秋風

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書斎から庭を見たら、妻が畑を作っていた。


昨年、旅先で知り合った方が送ってくれた「かき菜」の種から菜っ葉を育てて何ヶ月も食べた。春に種を取ったので、昨年同様彼岸過ぎのいま、種まきをするというわけだ。

昨日、肥料の散布は手伝ったが、畝作りと種まきは断った。


足元に猫がくっついていた。

何を考えているのか、妻が庭で畑仕事をしていると猫が傍でそれを見ていることがよくある。

「ほら、ふんじゃうからどきな」

妻が話しかけているのが聞こえた。


風が流れて、まだ青い木々の葉っぱがきらきら光った。


そんな風景を見ていて思い出した。


午前中に、古い友人に電話をした。

昔の仲間たちだ集まって作っている会員数十人の懇親会がある。私は頼まれてその懇親会の世話人のメンバーになっている。来週世話人の集まりがあるから伝えてくれと一昨日事務局長から電話があった。それで、連絡網にしたがって、私より三つ年上の世話人メンバーIさんに電話をしたのだ。


Iさんは家に居た。電話に出ると、「ああ、壬生さんかい」といった。連絡事項を伝えると「ウンわかったありがとう」といった後「最近は何をしてるんかい」と訊ねた。

二週間前に同じ世話人会で会って話をしたばかりだったので、少し奇異に感じた。

どうやらその前に何ヶ月も会っていなかったので、先日会ったことを忘れてお決まりの挨拶をしたつもりらしい。


とりあえず、私自身についてのとりとめの無い話をしてから、彼の体調を聞いた。少し調子が悪いところがあると、二週間前に直接会議の合間に聞いた話を、彼は繰り返した。


自分の加齢を強く実感するときというのは、こうして古い友人の加齢現象をを目の当たりにしたときだ。


妻が出かけていたので、電話器を置いた後、昨日スーパーで見かけて買っておいたイチジクを食べた。

子供の頃住んでいた家にイチジクの木が二本あって、季節には結構沢山実がなった。

熟れきっておしりがはじけかけた位の実をもいで食べると、とても甘くて、しかし食べ過ぎると口の端がかゆくなった。

そんなことを思い出しながら、穏やかな甘さを楽しんだ。

無花果



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慌ただしく

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ブログでお邪魔している皆さんが、せっせと働いていらっしゃる。それに較べると私の生活の時間の流れはいかにもトロい。

