ネグルとマスト

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数年前のこと、職場の40代の女性から「壬生さんなら、知っていますか」と訊ねられた。

彼女が示した新聞の囲み記事の中に私と同年輩の政治家の談話が引用されていて、「私はずっとそういう問題をネグってきたのです」と書いてあった。

「『ネグってきた』が分からないのですけど。」

彼女の言葉を聴いて、内心私は驚いた。

物知りの彼女が知らないことも意外だったが、あれほど当たり前のように私たちが口にしていた言葉が、実は期間限定・場所限定のものだったことに改めて気付いたからだ。


ある事柄を否定し、あるいはもともと存在しないかのようにあえて無視すること。『ネグレクトする』を日本語の動詞にして『ネグる』。

1960年代の学生たちは、生硬な議論の中でのみならず日常的な会話でもこの言葉を、丁度『サボタージュする』を『サボる』というのと同じように使っていた。


昨日AERAを読んでいて、意味が分からない表現に出会った。

記事は「働く女性 冥利の結婚」。

紹介されている事例の一つに、40台で独立して働く女性が7歳年下の企業家と結婚できたという話があった。仕事が面白くて、夢中でがんばってきたけど結婚できた秘訣は彼女自身によれば、

『24時間勤務時代も(結婚を)諦めきってはいなかったこと。「どんなに忙しくても、ピンヒールだけはマストだったなあ。完全に女を捨ててはいなかった」』

この記事の『ピンヒールだけはマストだった』がなんとなく言いたいことは伝わるのだけれど、いまひとつ分からない。

要するに『マストだった』が、数年前の彼女の『ネグる』状態で引っかかっているのだ。


この表現は、いまはありふれたものなのだろうか。





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布団の上げ下ろしまで

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未明に目が覚めて布団から抜け出した。

猫を出入りさせるときのためにいつからか今からテラスに出る雨戸を一枚だけ閉めないでおくようになった。寝室から居間に出たら、その雨戸一枚分のガラス戸から庭が見えた。

庭の景色が青白く浮かび上がっている。確かめたくて西側の玄関から外に出てみたら、案の定、半月より少し太目の月が、少し西に傾きながら煌々とあたりを照らしていた。


布団から抜け出しながら、不意に「布団の上げ下ろしまで面倒を見る」という表現が頭に浮かんだ。

ここ数日、妻が帯状疱疹にかかり、それほど重症ではないのだが、肩や背中に痛々しい疱疹が出ている。

出かけていた実家で医者に係り、薬をもらって飲んでいるし、病気にはなじみがあるのでそれほど心配していないが、一昨年に私がかかったとき優しくしてもらった記憶があるので、それなりに気を使っている。

