つるべおとし

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秋の日の入日の速さと競うように、私の時間も飛んでいく。

今週初めには「暇でしょう」などと失礼なことを言って仕事を押し付けていったやつがいて、なんだかますますせわしい。


今週は義父を妻と三人でドライブした。アシカやいるかのショウを見た。

ショウはクリスマスバージョンになっていて、調教師たちはみんなサンタクロースだった。


私がきていることを知って義弟が会社帰りに実家に立ち寄った。

「お義兄さんと話したいから」といって一時間ほど話していったが、自分のダイエットと映画と仕事の話だった。私は楽しく聞いていたが、義父が彼が帰った後で「あいつはほとんど人の話聞かん。ずっと自分のことばかり話している。しかもわしが一度聞いた話ばかりだ。認知症になりかかっているのではないか。」と妻に言った。

彼は私に話に来たのだからお父さんへの話とダブっていても不思議はないのだけれど。


明日はちょっとしたイベントがある。それに出れば古い友人に会えるかもしれない。

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心を覗く

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このところ、読書や映画鑑賞に人の心のひずみを覗くようなものが続いた。

『イン・ザ・プール』『クワイエットルームにようこそ』そして絲山秋子の『逃亡くそたわけ』。

『逃亡くそたわけ』はその題に惹かれて映画を観に行くつもりだったが都合がつかなかった。昨日本屋を覗いたら文庫本が出ていたので買った。奥付を見ると、今年の8月に文庫本の初版が出ている。まだ経過をちゃんと読んでいないが、もっと前に出版された作品が映画化にあわせて文庫本化されたのかもしれない。


心の病を素材に小説を書いたり映画を作ることは難しい。見ているほうにも複雑な心理的葛藤が生じる。

しかし逆に言えば、病んでいない心などは存在しないともいえるのだ。


読みかけだけれど『逃亡くそたわけ』は面白い。面白いけれど人によってはいやな読後感を持つかもしれない。

私は『イン・ザ・プール』も面白かった。テレビの深夜放送から録画したそれをDVDプレーヤーで見ていたら妻が傍でその大半を一緒に見た。見ている間は私と一緒に笑っていたが、最後に「笑い事じゃないわ。」といった。

家を出る前に何度もガスや電気を調べ戸締りにこだわる妻の所作は、登場人物の一人と余りにもよく似ていた。


映画作者や小説家が巧みに現実を描けば描くほど、観客や読者の誰かは傷つくのだと思った。


そのことは少し前に読んだ『ガルシアマルケスに葬られた女』のテーマでもあった。

ガルシアマルケスが書いた小説のモデルが彼の作品によって再び社会的に葬られたという事情を、日本人がルポの手法で書こうとしたものだった。

その視点に興味があったが、読んでみると違和感が残った。

もともと文学とか映画などはそういうものだと思っていたから、作品の評価抜きにあげつらっている気がして納得できなかったのだ。


そういえば、三島由紀夫も柳美里もモデル問題でもめた。


先に書いた三つの映画や小説はモデル問題はおきそうにない作品だが、それでも人間を描こうとする限りはそれに傷つく人はいるのだと思った。

読み手にそれを乗り越えられる力を与えるかどうかが、作品としての勝負なのだろう、きっと。








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寒い朝

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数日寒い朝が続いている。

今朝は四時に目が覚めた。もう一度寝なおそうとしたが目が冴えたので起きだした。熱い湯を差し湯しながら、胸の下まで風呂に浸かって、読みかけの小説を読んだ。読みながら時々関係のないことを思い出したりしていた。


先日芝居見物にいった際、帰路のマイクロの中で長老の一人が誰にともなく言っていた。


昼一生懸命百姓をすると、夜決まった分量の焼酎を飲んで良い気持ちになる。すると、八時とか九時には寝てしまう。それは良いのだけれど早寝をすると、二時か三時に目が覚めて、もう眠れなくなる。後は朝刊が待ち遠しくて仕方がない。


