負けないで

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毎日たくさんの人々が死んでいる。そして何人かの人々の死がニュースになる。


ZARD坂井泉水という女性ミュージシャンのことは、実は全く知らなかった。歌を聴いて、ああ、これは聞いたことがあると思い、写真を見て、ああ雑誌やテレビで見たような気がすると思った。

同じ頃に現職の農水大臣が自殺した。

ZARD坂井泉水さんの死は農水大臣の死の次に報じられている感じだった。


今日、DVDレコーダーのHDを整理した。見終わったものを消し残しておきたいものはDVDに焼き、後で見るかもしれないと録画しておいたもののいくつかに目を通した。

6月18日NHKで放映された、「クローズアップ現代」の「ZARD坂井泉水特集」を観た。

彼女は、失われた10年とか15年とか言われていた時代の「若者たちの伴走者」だったのだと、番組は言っていた。

彼女と前後して走りながら中年になった男性や女性が、献花台の前などで追悼の言葉を語りながら涙を流していた。


「負けないで」と声をかけられて立ち上がれた人は、まだしも幸せだったのかもしれない、とちらりと思った。

それでもこれだけの人が彼女の歌に励まされ、たぶんこれからも励まされ続けていく。歌は歌い継がれ、彼女の実像がすっかり消えてしまった後も、新たに育ってきた人々が励まされるだろう。


番組は、自分自身の姿をマスコミから隠し続けたZARDの追想番組にふさわしく、暴露的エピソードや独占秘話の公開などはなくて、彼女の音楽が人々にどのように受け入れられていたかを検証することに終始した。

その意味では、彼女のことを全く知らなかった私には物足りない感じも残った。

しかし最後に音楽評論家が言った「彼女は(90年代を通してダントツのシングル売り上げ枚数を誇る、トップ女性ミュージシャンなのに)マスコミの前に顔をさらさないというスタンスのせいで、その実績にふさわしい扱いを受けてこなかった。そして、この死によってその真価を世に知らしめることになった」という言葉が、印象深かった。


尾崎豊にしても坂井泉水にしても、本人がどのような思いで死に向かい合ったか、知る術はない。

しかし間違いなく彼らが残したものは残り続ける。


そんなことをぼんやり考えながら番組を観終わった。










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微妙な気持ち

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 最近の妻と私のお気に入り。

 大日○住○製薬のコマーシャル。
 井川比佐志の演じる祖父に孫娘が「病気が治ったら何をしたい?」と訊ねると、老人が「恋かな」と答え、孫娘がびっくりするコマーシャルだ。

 ttp://www.ds-pharma.co.jp/CM/movie/index.html


 そして昨日。

 実家から戻ってくる妻を途中まで迎えに行って、ココスで夕食をとった。
 家に着くと妻はダイニングで大きなため息をつき、私に礼を言ってから義父に無事に帰りついたと電話かける。こまごまとしたものをかばんから出していて、「そうそう」と私に新聞記事の切抜きを渡した。義父はY新聞を購読している。そこから6月13日付で百歳を越えた老人への女性記者のインタビュー記事を切り抜いてきていた。
「父もあなたもおんなじだと、この間から思っていたの。これを読んでよく判った気がしたわ」と手渡しながら妻のコメントがついてきた。
 記事の中で老人の言葉は次のように報告されていた。
 『「今まで長生きしたいと思ったことは一度もない。毎日好きな物を食べ、好きな人と会って好きなことをして生きて来たら百歳を越えていた」と笑う。長生きできる秘訣を聞くと「くよくよしないことと。食い気と色気」と話す。…色気については、美しい女性を見たいという気持ちのおかげで「目も耳も悪くならない」と自慢していた。いつまでもお元気で。』


 微妙な気持ち。

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どんぴしゃ

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 携帯写真がぼけて困ると書いたら、あややんさんが『接写モードのままとかではないでしょうか??』とコメントしてくださった。

これが実はどんぴしゃ。


 昨日の午後、家を出る前に郵便受けを覗いたら友人から手紙が届いていたので、出かける時間を遅らせて封を切りました。短い手紙と先日までの彼女の旅の写真が入っていたので、その場でお礼のメールを書き、「私には送る写真がありませんので」と付け足して足元で寝ていた白猫の写真を添付しました。