一昨日の夕飯からは炊事や洗い物、そして昨日のスーパー特売日の買出しもも私の仕事になった。

布団を敷くのも上げるのも私の仕事になっていた。

そんなあれこれが、一瞬脳裏をよぎったのかもしれない。


私の身近な人物を考えると、息子も義父も義弟夫婦もベッドで寝起きしている。

我が家でも、息子と娘はずっとベッド生活だった。

少し変わり者の娘は一人暮らしで畳に布団の生活を選んでいるが、畳に寝て、毎日布団を上げ下ろししている生活というのも、今は世間でも少数はなのだろうか。


月を見た後、もう一度寝る前にこうしてパソコンの前に座ってから「箸の上げ下ろしにまで口を出す(世話を焼く)」が本来の慣用句だったと、気がついた。







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小説を読む

石田衣良「愛がない部屋」を読了。

図書館の開架式書架を渉猟していて、石田衣良の本が並んだ場所を何気なく見ていたらまだ読んだ覚えのない短編集があったのだ。


63歳の未亡人が同世代のやはり妻をなくした男性と恋に落ちる話が出ていた。


その話を読み終わって風呂に入ったら不意に母が死んだ直後のことを思い出した。

葬儀などの一切を終えて職場に戻ったら、十歳上の先輩が、「早く親父さんに良い人を見つけてあげることだね、まだ先の人生は長いのだから」と言った。

彼特有の弔意の表し方だと思ったけれど、やはり違和感が残った。

母は今の妻の歳で死に、三つか四つ年上の父が残った。そのときの父の歳が今の私の歳とほぼ同じだ。

私が60になったとき、母の死んだ歳の若さを改めて思ったが、父もまたこんなにも「若く」て取り残されたのだ。


結局父はその後十数年、子供のいない兄夫婦が同居したが兄嫁と折り合いが悪く、一人暮らしのような暮らし方をしていた。そして、自分のことと、離れて暮らしている私と弟の子供たちつまり孫のことを考え、あれこれ世話を焼いて暮らしていたが、心筋梗塞の発作の後一月入院して死んだ。

生活のことではほとんど愚痴を言わなかった。浮いた話など全く聞かなかったが、彼が寂しかったのかどうか想像がつかない。


今年の5月にNHKで四回連続で観た「こんにちは 母さん」でも同じような恋愛シーンが出たが、その時は父のことは全く思い出さなかった。加藤治子と児玉清の組み合わせを見ているとイメージが固定されて、父の思い出が入り込む隙間がなかったのかもしれない。

自分でどんどん世界を広げていくことのできる小説の強みと言うか、そんなことも考えた。











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物忘れの日々

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昨夜は十三夜だと、7時頃の気象情報でテレビが言った。

居間から庭に出たら、本当にスッキリと明るい月夜だった。

珍しく妻も一緒に降りてきてちょっと空を見上げた。


そのせいかどうか、七時から八時の間にお電話しますと約束して会った電話をすっかり忘れてしまっていて、布団に入った11時半頃突然思い出した。暗い寝室の中でばっと立ち上がったら、眠りかけていた妻が驚いて声をあげた。


ちょっとし忘れたことがあると言って布団から抜け出し、明日改めて電話しますと携帯にお詫びのメールを入れておいた。


土曜日は昼と夜と二回、人と会った。

昼は30代後半の女性とファミレスで。夜は昔の職場の仲間たちと小さなスナックで。

日曜日も人と会った。

フェルメールの絵葉書をもらった。


昨日も少しものを教わりに人の家を訪問した。


そうやって人と会って話をして時間が過ぎていく毎日。

何かをしているようなしていないような。


少し前から町の図書館で松岡圭祐の『催眠』を借りて読んでいたが読み終わった。


『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』という題の映画をやっているらしい。

どういうわけかこのような言葉につい反応してしまう。

わざわざ下高井戸まで観に行こうかなと考えている。







二人の知人の死 一週間の断片

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気がついたら一週間もここを留守にしていました。

どこかに出かけていたわけではないので、われながら意外です。


前回の記事の前日12日に妻と映画「HERO」を見ました。妻の肉体的心理的な疲れを取ることが主な目的で、映画そのものはそれなりに楽しめたと思うのですが、今週に至るまで妻の疲れは蓄積したままです。

土曜日に地元で友人たちが企画したちょっと大掛かりなイベントがあり、参加しようとしたのですが、それは行ってみたらあまりに混雑していたので友人に顔だけ見せてキャンセルしました。


ずっと読んでいた三浦綾子の「積み木の箱」を読み終えました。

丁度私が大学を卒業した頃の話で少し描かれている人間模様が古い気もしましたが、数年前に行った北海道の覚えのある地名が出てきてその風景が目に浮かびました。

先週末に借りた「ツインピークス」も少しずつ見ていますが映画の中身よりもそれを見ていた頃の自分の生活が思い出されました。


今週の前半は、発達障害の境界型について少しネットで調べました。


月曜日に知人と会いAさんの死について知らされました。

知人はだいぶ前にAさんの死のことを耳にしたそうですが、確かめようとAさんの近所の人に電話をしたところその人が知らないといったので、誤情報かと思いながらそのままにしておいたら数日前に別の仲間からAさんの死が事実だったときかされたのだそうです。私はAさんと昨年まで数年間同じチームでスポーツをやっていましたが、今年の春、体調が悪いのでチームから外れると連絡を受けており、その後お互いに交流が途絶えていました。しかし、すぐには生死に関わるような事態でなく元気でいるとばかり思っていたのでした。