しかし、ワタシ的には、これでも結構慌ただしい気分だ。

探し物は見つからないし、友達との約束は宙ぶらりんにしたままだし、妻が求めている家事の課題は手つかずだし。


そんな慌ただしさの中、昨夜は、昔からの女友達と夜の七時半から午前1時まで、お喋りにうつつをぬかした。

ファミレスのドリンクバーだけで、五時間半粘って、二人分630円払って店を出た。


小説の感想。

私が薦めた「柔らかな頬」を読んだと、彼女がメールに書いてきて、その感想内容に私が納得がいかなくて。

彼女が持ってきた「柔らかな頬」を開いて、テキストに直接当たりながらの検討会。大昔に経験した大学のサブゼミみたいな気分になった。

この件は私の読み違いということで、私には収穫があった。


続いて、彼女から借りていた「団塊格差」文春文庫(三浦展)を返しながら感想を話した。彼女の夫君のご両親が丁度団塊世代なので、その研究のためにこの本を読んだという。

この本の話では、彼女はいくつか気付いていなかったことがあって、私の指摘に感謝していた。


「残虐記」を渡して、「グロテスク」を借りた。


福田内閣の話や、死刑廃止論の話や、テロ特法の話。

私の関西旅行の話と、彼女の計画している紀伊半島の旅の話。


一人で暮らしている彼女の父親の話と、夫君の家族の話。


最後の一時間は子育ての話になった。

本当は数人子供がほしい。そして、父一人の実家の名前も一人には継がせたい。そんな古風な夢を彼女は口にした。

何人もの子供を育てる難しさに、子供ができもしない今から怯えている様子がわかった。

友達の口からいつも聞く子育ての愚痴の数々。

夫君の実家とのつながりや、子供が保育園幼稚園小学校と進んでいく中でぶつかるかもしれないさまざまのトラブル。


大丈夫だよ、大丈夫。

そういって、彼女と別れた。

まん丸の月が人気のなくなった駐車場にたっぷりと青い光を流し込んでいた。



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旅のあとさき

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旅行をはさんで、レンタルDVDで映画を観た。

「いつか読書する日」。何十年も一つの恋を抱え続ける話。成就しないと、続くんだなと思った。

旅に行く前に駆け足でかいつまんで観て、帰ってからゆっくり観終わった。

田中裕子は、ずっと前のサントリーオールドの宣伝が好き。『恋は遠い日の花火ではない』ってヤツね。

妻に、一緒に観る?と聞いたら、あの暗くぼそぼそした演技がいやなの、と断られた。

この映画でも、一貫して「辛気臭い」女を演じきっている。でも、あの、全身からかもし出される雰囲気はよかった。

そして、岸部一徳との「ずっとしたかったことをしたい」「全部して」というせりふのやり取りも、現実にはあんなふうには言葉は出てこないだろうが、現実よりもリアルな官能性に満ちていた。

持っていった本は四冊。

読みかけだった「団塊格差」をかなり読み進んだ。これは今日読了。

桐野夏生の「残虐記」も読みかけを持っていったのだけれど、全く進まなかった。

三浦綾子の「積み木の箱(上下)」にも手をつけられなかった。

「いつか読書する日」を昨日返しに行って、代わりに「パプリカ」「メメント」を借りてきた。パプリカは今日見てしまった。

パリ行きで壊したデジタルムービーを9月10日に修理に出したら、関西旅行の直前に戻ってきた。保険をかけてあったのでその修理費を請求しようとしたが、ずっといろんな書類が見つからなかった。

最終的に一昨日パスポートが見つかって(そんなものまで時々見当たらなくなるのだ)、書類一式を発送できた。

関西から帰ってきた日が妻の誕生日だった。行く前には覚えていたし、「今年は何もいらないからね」とも言われていた。

大阪で会った娘にはその日が誕生日だったからおめでとうといったのに、妻の誕生日のことは帰った日にはすっかり忘れていた。

寝る前にビールを飲んでいたら、「今日私、誕生日だったよ、朝から何回も自分におめでとうって言ってたんだ」と妻が言った。

頼まれていた「赤福」の土産は忘れなかったけれど、ちょっと、しまった。

しかし、二年前のことまでは誕生日のことなどお互いに会話にも上らなかった のだから、こんな話になるだけ二人の距離は近づいているのかとも思った。





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関西行きの記録

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たまにはいいかなと思い、行きは羽田から伊丹に飛びました。新幹線・東京大阪よりわずかですが安かったのです。短い旅行は持ち物も少なく、搭乗手続きも余り面倒ではありませんでした。

伊丹から阿倍野まではバスで30分。これも便利でした。墓参のことはもう書きましたが、その後は難波に出たいので墓まで来るのに使った阪堺電車を使わずに南海電車に乗りました。

駅までの道は母や父に手を引かれて、兄弟がそろって歩いた頃と余り風景が変わっていない路地や家並があって、真夏のような日差しのせいばかりでなく、眩暈がするような思いでした。

あややんさんの記事にひかれて、たこ焼き屋を目指しました。

ミナミのたこ焼き屋というと、何とか橋のたもとの「おおタコ」が有名ですが、それと違うようなので余計に好奇心をそそられたのでした。

ジュンク堂はすぐわかりましたが、たこ焼き屋はすぐにはわかりませんでした。「NHKが取材に来た大阪一うまいたこ焼きや」という看板が目に入り矢印に従ってそこに行ってみました。屋台のような店で、行列ができていました。日差しの強い道路に10分ほど並んで待ってたこ焼きを手に入れました。奥に入ると四つか五つの丸いすがあって、そこで食べます。ソースは自分で塗るのですが、塩が無かったので、あややんさんのいうお店でないことがわかりました。

通りに出て少しあたりを歩くと写真の場所に出て、そのうちの一軒(写真では奥に見えている)店で「ねぎ塩」を注文しました。

とてもおいしいたこ焼きでした。

その後、梅田に出て娘と待ち合わせました。

普段は履かない黒靴を履いて出たので、足にまめができ始めていました。

娘はそんな私に遠慮せず電気屋と本屋につき合わせました。足が痛いといったら、足に合った靴を履くことの重要さを、とくとくと述べていました。

お茶を飲み、食事をしました。

私は早めに切り上げて、ホテルに入りたいと思い始めていましたが、娘はずいぶん溜まった話があると見えて、延々と話し続けていました。

翌日は神戸で結婚式と披露宴に出ました。

式の後喫茶店で、同席していた兄と話しをしました。昨年義母の葬儀に来てくれたので,会ったのは一年ぶりでしたが、ゆっくり話したのは何年も無かったことでした。

夜は京都に泊まりました。

次の日、三日目は朝早くから錦小路を歩き、さらに以前から行ってみたかった竹田まで足を伸ばしました。竹田に行ってみたかったのは、ずっと昔に聞いた美しく切ない子守唄の思い出があったからです。