 しかし相変わらずぼけているので、もう一度レンズを拭こうと携帯を仔細に見ました。そして、レンズの横の小さなスイッチに気付きました。

 そういえば先日このスイッチをいじったのでした。それはQRコードの読み込みがうまくいかずあれこれしていたときでした。そのときは結局接写モードにしてうまくいったのですが、そのまま元に戻すのを忘れていたのです。

 スイッチを元に戻すと、画像がシャープになって数日間の胸のつかえがすっと取れました。


 今朝、朝風呂につかりながらこのことを記事にしようと思っていました。

 

 「症状(現象)が似通っていても原因が全く違うことってある」というテーマにするつもりでした。

 病気でも、人間関係でも、見当違いの治療法や対策をせっせとしていて、状況の改善が全く進まず、あるいはますます悪化することが少なくない。物事のこじれや故障の本当の理由や原因を探すのって、一度間違った道筋に入り込むとそれを見つけるのは結構難しい。

 そう書こうとしました。そういう錯誤は、違う理由で起きた類似現象を経験していると、かえっておきやすいこともあるとまとめるつもりでした。

 

 それを書こうとしてパソコンをあけたら、あややんさんのコメントが目に入りました。

 私があややんさんのコメントを読んだのはついさっきなのだけれども、昨日の午後、あややんさんがコメントを書き込んで下さった一時間ほどあとに、私は不意にピンボケの原因に気付いたのでした。


 あややんさんはテレパシー使いですか?とにあれ、ありがとうございました。


 ところで。どんぴしゃ、ってタイトルは自然に出てきましたが、今でも使う言葉でしょうか?

修正前
修正後

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すもも

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今年は不作だったけれど、でもそれなりにスモモの実が実った。数が少ない分、実は大きい。

実家に帰っていた妻が今夜戻ってくるので、スモモの実をとって冷蔵庫に冷やしておくことにした。

昨日は一日雨だったが、今朝はもう夏のような晴天。朝8時過ぎには、強い日差しで地面が暖まり始めていた。

枝の実を採る前に、軟らかな土に落ちている実を拾ってみる。黒っぽい紫色に熟して、皮の一部ががはじけている。痛みのひどくないものを二つ三つ拾って、水道でさっと泥を流してかぶりついた。

朝からの強い日差しでほんのりと暖かいスモモの実は、柔らかくて豊かな甘味にあふれていた。続けざまに三つほど食べて気を取り直し、枝の実を採りはじめた。

かごにとって台所で選別しながら洗い冷蔵庫に入れた。

後一度実を採れば、今年のスモモは終わりだ。

夏はもうそこまで来ている。

どういうわけか携帯写真がみんなぼけてしまいます。レンズが汚れているのか、ピントが合わないのかそれとも…
すもも

ビスケットをかじりながら

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昨日の昼食後に、妻と向き合ってコーヒーを飲みながら「父の日」というビスケットをかじった。
前日に妻が行きつけのスーパーでもらってきたものだ。
「昨日お義父さんに何かしたの?」と聞くと、「何もしなかったわ。でも今週世話に行くことが父の日のプレゼントよ」と妻は答えた。
最近そうしているように、途中ではなく実家まで迎えにいくべきかどうかを私が訊いて、私が行き始めたときに一緒に墓参をしたことに話題が飛び、義父が思ったほど頻繁に墓に行こうとはしていないという話になった。この話はいつも同じところにいく。
「『千の風になって』を読む?と聞いたとき父はいいよといって読まなかったの。でも毎週新しい花を母の写真に飾って、毎日水を代えて、朝はおはよう、夜はお休みとか言っているのよ。」
大抵はこれで話が終わるのに、昨日は先があった。
「私が死んだら、あなたもそうするかしら。逆にあなたが先に死んで私がそうするのかな…。案外あたしがいなくなったらすぐに、大人しそうなちょっとかわいいおばあさんなんかここにいたりして。<あ。古いものはどんどん片付けようね>とか何とか言っちゃって、私のものなんかどんどん捨てたりしちゃって。…う。言っているうちになんだか涙が出てきちゃった。」
私はあきれて何も言わずに笑っていた。
そのとき分かったことは、昨日の妻は機嫌がよかったということだけ。
そして、今思い出してほんの少し私が気にしていることは「そんなことは絶対ないよ」言わなかったこと。