翌日知人とAさん宅を弔問し奥さんと話をしました。70代半ばでしたが、7月はじめに急死したそうです。生前、仰々しい葬儀はしないようにといわれていたので、身内だけでひっそり済ませたようでした。万事にマイペース名人でしたが最後までそのスタイルを貫きました。

昨日そのチームの試合があり、チームの八十になる長老にAさんのことを報告しました。彼も驚いていましたが、「人に迷惑をかけずポックリ逝くのが一番だな」とそれらしい反応でした。

もう一人の先輩にも告げましたら、やはり驚いていましたが続けて「実はBさんの葬式が数日前にあったよ」と彼が言いました。

私はBさんともある時期仕事がらみで十年ほどお付き合いがあったのですが、もう何年も会っていません。この先輩とBさんが仲がよかったのは覚えていますが、彼も一年ほど会っていなかったそうです。

Bさんは奥さんを数年前に亡くし一人暮らしをしていたのですが、死後一日二日して訪れた人が遺体を発見したのです。

駆けつけた子供さんや親戚が葬儀を行いました。私の先輩は最後まで親交のあった数少ない友人と言うことで連絡をもらったようでした。

長老はBさんと同じ町内に住んでいるのに、そのことを知りませんでした。きっと葬儀はひっそりと行われたのでしょう。


当たり前のことですが歳をとるとこういう別れがどんどん増えていくのだなと改めて実感しました。


午前中にここまで書いてアップせずにパソコンから離れました。


昼食が終わり少しテレビを見てから、パソコンに戻りました。

先ほどニュースで伊勢の赤福工場煮立ち入り検査が行われているとのニュースがありました。

ライブの映像が出ていてテレビ記者が傘をさしているので外を見たら、このあたりも午前中の明るい陽射しはすっかり隠れて、空はどんよりしてきています。夕方には雨かもしれません。

こういうときには、日本の天気は西から変わると言うことを実感できます。



二つの不満足

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今日も、いつものように淡々と過ぎた一日だった。

体は少し疲れ気味。

午前中、頼まれて英語を見ている中学生が来た。

午後、ビデオレコーダーのHDDの整理と読書。


三時頃電話。夏にこの町に遊びに来た少年の母親から。

彼の中学進学について相談に乗ってほしいとのこと。在籍している学校の教師とよく相談し、教育委員会にも問い合わせ、疑問点はできるだけマメに調べてから判断することをアドバイスした。

いくつかネットで調べてほしいことを頼まれたので承知した。

ネット検索で探して、記事を三つと書籍紹介資料一つをプリントアウトし、メール便で発送した。

家を出たついでに、この町の唯一のショッピングモールへ。


思いついてキャッシュコーナーで銀行から小遣いを下ろした。土曜日なので手数料を取られた。自分の口座から金を下ろすのに金を取られてなんだか不愉快になった。お金を下ろすのが今日でなくてもよかったので余計に気になったのかも知れない。お金を下ろす前に手数料がかかるとのメッセージが出たのだけれど、わずかの金額のためにやりかけた作業を止めるのもいやな気がして、そのままお金を引き出したのだが、そういう自分の中途半端さがいやだった。気にしないのから気にしない。気になるのならそれらしく行動する。それがどちらもちゃんとできない。