今朝の私もそれに似ている。しかし私にはパソコンと小説がある。だからむしろこの時間は自由で広がりのある時間になっている。そう思った。


昨朝は何日ぶりかでバイクを走らせた。東の空が白む頃の街中を歩いている人は案外多い。

一人で歩く人も二人で歩く人もいる。

町外れに出ようとしてバイパスから狭い旧道に折れたところで、その老婆に会った。

最初は、ただのウォーキングの人だと思い、近づきながら少し徐行した。すると老婆がこちらに近づくようなそぶりをした。さらに徐行しながら脇を通り抜けようとしたら彼女が手を上げた。見ると顔に擦り傷や打ち傷のようなものが見えた。

あわててブレーキを踏んでバイクを道端に寄せ、彼女に近づいた。

「どうしました」と声をかけるといろいろなことを話し始めた。声はしっかりしているが、話の内容に脈絡がない。

寒くないかと聞いたら寒いというのでとりあえず着ていたダウンジャケットを羽織らせてもう少し話を聞いた。昔住んでいた町の名前とその頃の姓を教えてくれた。子供もいるというので、今の姓を聞いたら、「うーん、なんだったかなあ」と言う。


結局私が警察に連絡して、迎えに来たパトカーに彼女は保護され、午前中に彼女を探していた家族に返された。

家族からは午後お礼の電話が入った。

数時間探して見当たらず警察に電話をしようとしていたら、警察から電話があったという。

警察は、彼女が育った町も管内なのでその地域の昔の姓の家に片っ端から電話を入れたらしい。そうしたら、それらしい縁者が見つかり、彼女の素性がわかったという。古いつながりの生きている小さな町だからできたことだ。

めがねとサンダルが行方不明だそうだ。


今朝は暖かい布団の中で朝を迎えているだろうかと、その女性のことも思い出した。


すぐに他人事ではなくなる。




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冬の便りと芝居見物

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先日仲間たちとマイクロにのってある町の地芝居を見に行きました。

東関東にあるその町に向かう途中、高速道路のPAでケヤキの紅葉を見ました。

最近の気象のせいか色もくすんでいて、まだたくさん葉が残っていました。昔はもっと落葉が早かった気もするのですが気のせいでしょうか。


サトウハチロー作詞の『もずが枯れ木で』の歌を聞くと、私はケヤキの木を思い出します。

子供の頃過ごした東京の世田谷にはたくさんケヤキがあって、もずのするどい高鳴きの声と葉を落としたケヤキの姿とが記憶の中で重なってしまうからです。


芝居は「安○ヶ原三段目」など。

江戸時代から続いていたこの町の村歌舞伎を復興したものでした。

舞台の上手には金屏風を背負って義太夫語りと三味線の弾き手がいて、芝居をすすめていきましたが、この義太夫の太夫が若い女性でした。

9年前にこの舞台が復活したときが彼女にとっても初舞台だったということでした。そのころは二十歳前後でかわいらしさが先にたっていたそうですが、今はすっかり貫禄もつき、場面に応じて何人もの声色を使い分けながら山場では上体を激しくゆすってたたみかけ、愁嘆場では絞り出すような声で場内に悲嘆の涙をさそって、見事な謡い、語りでした。


芸能としての娘義太夫が明治以降大流行したことはものの話に聞いたことがありましたが、この舞台で初めて女性の義太夫語りを聞いて、その理由の一端が分かったような気がしました。


