昨日の電話

仕事帰りに、昔の職場の「お姉さま」に電話をした。

以前から義理で購入してほしいと頼まれて承知したスーベニアを受け取り代金を払おうと思ったからだ。

小さな広報紙への寄稿も頼んであったから原稿の出来上がりを確かめたいとも思った。

電話に出た彼女はとても元気がなくて、余り言葉もはっきりしなかった。

よく聞くと、私も懇意にしていたM氏が悪性の腫瘍に取り付かれて、もう余命いくばくもないという。奥様から昨日の朝連絡があった。見舞いも断られたのだそうだ。

彼女はだれにもいえなくて私に話したかったのだといった。今はどうしてますかと聞いたら、来客中だという。明日はいつがあいていますかと聞いたら一日あいていると言うので午後訪問する約束をした。

家へ帰ってみたら、妻のメモが食卓の上にあった。「T子様(お姉さまのこと)から電話がありました」と書いてあった。

彼女は私が妻からの伝言で電話をよこしたと考えたのだ。話の始まり具合が微妙にずれていた理由が分かった。

M氏はある分野では結構高名な方で、弟子や孫弟子にあたる人たちが時々テレビで活躍している。

彼に会ったのは数ヶ月前で、ずいぶん歳をとられたとの印象はあったが、そのような難病を抱えていたとは知らなかった。もしかしたら彼も気づいていなかったかもしれない。

80を超えてなお、仕事場に出て行く人だった。


夜になると、70を越したばかりの友人H氏から電話があった。

声を聞いて、M氏の件かと思ったら、少しは面識のあるはずの彼にはその知らせは届いていないようだった。


「「おどろき亭」を閉めると言うんだよ。それで懇意にしていた者たちでお別れの会を開こうと思って。」


「おどろき亭」は、黒木というマスターがこの街に来て最初は小さな喫茶店を開き、次にホテルのレストランのシェフになり、やがて独立して開いたステーキ中心のこじんまりとしたレストランだった。

レストランを開いてかれこれ25年くらいだろうか。

喫茶店時代は、結構若者たちのたまり場にもなったし、レストランになってからは何度か仲間で借り切って飲んで騒いだこともあった。もう十年近く寄り付いていない。


いわれた日は仕事がある日だった。

「ありがとうございます、ごめんなさい」と答えた。「案外人が集まらなくてね」とH氏が言った。

彼自身がかつては、総数100万程度の会員を抱えた全国縦断組織の幹部で、仕事でならば以前は一声で数百数千の人をすぐに集められたのにと思う。

何人集まりそうですかと聞いたら、「今のところ二人なんだよ」と聞いて本当に驚いてしまった。しかし現に私もあっさりとお断ってしまった。


時間が流れたのだと、いつものように、考えた。

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映画

テーマ:

妻がテレビドラマ『相棒』の大ファンで、私もそれなりに面白いと思っていて。


劇場映画になるということがわかったときから彼女は「五月の連休には観に行こうね」と言っていたので、こればかりは袖に出来ないものだと思っていた。


ここで4月6日の記事にしたおしゃべりの際、デートの相手の友人が「壬生さん、今度『相棒』映画になったわね」と言った。

私は「ウン、女房が楽しみにしていて一緒に観ることになっている」と答えた。

ほんの一瞬彼女は黙って、「ふーん」と言って話題を変えた。

私は何も考えずに反射的にただ世間話のように答えたのだけれど、その微妙な感じから、もしかしたら一緒に見ようかという話だったかもしれないと思った。

それは私にありがちな、自意識過剰の、気の回しすぎの可能性も高いけど。


先日連休中のスケジュールのことがちょっと話題になって、全くの軽口で「『相棒』は貴女の良い時間に一人で観てきたら?」と妻に言ったら、「それで良いわよ、あなたは誰か好きな人と行けば。」と妻が言った。

一瞬だけ、そうしたら先日の友人と行ってもいいけど、と思った。続いて、仕事が始まる前ならもしかしたら彼女と連絡を取って二度観に行った可能性もあるななどと考えた。


その彼女からは、桜の写真を送った後一度だけ、ご主人の家族との同居の話が出ていて少し気が重くて欝気味ですと、ちょっと気がかりなメールが来た。

子どもができると言うことは特に女性にとっては本当に人生の舞台がぐるりと回ることなのだろうと思った。


昨日、妻と『相棒』を観に行く日程の確認をした。

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人生を見渡す

テーマ:

歳のせいか、ちょっとしたことから「人生って何だろう」などと構えることが多くなった。


今朝は3時頃に目が覚めて後はずっと風呂で小説を読んでいた。難しくない小説を読んでいると、丁度ジョギングの最中のようにいろんなことを平行して考えてしまう。

脳が活性化するらしい。


風呂に入る前に体重を量った。いつも朝だけ量る。今朝は最近の十年くらいのうちで一番低い数値が出た。

具体的な数値は極秘なので書かないが、この二年間で上げ下げしながらゆっくりと5キロほど下がったことになる。

妻が本気で私の食事管理に取り組み始めた結果なのは間違いない。だから多分妻は今日一日機嫌が良いだろう。


そう思いながら湯船に身を沈め、一昨日図書館で借りた大沢在昌「魔女同盟」を読んでいる途中で、「人生って何だろう」という言葉が思い浮かんだのだ。


妻は私の体重と義父の健康を気遣いながら毎日生きている。

それだけで満足なはずはないのに、そのことに必死にこだわっている。


そういえば、私はこの数日、昔のクライアントが持ち込んだ小さな課題のことを考え続けて、気に入った答えが出ないことがずっと気にかかっている。


どうでも良いとか、もうやめたとか言ってしまえばそれだけのことなのに、そんなありふれたささやかなことが私たちの生活の、抜き差しならない課題になって、毎日が過ぎていく。


一目で見渡せるような人生だ。

しかし、進んで投げ出したり成り行き任せにする気になれないのも事実なのだ。



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女優

テーマ:

大竹しのぶ「私一人」を読み終えました。

一人の女性の半生を書いた自伝としてはそれなりに面白く読みました。

私は映画女優としてしか彼女を認識していませんでしたが、むしろ舞台で活躍していることが分かりました。

そういえば、三度目のパートナーは「夢の遊民社」で一世を風靡した野田秀樹でしたね。


あややんさんは私の4月13日の記事にコメントを下さって、「大竹しのぶさんの男性からみた魅力ってなんでしょう??ずっと謎だったんです(;´▽`A``」と書きました。


役者や女優としての彼女の魅力は、映画で見る限りはやはり何をやっても自然に見せる演技力だと思います。

微妙の間のずれた素朴な味わいのする演技は秀逸だと思います。


女性としての彼女の魅力は分かりませんが、彼女とうわさの上がった男性がすべて俳優や演劇人であることにその秘密があるような気がします。

彼女は真正の女優であり、彼女に関わった男性はみなその部分に惹かれているのではないでしょうか。

彼女も女優としてその男性に惹かれているのに、女性として男性を愛そうとして、結局破綻しているのではないかなどと考えました。


勝手な憶測です。


しかし、彼女が目の前にいてその言動を見聞きしていたら、並みの男性が彼女を恋愛の対象にしたくなるとは考えられません。


それにしても、彼女の子育ての悩みやパートナーとの軋轢を読むにつけ、ありふれた職業婦人(死語!)だった妻のかつての愚痴や詠嘆と余りも書いてあることが似通っているのに驚いてしまいました。


その意味では、彼女の悩みはどんな仕事にせよその仕事のプロとして生きようとする女性に共通のものだと感じました。


別れたことで、かつてのパートナーたちと仲良く交流し一緒に仕事まで出来るのは、彼女が言葉通りに仕事に生きている女性だということの証かもしれません。


そのような彼女を丸ごとひたむきに愛してくれる男性に、最初のパートナー以外に彼女は出会えなかったということでしょう。

そして、ある程度歳をとることで、それを探し続けることからようやく解放されたのだと思います。



別れること

テーマ:

妻が実家に行った月曜の夜に、飲みに出るかどうか迷いながらDVDレコーダーのハードディスクを整理していて、ついジョニー・ディップにつかまってしまった。それでアーリータイムスのオンザロックを飲みながら録画を見、短い文章をここに書いて寝た。