携帯のレンズが汚れていたので、写真がぼけています。

ビスケ

一陣の旋風

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この数日はことさら妻の気分が不安定だった。

私の健康や家事のもろもろの始末や自分のあちこちの故障や、さまざまの心配の種を作っては、私がそういったことに無関心なだけではなく妻の心配をばかにするといって、怒ったり時には泣いたりした。たまに私が底意地の悪い反論などをすると、積年の恨みつらみをよみがえらせて、一層いさかいは激しくなった。


それでも、ひところに比べれば関係の修復はすばやくて、まあ夫婦関係は安定期に入ったような気がしていた。

しかし妻のストレスは次第に増してきていた。


原因ははっきりしている。

息子から、5月以来全く連絡がない。


「連絡したがらない人から連絡をもらう必要はない」などといいながら、妻は息子のことが次第に心配になり始めていた。

彼は携帯を使っていないので、パソコンのメールか電話か手紙しか連絡法はなかった。

私にメールを出せというので、一度「お母さんがあなたの心配をしています。近況を知らせてください」と短いメールを書いた。

しかし何のレスもなかった。

妻は私が息子を怒らせるようなことを書いたのではないかとまで言った。二週間して、妻が電話を入れた。電話はいつも留守電になっていた。

憧れの人の前ではにかむ少女のように、遠慮がちに、「元気ですか、ちょっと話したいことがあって電話をしました。また今度掛けます」とだけ言っていた。


数日前からかなり妻の雲行きが悪くなり、私とぶつかる間隔が短くなってきた。もちろん私のほうにも少しいらだったり不安定になる原因はあったのだけれど。


今日、ご機嫌斜めのまま昼食をとった後、「あなたの態度が、家のことでは万事に投げやりでいやだ。何をするにもお前がそうしたければ付き合ってもいいよという態度だ」と妻が非難した。

半分はそのとおりなのだが、余りに一方的な気がして、反論の仕方を検討していたら、突然脈絡もなく「**(息子)に電話してよ」といってコードレスをつきだしてきた。

「自分でしなさい」といいかけたけれど思い返して、私が電話を掛けた。

相変わらず留守電だったが、「少し話があるので電話をください。夜は10時まで朝は7時から。できるだけ早くよろしく。」と吹き込んだ。


不穏な空気のまま午後の時間が経過した。

三時に妻はウォーキングに出る用意をして玄関にきた。書斎の私に声をかけたところで電話機がなった。

妻は「あ、きたきた」と声をあげた。

受話器を取った妻の声はすぐに弾んだ。


玄関でいろいろ話している。妹(娘)のことや、義父のことや、本当は急ぎもしないことを、ぜひ言わなければならなかったので連絡を取ったという風に。

その声を聞いていると、しばらく家の中に滞っていたしこりのようなものが跡形もなく解けていくのが感じられた。


書斎のドアを開けて、「話す?」と訊いてきたので手を振って断った。しばらく話が続いた後、「お父さんと話す?」と訊いている。多分「どちらでも」と答えたのだと思う。妻は急いで私を呼んだ。

私は久しぶりに息子と話した。

彼は何の屈託もなく「忙しいけど元気だよ」と言った。

「たまにそちらに行った時は一緒に飯を食うくらいの時間は作れるのか?」と訊ねたら、「そのときによるけど、連絡だけはしてみてよ。時間ができないわけじゃないから」という答えだった。「メールは見てるのか?」と訊くと、「このところちょっと見てなかったけどね」と言った。