大いに満足して夕方、自分たちの町に帰りました。

小屋の中に終始流れていた濃密なでゆったりとした空気を懐かしんで、地元でみんなで軽くいっぱい飲んで帰宅しました。

そして留守番の妻に聞いたら、このあたりは冬の到来を示す強い西風が終日吹き荒れていたとのことでした。


追記 芝居の舞台画像は削除しました。 2007/12/01


けやき



夜明け前に

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夜明け前、朝四時に目が覚めて星を見に外に出た。


西に向いた玄関を出ると、すぐにオリオンが目に入った。少し歩いて福祉施設の駐車場に出ると、雲は無く満天に星が広がっていた。

北東には大きく北斗七星。南東にはまるで飛行機の照明灯の様に明るい金星。南西にはシリウス。西にはオリオンに絡むように真っ赤な火星。

思ったほど寒くは無かったけれど、ぐるりと一渡り見渡して早々に家に戻った。


50年位前世田谷に暮らしていた頃、試験勉強に熱が入ると、眠気を飛ばすためにこうして暗闇に立って星を見上げた。それは夜更けだったり早朝だったりした。

あの頃の幼いけれど追い立てられるような前のめりの思いはなんだったのだろう。


そして、不意に母のことを思い出した。


十一時とかを過ぎる頃、「先に寝るからね」といいいながら母が二階にあった私の部屋に、冬ならばお汁粉とかお茶とせんべいとか、あるいは簡単な夜食を持って上がってくることがあった。

私がうるさがるので、毎日というわけではなかった。もしかしたら、そんなことは数回あっただけなのかもしれない。

それなのに、そのときの母の声と、顔も上げずに「うん、いいから」とうるさそうにいった私の返事だけが、時々記憶の深い奥底から何度も何度も吹き上がってくるのだ。


玄関に入りかけて立ち止まり、もう一度星空を見上げた。

小さな約束事や、身の回りのいつ済ませてもよい仕事が今日の私の予定。

何もあわてることは無い。

でもあの頃身についた習慣したがって今も私は生きていると、改めてそう感じながら家に入り、夜明けまでもう少し寝ることにした。





好きな景色

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朝五時にバイクで乗り出した。

一時間ほどあたりを走るだけだけれど、東の空がどんどん明るんでやがてすっかり夜が明ける間の時間帯に冷たい風に中を走るのは、また格別の気分だ。

ルートは三つか四つ、概ね決まっていて、走り出した瞬間の気分で選ぶ。

今朝は駅前の繁華街を抜けて南に向かうコースを走った。

私はその繁華街に一角にある老舗のパン屋の前に差し掛かるといつも徐行する。


いつか気付いたのだけれど、この店は私が走り抜ける朝五時過ぎにはもう動いているのだ。

ある朝は、丁度出勤してきた女性従業員を見かけた。別の朝には、シャッターの閉まった店先を掃いている女性がいた。それでよく観察してみると、店の横の路地から見通せる奥の製パン工場ではもう明々と電気がついてなにやら人が立ち働いているのだ。


そういえばこの店は7時に開店して、出勤前の人に焼きたてのパンを売っている。


私が小学生の頃、歩いて七・八分のパン屋に朝食のパンを買いに行くのが私の仕事だったことを思い出した。我が家は父の好みで、当時の家庭では珍しく朝はトーストに紅茶というスタイルだった。


そのことに気付いてから、私はこの店の前のまだ人通りの少ない早朝の風景が好きになった。

夏にはすっかり夜が明けている五時という時間は、今頃になればまだ薄暗いままだ。それでも決まった時間にはちゃんとこの店は動き出す。


今朝はまだ店先を掃く人影はなかったが、それでも路地の奥の工場にはいつもどおりの明かりが煌々と灯っていた。

私はその景色を見てからぐっとアクセルを吹かして走り出した。



眠れない

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昨夜、19時の電話定期便を妻がかけたら、義父が発熱しているといった。丁度図っているからと体温計を取り出したら7度8分だという。老人はもともと体温が低いし、高齢者の発熱はすぐ肺炎などに繋がって危ない。


妻は今日は予約してある毎年一回の検査のため自分が車で一時間の病院に通院するはずだった。

実家には週末に行き、その足で義父を連れて私の車で箱根に紅葉狩りの予定だった。もともとそれは十月末に父のリクエストで計画されていたが、その時は天候が悪いうえに妻の帯状疱疹が発症して延期となった。