月曜のそのような夜の始まりは、そもそもこうだ。
以前何度かここでも話題にした、馬刺しを出してくれる一杯飲み屋がいつの間にか店じまいをしていた。
旧国道に面した畑の中に二軒続きでラーメン屋と飲み屋があって、そこへ入って行く道の入り口に縦に二つ並んだ看板があったのだが、先日通りかかったら下側についている飲み屋の看板がはずされて枠だけになっていた。驚いて店を見やったら、そちらのほうも看板が奇麗に塗りつぶされていた。
このことに気づいたのは少し前のことだった。
月曜の夕方、夕飯をそのラーメン屋で食べて、隣の飲み屋の移転のいきさつでも聞こうかと思い、家から徒歩で出かけた。ところが運悪く、ラーメン屋は定休日だった。

仕方なく少し散歩をして帰宅し、ありあわせのもので夕食を作り出したら、どんどんその飲み屋の親父と奥さんのことが思い出された。
親父との他愛のない会話やそこで見ていたテレビの場面。

隣の席で、愛人を持つのが男の甲斐性だと叫んでいた中年の男。

小上がりでもめていた、祭りの仕舞いの若者たち。
そしていつかの夏に、その店で飲んだ帰りに見上げた月の光。

そんな取り留めのない記憶が、別れとか喪失とか往ってしまったものへの感傷を引き起こし、私は妙にさびしい気持ちで居間に一人座っていたのだった。

「シークレットウィンドウ」もまた、人の心から何かが失われたときに起こる出来事を象徴的に描き出していたと感じたのだ。

昨朝は、野茂投手の野球人生が終わるかもしれないという記事を読んだ。先日報道された桑田の引退を思い出した。

人には退け時がある。つまり別れ時だ。別れても次の人生があるから、別れてもまた生きていける。

「シークレットウィンドウ」は別れの「後」がもうないときに(あるいは「後」が見つからないような別れ方をしたとき)人がどうなるかを描いていた。

それは人との別れだけではなく仕事や自負や誇りとの別れについてもいえることだと思った。


少し前にテレビで放映されたジョニーディップの「シークレットウィンドウ」の録画を、今夜一人で観た。


夫婦共通の友人に妻を寝取られた作家の話だ。


映画の始まりは、その二人がいるモーテルの部屋に、主人公の作家が何度も逡巡した挙句踏み込むシーンから始まる。


ミステリーだからプロットを書くわけには行かないが、私はそれよりもジョニーディップの壊れっぷりに、ついひきつけられてしまった。


妻を寝取られた男の想いを絵に描けばこんな風なのかと、つくづく思わせられた。


妻は、自分が彼と関係が出来たのは夫との夫婦関係が事実上壊れた後だとしきりに強調するが、既に夫にとっては「そんなことは関係ない」というあたりに、妙なリアリティーがあった。

それは筋立てのリアリティーではなくて、ジョニーディップの演技が生み出したリアリティーだ。




ゴールデンウィーク

テーマ:

ゴールデンウィークの予定を妻ときちんと決めないうちに、二つ予定が入ってしまいました。

形だけは妻に都合を聞きましたが、「どうせ決めているんでしょ!」とやや不機嫌なOKをいただきました。


仕事を再開したことで妻は私の小遣いを増やすといっています。あるいは食事のパターンとか、自分の生活のリズムまでいろいろ考えているようです。

そんな風に私のことは考えずに自分のペースでどうぞ、というと怒ります。


旅行にも行きたいし自分の好きなことも始めたいし…妻はいつもそのことを考えていながら、義父のことや私のことを心配するのを、まるで生業のようにしています。


さて。

いよいよ仕事が本格化します。

以前から引き受けていた約束の仕事を処理し終わっていないので、それをどうこなすかも問題です。


先週、映画『うた魂』を観ました。それから『東山魁夷展』を観ました。


人と違う 人と同じ

テーマ:

先日図書館の書架で見かけて衝動的に借りてきた「私一人」(大竹しのぶ)を、他の本と平行してポツリポツリと読んでいる。

有名で才能もある女優の自伝的半生記をエッセイ風にまとめたものだ。


童顔で清純女優風の印象と奔放な恋多き女のような結婚暦と、達者で見るたびに引き込まれる映画での演技と、そういったアンバランスで矛盾に満ちた外からの印象がどう裏切られるかと思って読んでいる。


本人が書いたのか、腕利きのライターが口述筆記のようなことをしたのか分からないが、読みやすくてどんどん読める。

女優というものの生活や心理の一端が垣間見えて、面白いなと思った。母として妻として「普通に」行きたいとあがいている様子も、それなりに分かった。

そして、たくさんの修羅場を潜り抜けて行き着いた結論が「私一人」で生きることだというのも、ありふれているから納得できた。

人は結局のところ、当たり前の結論に行き着くために四苦八苦しているのだから。


少し人と変わった結婚歴と恋愛歴を持っているが、それだって他に例のないものではない。その遍歴の中で子育てについて彼女がいろいろ感じたり思ったことも、よく考えてみるとだれもが思うことばかりだった。


同じだけれども少し違う。違うけれどもどこかで共通している。

書き手はどんなに違っているかを書き、読み手は、ああ、私もおんなじだと思うのだ。









パートナーの死

テーマ:

妻がテレビを見ていて、「都はるみの亡くなった相手って、『普通のおばさんになりたい』っていった時の相手のひとかしら」と言った。そのときはよく分からなかったので、後でネットで調べてみた。4月始めに亡くなった中村一好氏と都はるみは、仕事でも生活でもずっとパートナーだった。しかし、中村氏にはまだ籍を抜いていない妻がいて、葬儀その他は一切そちらで執り行われたらしい。


都はるみは葬儀への参列もかなわなかったとも、いくつかの記事には書いてあった。


中村氏と都はるみの記事を探していて『はるみの徒然草子』という都はるみ自身のブログに行き当たった。


逐一丁寧に読みはしなかったが、たまたま中村氏の名前が出てくる二つの記事を目にした。

一つは2006年11月のもので

『中村が鼻歌を歌いながら帰ってきました。

「吉岡さんと神楽坂で呑んでくるから」と夕方出てゆきました。
「わたしも一緒じゃ駄目?」と聞いたら、「ウウン・・・、今日のところは」ということだったので遠慮させていただきましたけど・・・。

どんな話をしてきたのか、何の報告もありませんでしたけど、わたしにはわかるような気がします。(後略)』

と書かれている。吉岡さんというのは中村氏の以前の仕事仲間のようで、その酒も仕事がらみの酒のようだ。その気配から中村氏が新しい仕事を始めようとしていることを感じて、都はるみ自身も心をうきうきさせている様子が、書き出しの文章から伝わってくる。


もう一つは、最新の記事で

『千秋楽に舞い込んだ訃報』というタイトル。
『2008.03.20 Thursday - 23:43 - - by harumi
わたしのマネージャーの蓑毛政嗣が、半年余りに及ぶ闘病生活の末に、18日の日に54歳の生涯を終えたそうです。

新宿コマの千秋楽が終わるまでは伏せておこうというご遺族の意向で、わたし自身知らされたのは終演後30分たってのことでした。

蓑毛の冥福をこころよりお祈りします。

(詳細については、近々、中村の方より報告があると思います。)』


この記事の最後を見ると、都はるみがこの度の別れを全く予期していなかったことがよく分かる。

先の記事と合わせてみても、二人は仲のよい信頼しあったパートナーであったことは間違いなさそうだ。


だからこそ(死んだ中村氏の悲しみや苦しみは今となっては思い測ることも出来ないが)彼の妻と都はるみの悲しみや苦しみ、怒りや憎しみなどの感情は、勝手な憶測だが少しは推し量れるような気がした。


以前そんな話題をこのブログでも何度か扱ったけれど、今度のニュースから、金子光晴の愛人のことや、朝日新聞の「愛の旅人」で取り上げられた貞奴のこと、そしてsakuraさんの先輩の方の話などを思い出した。


悲しいばかり寂しいばかりの別れは、どれほど切ないものであってもむしろ別れとしては幸せな部類にはいるのかもしれない。