しかし、電車の駅の出口は広い自動車道路の前に開けていて、あたりにはありふれた住宅街が広がっているだけでした。歴史めいたものに触れるには少し思い切って動かねばならないようでしたが、名古屋で友人と待ち合わせているので、あきらめてまた京都駅に戻りのぞみに乗りました。

名古屋では、駅ビルのレストランで昼食を食べながらお喋りをし、さらに51階のカフェ・ド・シェルで「あんみつのコーヒーかけ」を食べました。

東京駅からバスに乗って家に着いたとき、丁度夜の9時でした。妻へのお土産は京都駅で買った「赤福」でした。

写真は、大阪ミナミのたこ焼き屋の看板と名古屋駅51階で食べた「あんみつのコーヒーかけ」(右手のポットにコーヒーが入っています)
千日前

コーヒーあんみつ



暑い暑い関西から

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昨夜帰って来ました。

旅の主な目的は縁者の結婚式と披露宴に出ることでした。そのついでに墓参をしました。

娘と食事をし、久しぶりに兄弟と会って話ができました。

できたらとしたいと思っていた名所めぐりはほとんどできませんでしたが、なかなか会えない大切な友人とあって話ができました。


けさは朝から体の芯が疲れています。

友人からは緊急の手伝い依頼。


今日は一日ばたばたします。


一昨日の記事で触れた路面電車です。


阿部野界隈

旅の宿から

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昨日は路面電車に乗って墓参しました。

彼岸にはまだ一週間ありますが、縁者の祝い事に合わせて大阪に来ましたので、一年ぶりにおまいりしたのです。

真夏のような日差しの下で汗だらけになって、歩きました。

人気のない墓地で墓石に水をかけながら色々考えました。

母も父も、こうして誰もいないときに一人で墓参をしていたのでしょう。

母が生きている間は、父は日常生活のことは一切母任せでしたから、季節の節目ごとの墓参も主に母の仕事でした。

たまには幼い私を連れて墓参をしたけれど、私達子供がある程度大きくなってからは多分一人でこんな風にここに来ていたのではないかと、初めてそのことを考えました。

母は今の私よりも若くして死にましたから、そのあと十数年は父がこうしてやはりたった一人で自分の親や妻の入っている墓を掃除していたのだとも思いました。


墓参を終えてから、初めから予定していた通り難波に出ました。

いつもお邪魔しているブログの記事にあったたこ焼き屋を探してジュンク堂難波店を探したのです。

行けば分かるかなと思っていたら、なんと何軒もそれらしいお店が。とりあえず三軒見つけましたが、どのお店も行列ができているのです。

塩味がポイントかと思ったら少なくともその内二軒は塩味も売り物に。


むむ。


「アリババと40人の盗賊」を思い出しました。印がいっぱいあって求める場所の区別がつかない。


結局二軒はしごをしておなかいっぱいになって、三軒目はパス。

どちらもとてもおいしかったので、とりあえず満足。

でも本当は何処だったのかと疑問は残りました。


旅先からなので画像は帰ってから。


夕焼け

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昨日の夕方、客間の雨戸を閉めようと西向きの空を見たら、夕焼けが消えるところだった。

思わず携帯で写した。


さっき、

はなさんのブログにお邪魔したら、昨日の夕焼けの写真が出ていた。


昨日の夕方は関東のあちこちで空を見ていた人がいたのかもしれないと思った。


夕焼け

「シッコ」を観終わり保険会社に電話をして、ファミレスで昼食をとった後、改めて先ほどのシネコンへ。せっかく大都会へ出てきたのだから、映画をもう一本。

今度は「プロバンスの贈り物」。フランスのぶどう園を舞台にした恋愛映画との触れ込みだったので、少し物悲しい恋の話を勝手に予想していたのだけれど、ハッピーエンドのラブコメディーだった。