サイクルからいくと先週末のはずだったが、それも妻の体調を見てもう一週間後にしようということになったのだ。


妻は今日の午前中に予定通り通院して検査を受け、その足で実家に向かうことにした。そのことを改めて義父に電話すると義父は、無理に来なくていいと言い張った。

そういえば昨朝珍しく実家近くに住む義弟から妻に電話があった。「体調はどう?」という話で、妻は義弟が心配して電話をしてきたことに驚いていた。まだ少しからだのあちこちが痛いというと、そう、結構長引くねといって電話が切れた。


一昨夜義父は、これも習慣となっている義弟宅での週末の食事の後、いつもなら運動になるからと送迎を断って家との間を歩いて往復するのに体調が少し悪いというので義弟に送ってもらったのだ。義弟は朝の電話でそのことに触れなかったが、妻は義父からそのことを聞いて、朝の弟の電話の意味を知った。


妻は義妹に「明日実家に行きます」と連絡を取り、いくつか打ち合わせをしていた。


妻は明日から実家だからといって早く布団に入った。しかし寝室の隣の居間でイヤホーンで音を消して録画してあった『ボーン・スプレマシー』を見ていたら、ふすま越しに布団の中から妻が声を上げた。

「眠れないよ」

物音や私の動く気配のせいかと尋ねたら、「実家に行く前の夜はいつもそうなの」と彼女は答えた。

それならば私にできることはない。

私は曖昧な返事をして、まためまぐるしいアクションの世界に没入していった。


喪失

今朝の食卓で、たまたま横においてあった携帯が光りながら震えた。私は携帯をめったに自宅の食卓には持ってこないし、震えても五回までで止まればそれはメールだから、すぐには手にとらないことが多い。

それは、スパムメールがとても多いからだ。

アドレスが短いことや、以前から仕事の関係でほとんど無制限にアドレスを開放してきたことが原因だろう。しかも、ツーカーで購入して依頼一度も変えていない。

少し詳しい人は、せめてPCからのメールだけでも拒否すれば良いというが、私の友人には年寄りが多く彼らはパソコンからしばしばメールをよこすのでそれはできない。。それならばドメイン指定で、などともアドバイスされたが、なにやら面倒で放置してある。

その結果、毎日数十のスパムメールを消去することになる。


今朝は、何気なくすぐに携帯を手に取った。

私は妻の話を聞きながら携帯をひらいた。案の定、訳のわからないスパムメールだった。慣れた調子で操作して、最後に『はい』を押してあっと思った。指が滑って、『一件を削除してよろしいか』ではなく『メールすべてを削除してよろしいか』にOKを出してしまったのだ。

あわてて電源を切るかどうかして操作を中止しようとしたが、画面には「しばらくお待ちください」が出たまま操作はなにもできず、やがてきっちり受信箱は空になってしまった。


私があわてて声を出したので妻は驚いていた。

私が「受信メールが全部消えてしまった」というと、携帯メールをやっていない妻はぴんと来ない様子で、「まあ大変ね」と余り共感せずに同調した。


それから一時間以上たったいまでも、私はとらえどころのない喪失感に悩まされている。


丁度昨夜読み終わった桐野夏生の『リアルワールド』は、高校生の群像劇のような小説で、携帯電話がほとんど唯一のコミュニケーション手段として使われている。それが最後に交換される二つの『手紙』の意味を際立たせる仕掛けになっているのだけれど、携帯が私たちの生活に果たしている微妙な役割を、今朝の出来事で改めて痛感した。



バスは「十分遅れ」で着いた

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映画『クワイエットルームにようこそ』を観て、『牛乳を注ぐ女』を見て、友人女性とおしゃべりをして、楽しく疲れてバスターミナルへ。