ほんの少しむらむらした気分を収めようと、書店兼レンタルビデオ店に。

ぷらぷらあるいているうちに、また思いついて『ツインピークス』を借りた。

10数年前職場の若い同僚がはまっているのを聞いて、半信半疑で見始めてレンタルのVHSで数週間がかりで見た。

筋の詳細は忘れたが、あのビデオを見てから私は車に小さなテープレコーダーを置いて、通勤途中にその日の予定などを吹きこんだり退勤中にその日の出来事を声でメモしたりするようになった。


少し前に、ある友人がツインピークスを繰り返し見ているというのを聞いて、いつかもう一度見たいという気になっていたのだが、先日レンタルショップでDVDになって並んでいるのを見て、近々借りるチャンスを狙っていた。


旧作一週間100円という広告カードが店内にいくつも貼ってあったので、三本抜き出してレジにいったら、600円ですといわれた。300円じゃないのと確認したら、これは準新作扱いなので一週間200円です、といわれた。

私がレンタルシステムに気付かなかっただけなので、ああそうかとお金を払ったが、また少しモヤッとした。


自分のやろうとしていることが微妙に現実とずれ始めているのではないかと気になり始めた。


夕食のあと少しぼんやりテレビを見てからパソコンの前に座った。


今朝来た少年は明日もお願いしますという。目の前の中間試験とそのずっと先の高校入試が心配で、思ったよりまじめに教わりたがる。しかし、自分でがんばるというよりは私のところに来ることで安心したがっているようにも見える。

それでも、意欲は意欲だと思う。

若いということは、そして自分の可能性を信じているということはなんとも素敵だ。だから私は、彼が来るのが楽しみになりだしている。


いま、ここにそう書いたら、夕方の二つの不満が、すっかり消えた。







金木犀

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小説などでも、場面の描写に金木犀の香りが使われているのを何度か目にしたような気がします。昨日メールをもらってから改めて気がついたのだけれど、私が時々お訪ねするブログだけでも、この間に複数の方が金木犀に言及されていました。


昨日は思ったように金木犀探しができず、結局家の周りを一回りしただけで金木犀は見つからずに夜を迎えました。夕食時、このあたりで金木犀が植わっているところはないかと妻に尋ねたら、なぜそんなことを聞くかと多少いぶかしがった後で、「今日、お花の稽古の後でいつものように(お仲間の)**さんたちとファミレスでお昼を食べたとき、駐車場で誰かが「あ、金木犀の香り」といったわね。いまが季節なのよね。」といいました。

このあたりにはないのかと重ねて聞くと、「そういえば、裏の家とウチの境目に植わっていたような気がするけど、この春にお隣が垣根をすっかり剪定して、背の高い木はみんな縮めてしまったから、いまはどうかしら」ということでした。


昨日ざっと回ったときは気がつきませんでしたが、その話を聞いて今朝6時過ぎにもう一度家の裏に回ってみました。


裏の家は我が家との境目に植え込みの垣根を作っていたのですが、数年前に地元で勤めている独身の娘一人を残して、一家でご主人の転勤に伴う転住をしました。その後、娘の用心を考えてか、庭や玄関の見通しがいいように家の垣根の植え込みをすべて大人の胸丈くらいに切りそろえてしまったのです。

我が家とは入り口が背中合わせのため、家族がいる頃からほとんど日常のお付き合いはありませんでした。


密集した垣根の植え込みは金網のフェンスの向こうで青々と茂っていましたがゆっくり見て行っても金木犀は見当たりませんでした。

やはり切り倒されたか妻の思い違いかなと思ったとき、ふと甘い香りが漂いました。

幾度もかいだことのある懐かしい香りで、あ、これかなと思いもう一度念入りに垣根を見ていきましたら、こちらから見ると植え込みに隠れるようになって、小さく刈り込まれた金木犀が見つかりました。