原題は Good Year 。

もしかしたら、いくつかのかけられた意味があるのかもしれない。あくまで憶測だけれど例えば、「ぶどう酒の当たり年」みたいな。


予告編の始まる少し前に客席に入ったら、先客はたった一人で白髪の女性が中段の少し中ほどに座っていた。

私は中段の通路際の席を取ってあったのだが、二人きりの客なのに、彼女から一席を開けただけの場所に座らなければならない。

なんだか居心地が悪くて、予告編が始まるとすぐに二つ後ろにずれて座った。


まもなく一人の老人が来た。彼は遠く離れた席に座った。本編が始まる直前に中年の男性が入ってきた。私の横に立って切符をチェックしている。

ごめんなさいとささやいて、ひとつ前にずれた。私がさっき移った席が彼の席だったのだ。

本編が始まって、少し安心したら、しばらくして、中年の女性がやってきた。

私の真横に立った。私は謝ってひとつ前にずれた。結局もとの席にもどったのだ。


観終わって場内を見渡すと、私の気付かない間に入ってきていたのかそれとも先に居たのか、観客は全員で7名だった。


映画は他愛の無いお話だったが、気の利いたジョークやくすぐりがところどころにあって、それなりに楽しく観られた。

今日の本来の課題だったカメラと修理の話も一応一段落したし、私はよい気分で映画館を出た。

こんなときは妻にお土産をというアドバイスをもらっていたので、コーヒーショップでケーキを二つ買って、まっすぐに帰宅した。家に着くと夕食の用意ができていた。


妻はケーキの一つを冷凍庫に入れ、もう一つを二つに割って食後のデザートに出してきた。


そういえば、往路の途中で立ち寄った高速道路のサービスエリアで、昔の同僚に会った。彼は仕事で出張するところだといった。

今度再婚するので、昔の仲間でスナックに集まって祝い会をするからと、一昨日彼の仲間から連絡があったばかりだった。

「おめでとう。相手はどんな人?」と訊いたら、この人だよと、傍にいた女性を紹介された。

出張の車に同乗して、今まで住んでいた東京のアパートに荷物をとりに戻るのだという。


昨日は、なんとなく小さな出来事がいいほうに片付いたという印象の一日だった。





7月の旅行でデジタルムービーが壊れた。添乗員が事故証明を出してくれたので、事前に入っておいた保険を申請した。申請期限があったので、早めに電話で申請しておいたのだが、その後の具体的な行動を放置していたら、保険会社の担当から、「過日申請された保険の件はその後どうなりましたか」と問い合わせが来た。丁度その直前に妻からも責められ、メーカーに電話をして修理を依頼する段取りを取ってあった。

ところが、いざ故障カメラをメーカーに持ち込もうとしたら、件の事故証明書が見当たらない。

先日の書斎捜索活動の事案三・四件の中心はこの証明書だった。

ようやくこの書類が見つかって、晴れて、昨日その修理受付所まで出かけた。

実際には書類は保険屋に出すもので、修理受付所では必要なかったのだが、とりあえずカメラを預けた。2万円弱の見積書をもらって、保険屋に電話をした。この時に書類を手元においておく必要があった。

後は必要な書類をそろえて申請すればOKということになった。ただしどこまで保障されるかは今のところ不明だ。

保険屋に報告する前、カメラを修理所に出した直後に、当初の計画通り近くの映画館でマイケル・ムーア監督の「シッコ」を観た。

アメリカの医療保険制度の矛盾を突いて話題の映画だったが、日本人の多くの人にも観てもらいたいと思った。

なぜなら、今の日本が目指しているアメリカ型の保険制度の行き着く先がどうなるかを実に如実に示しているからだ。

保険会社が抱えている医者は、申請された書類から保険適用拒否の理由を一定以上の比率水準で探し出すことを求められ、拒否率が高ければ社内でのランキングがあがる。日本のどこかの福祉行政と全く同じだ。

カナダ、フランス、イギリスそしてキューバにムーアは自分で行きあるいは患者を連れて行く。

そこでは、アメリカでは保険が適用されずに受けることのできない医療処置や買うことのできない薬が驚くほど安くあるいは無償で手に入る。

アメリカの医療保険制度が、本当にそれを必要とする貧しい人々を直撃していることをまざまざと映画は示していた。

丁度その前後にカメラの故障のために保険を利用しようとしていたので、余計にアメリカの保険会社の論理がよく分かった。

あの制度は人々を私のカメラなみかそれ以下に扱う制度だ。