切符売り場が異常に混んでいる。週末なので長距離バスに乗る人が多いらしい。数台ある切符販売機の一つの列に並んだら、係員が列をとめて他に移れといった。紙ロールがなくなったので交換するのだが時間がかかりますという。がっかりしながらも仕方が無いなと思っていたら、若い男が「**行きは6時20分発なのですよ。並び替えていたら間に合わないけどどうすればいいかな」と係員に聞いていた。**は奇しくも私の行き先。腕時計を見ると6時15分。

それまで何時発のバスがあるかも調べていず、乗れるバスに乗ればいいやと考えていたくせに、速攻で私も便乗した。

「ぼくもそうだよ。何とかしてよ」

どうにもできませんというので、直接バスで買っても良いかと聞いたら、「席に空きがあれば良いですけど、必ず乗れるとはここでは約束できません。」という。考えてみたらそれは、ここで買っても同じこと。席が無ければ切符販売機は次のバスの切符を出してくる。

それで直接バス乗り場に急いだ。

日本のあちこちに向かって走るバスたちのうちの一台に近づき案内員に事情を言うと、「発車時間まで待って席が空いていれば乗務員が切符を売ってくれます」ということだった。少しほっとしてバスの傍らで待っていると場内放送で、繰り返し「バスは全席指定です。予約券か乗車券が無ければ乗れません」とアナウンスしている。

一度手を振って別れた友人がこの放送を聴いて心配して戻ってきてくれたので、大丈夫と答えた。

九割方混んでいるバスの後ろのほうの席にやっと乗り込めた。


バスが走り出してほっとしていると、すぐに睡魔が襲ってきた。座席をわずかにリクライニングして、うとうとし始めた。それほど眠らないうちに一度目を覚ましたら、まだバスは高速に乗っていなかった。夕方の渋滞に巻き込まれているらしい。バスに身も心もゆだねてまた眠り始めた。

断続的に身を覚ましていたが、そのうちバスが快適に走っていることに気付いた。やがて、途中のサービスエリアに一時停止したとき、運転手が、「ただいま予定時刻より15分ほど遅れております。ご了解ください。」とアナウンスした。

目的地まであと一時間はずっとすいた自動車専用道路なので、多分ほぼ時間通りに到着するなと、私は一人で計算した。このバスはいつも最後は十分以上早めに到着していたから。


雨が本格的に降り始めていたので、バスは少しスピードを押さえ目のような気がしていたが、それでも私の予想通り順調に走り続けていた。

私はぼんやりと暗い窓の外を眺めていた。終日連絡を入れなかった妻から、夕方携帯に電話が入っていたが、携帯をかばんに入れていたので気がつかなかった。

その妻には、バスが走り始めてすぐに携帯を見て電話に気がついたので、バスの中からそっと電話をかけた。

「夕飯どうするの」「帰って食べるから。」「何度も電話したわよ」「今、バスの中なので」「はいはい」

私はその会話を思い浮かべながら、妻に話すべき朝からの私の行動を頭の中で組み立てた。


自動車道路から降りるところでバスが停まったまま動かなくなった。どうしたのかと思ったら、ETC専用出口に車がつっかえていた。その後に数台の車が入っている。ETCを搭載していないか、カードが入っていないか、あるいは別のトラブルか。係員もこの田舎のインターでは人数が少ないので対応がとても遅い。

しばらくしてバスの運転手は、なんと禁じ手を使った。のろのろとETC専用レーンを少し後退し、一般レーンに移り変えたのだ。

しかしそのおかげで、タイムロスは十分にも達しなかったと思う。

一般道に出たバスは私の下車駅の一つ前の駅に着いた。


どっと客がおり始めた。私の斜め前の若者が立ち上がって荷物を自分の横に下ろし、ばたばたと体のポケットを探り次に二つのかばんを調べ座席の横と下を見てまたかばんを探るというような動作をしている。