花のついた枝も少なく、我が家の側からは気をつけないとちょっと見つからない位置でした。

金網越しに手を伸ばし、小さな枝を一枝折って、もう一度その香りを確かめました。


姿ではなく香りでそのありかを教えてくれたのが、いかにもこの花らしいのだと思いました。


金木犀

花の香り

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金木犀の香りのことを、メールで書いてきた方がいて、ブログでも目にして、気にかかっています。

名前はよく知っています。

きっとたくさん目にしているのだろうけれど、その姿も香りも、金木犀だと見分けがつかなくて。


今日のテーマは、金木犀を探す、にしました。


人の思い出

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久しぶりに妻の実家に二泊して、真夜中に目を覚まし水を飲みに台所に入った。


義母が健在の間はその狭い空間は義母の鉄壁の城だったから、特にずっと『お客』だった私には足を踏み入れるチャンスなどなかった。

義母は料理自慢だったから、アコーディオンカーテンの奥から魔法のように作り出されてくるさまざまの手の込んだ料理は、泊まった翌日の朝ごはんまで毎回旅館のそれのように、私の好物を考えてきちんと形が作られていた。

だから、いつも楽しみにしていた。


始めてゆっくりと台所を見回して、義母のにおいが色濃く立ち込めているのを感じた。

あちこちに考え抜かれて置かれた調味料入れや香辛料入れの側面には、白い紙が貼ってあり、書道師範の資格も持っていた彼女の端正な筆で、一つ一つ内容物の名前が書かれていた。

手のひらに入るくらいの卓上時計型キッチンタイマーが、丁度目の前に来るように流しの上の食器棚の隅に立っていた。

彼女が車椅子に乗るようになって二年。それは、結婚以来全くそんなことをしたことがなかった今年九十の義父が台所に立つようになった期間でもある。

その間も、病院で寝込んだ最後の数ヶ月を除いて、義母は何とか車椅子でこの場所に入り、父や手伝いに行った娘である妻を指揮し指図した。


リビングもダイニングもそしてここの住人だった者のそれぞれの部屋も、この一年で義父の強い意思に合わせて、彼の一人暮らしに便利なように模様替えされ、義母の遺品もどんどん始末されて、義母は義父の思い出の中で生きるように数枚の写真と、数枚の書と数冊の書物のなかに納まるようになっていた。


しかし、今は義父と娘しか入らない台所は、現在も義母が生きていた時のように使われていた。

彼らはいまだに彼女の指揮の元でこの場所を使っているように、真夜中にそっと入り込んだ私には思えた。

私は義母の息遣いを感じ、私がついに見ることのなかった、この場所で毎日夫と子供と来客のために立ち続けた彼女の姿を生々しく思い浮かべた。


義母の一周忌にふさわしい気分だったと、今でも思う。






エスカレーター

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今日の午前中、横浜馬車道近くの映画館で『パーフェクト・ストレンジャー』を観た。家に帰ってからネットでレビューを見ると、結構悪口を書いている人が多かったが、私は娯楽映画としては並みの水準をクリアしていると思った。主演女優はネットの情報によればアフリカ系とコーカソイド系のハーフらしいが、大層魅力的だった。


駅の構内で行き帰りにエスカレーターを利用した。

左に立って右を空けると、急ぐ人が歩いて行く。

それを見ながらいつも思うこと。

先日関西に行ったとき、大阪では右に立って左を空けた。神戸はどうだったか覚えていない。しかし西日本はみんなそうかというと、昨年の今頃行った九州では、東京と同じように右を空けたように思う。

先日の京都でさえ、確かみな右を空けていた。

名古屋でも右を空ける。

エスカレーターで右に立って左を空けるのは大阪だけだろうか?


今でも7月にお盆をするのは東京くらいで、日本地域の大半は8月に盆の行事をする。

しかし、本来は盆に行う挨拶の「中元」の贈答は東京にあわせて全国で7月にする。

七夕は全国で新暦の7月にするが、一部の町では8月にする。


エスカレーターもそうだが、狭くて各地域の均質性の高い日本でも、結構地域差があるのが面白い。