そのいずれでもなく「ひとの悲しむ恋をして」と人に告げて、自分の人生を最後まで肯定して見せることが出来た彼女は、幸せだったのか不幸だったのか。


満ち足りた人生などはどこにも無い。あるときは幸せ、あるときは不幸せな人生が続いていくばかりだとふと思ったりした。







思い出の連鎖

テーマ:

あなたとはちがうんです、と彼が言う場面をテレビ中継で見た。


洗面所で風呂に入る準備をしていたら、居間から妻が突然大きな声で呼んだ。

蜘蛛がいたとかゴキブリがいたとか時には猫がげろを吐いたとか、いずれにせよたいしたこともないのにいつもの空騒ぎかと、返事をしないでいたら、わざわざ呼びに来て、福田首相が辞任だってよ、と言った。

少し驚いて、私もテレビの前に座った。


何を言っているのか一度聞いただけではちょっと分からない辞任の弁だと思った。新聞記者たちもなんとなくそれ以上は聞きあぐねていると言う感じだった。

最後に一人と言われて中国新聞の記者が質問した。


質問の主意と関係なく、記者会見の全般の印象を「ひとごとみたいだ」と冒頭で陳述したのが、ちょっと面白かったが、福田氏はそれを聞き流すだろうと、私は思った。

しかし、最後にその言葉に対して彼は「あなたとはちがうんです」と切り返した。

この一言で、つかみどころのない福田首相の辞任表明の記者会見は、『歴史的な事件』になった。


福田首相の言葉に「あっ」と思ったけれど、私の記憶の連鎖は、すぐにその言葉から離れてしまった。


私が5歳から10歳くらいまで過ごした大阪府下の田舎町に、数回乳歯の治療で通った歯医者があった。歯医者の待合室には、あたりでは見かけない「中国新聞」が置いてあった。

その新聞が廣島とか岡山とかそういった都市のある「中国地方」で発行されている新聞だと言うことは,多分母に教わったのだと思う。歯医者は、きっと中国地方の出身だったので、郵送で取り寄せていたのだろう。その証拠に、たまには帯封がしたまま置いてあることもあった。


母もその歯医者にかかっていたが、なんだか悪くない歯を抜かれたと言って騒いでいたことがある。

その直後に我が家は父の転勤に従って一家転住で東京に来た。


それから何十年もして、数年前一度娘を伴って、昔暮らしたことのあるその町に出かけた。私鉄の駅を降りて少し歩くと、その歯医者がまだあった。昔の名前を覚えていないので、代替わりをしているのか、別の医者がやっているのかもわからないが、とにかく同じところにその歯科医院はあったのだ。

看板を見ながら私は「ここの待合室には中国新聞が置いてあってね」と娘に言った。


一瞬の内にそれだけ思いだしていたら、福田首相は意気揚々と画面から消えていった。

「最後に、なんだかむかついたみたいだね」と私は妻に感想を言ってから風呂に入って、湯の中に体を沈めながら、しきりと中国新聞と言う言葉からつながった思い出を反芻していた。



南部焼きのこととか

テーマ:

あるところの食事メニューに、「魚の南部焼き」とあった。

南蛮焼きなら知っているけど、これは何だろうと思い、早速ネットで調べてみた。ちゃんと答えが出ていた。


アメリカの国歌の題名は『星条旗よ永遠なれ』というのだと思い込んでいた。

『星条旗』が正しくて、『星条旗よ永遠なれ』ま全く別の曲だと、これもネットで知った。

YOUTUBEで確かめてみたら、なるほどどちらもよく聞く曲だけれど、全く違う曲だった。


ネットは凄い。

改めて感心した。