私はいやな予感をしながらぼんやりその様子を見ていた。

やがて通路を埋めていた降車客の列が途絶えると彼は運転席まで走っていって運転手と何か話している。車内マイクに運転手の低い声が入った。「もう一度座席の周りなどを調べてみてください」

切符が見えなくなったのだと私は思った。そういう薄くて小さいものを探すには彼の探し方が雑で、もっとかばんの中も物の間などを丁寧にひらいて見なければだめじゃないかと思いながら見ていた。

前の座席の下に小さな白いものが見えたので、「それは違うの?」と声をかけたらちらりと覗いて若者は「違います」といった。さっと見ただけなのにその言い方がはっきりしていたので、彼が探しているのは小さな切符ではないことがわかった。改めて彼の周りを見ると、彼が座っていた席の前の座席の背もたれについているグリップに黒く分厚い二つ折りの財布が突っ込んであった。

座っていれば丁度目の前に来るはずのその財布が、立ち上がり足ものとや座席の隙間やかばんを覗き込んでいる彼には目に入らなかったのだ。

私が、「そこに突っ込んであるのは違うの?」というと、あ、あった。と彼は言い、私と周りの人に「すみませんでした」と小さな声で頭を下げた。

運転手はありましたかといって、財布から彼が出した切符を受け取り「ありがとうございました」といつものように礼を言った。若者は誰にとも無く車内に頭を下げて下りていった。

運転手は黙って待っていたし、バスの客も5・6分の間、誰も声を上げないで待っていた。私は走り出したバスの中で自分のことのようにほっとしていた。

私は物をなくすことがひどく多いので、彼の姿はいつかどこかであたふたしている私の姿が時空を越えて映し出されていたものではないかと、そんなSFじみた空想さえ頭に浮かんだ。


バスは結局十分遅れで私の下車駅に着いた。

雨の中をバイクで十分ほど走って家に帰った。

妻は夕食を作って食卓に出してあり、居間でテレビを見ていたがダイニングに出てきて私の向かいに座った。

「楽しかった?」「面白かったよ、映画も絵も。それに帰りのバスがトラブル続きでね。切符販売機が壊れて、渋滞にあって、ETCレーンに車がつっかえて、最後に若者が財布を捜して。」「でも時間通りに着いてよかったじゃない。それで一日何してたの。」

私はバスの中でおさらいしたとおりに今日一日のこと話した。しかし妻の関心は主として私が食べたもののカロリーを計算することにあるように思えた。

それさえ判ればあとは、逆に自分の今日一日を話したいようでもあった。

「ところで、これは誰にも言わないでね…」










なんとなく

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時間の流れにダラダラと流されているみたいで、最近ちょっと調子が悪い。

気がつくと、一人で「疲れたなあ」などと思っている。

疲れるほど仕事もしていないし遊んでもいないし勉強もしていない。


少し前からコスモスにこだわって身の回りを探しているのだけれど、あっと驚くような群落が見つからない。

今日は少しアテができたので出かけてみようかなと思う。


一昨日、DVDレコーダーのHDを整理していて、オダギリジョーの「イン・ザ・プール」が入っているのを見つけた。いつかの深夜放送をどんな映画かも知らず録ってあったらしい。

消すつもりで少し見ていて引き込まれ最後まで見てしまった。


居間のソファーに寝そべってぼんやりその映画を観ていたら、いつの間にか妻が傍に座ってビーズなんかをつないでなにやら作っていた。

そして突然怒り出した。

びっくりして様子をうかがったら、映画の中で「ばあさん」とか「ばばあ」とかいう言葉が出てたのに反応したのだった。

「本当に失礼しちゃうわね」


私は何も言わずまた、奇妙でやたらおかしな映画の世界に戻っていった。


そんな時間の流れ方は、悪くないけど、やっぱりまだ納得できない。

疲れた感じがするのでいまはそうしているが、そのうちまた歩き出したい。