返事をなぜすぐによこさなかったのかと文句を言うのはやめて、「たまには連絡をよこせよ」とだけ言って電話を切った。


「あなたの声だと返事が来るのが癪だわね」と言いながら、妻はウォーキングに出かけた。


一陣の風が吹き抜けて、我が家はひと時明るい日差しが差し込んだようになった。

携帯もインターネットもない頃、母が私からの電話や葉書をどんな思いで待っていたのか、そして時々かかってきた電話に私がどれほどそっけない応対をしていたのか、改めて思知らされたような気がした。

それに比べれははるかに息子は優しい応対をしていた。

受身と尊敬

テーマ:

さっき、一つ前の記事にコメントを書きました。書き終わってから気になりました。


<『そういえば』紫陽花に心が惹かれるようになったのは、だいぶ大人になってからですね、私も。流さん「が」指摘されるまで、そのことを忘れていて、生まれてからずっとそうだったような気になっていました。>


「が」は「に」にした方がいいかな。きっとその方が自然な感じ。

でも指摘される の される が受身か尊敬か 意味が違ってくるんだな。「に」だと受身。「が」だと尊敬。


高校時代の国語の授業を思い出しました。結局そのままにしました。

入梅

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確かめてはいないのだけれど、今日あたりにどうやら梅雨入りらしい。

朝は少しぱらぱらと落ちて来るものがあった。

庭の木に雨があたる音がするような気がして窓を開けたら、向こうの畑で枯れ草を燃す火のはぜる音だった。

風はしっとりと湿って冷たく、ランニングシャツだけでむき出した肩に当たると気持ちが良い。


時々お邪魔している建築家の方のブログで、鎌倉のお寺のアジサイを見た。

以前は深い海の色をつけるアジサイが我が家にもあったのだが、物置を作るときに切ってしまった。


青いアジサイの色は6月の空によく似合うと、いつも思う。

忘却とは

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先日妻の実家にいて、ちょっとの暇にかばんを整理した。

かばんのポケットから沢山のレシート類に混じって、映画の切符の半切が出てきた。

「黄色い涙」???

全く記憶になくてぎょっとした。間違いなく観たに違いない。なのに、どんな映画かもいつ観たかも思い出せない。観たという記憶がきれいさっぱり消えてしまっている。


家を離れている間、何度も思い出そうとしてついに何一つ手がかりが出てこなかった。


帰宅して、ネットで映画の概略を観て、あっという間に記憶が戻った。

しかしなんといういやな忘れ方だったろう。
切符






彼のこと

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彼はふるさとを遠く離れてこの地に仕事を見つけ、幾度か恋はしたけれどついに独身のまま死んだ。


一人で生きたから他人には優しく、とてもたくさんの友人に囲まれていた。

難病にかかってからは、どのように慰めようかと戸惑いながら見舞う人々を逆に癒し励まし続けたので、彼の部屋に集まる人々は次第に増えていった。


彼はみんなが帰ったあとの部屋で一人息絶えた。


遠くから駆けつけた縁者が葬儀を取り仕切り、彼の周りに集まった人々を見て、彼の40年の生活を知って心を震わせた。

形どおりに式は進んだが、人々の愛惜の想いにあふれた優しい葬儀だった。

前の晩の通夜に続き、葬儀も初七日の法要も連続して同じ斎場で行われた。

遠来の縁者が何日も滞在できないからだ。


初七日の法要まで連続して終わると、出棺が行われ、マイクロバスと自家用車で身内縁者とと友人たちが、火葬場に向かった。

遺体を火葬している間に、別室で精進落しの会席が催された。

そのあと骨を拾って、縁者が礼を述べ別れの挨拶をした。

マイクロはもう一度斎場に戻った。


それは何かをするためではなく、それぞれが置いてある車を取りに戻っただけだ。

だから、斎場ではすでに私の友人の葬儀の痕跡は全くなく、新しい死者の通夜の準備が始まっていた。

その様子を見て、マイクロから下りながら、私の知らない彼の友人が小さくつぶやいた。

「何だ、はい全部終わりましたってことかよ」


40年前この土地にふらりと舞い降りて、独特の個性とその柔らかな心で触れ合う多くの人々に忘れがたい痕跡を残してきた彼は、跡形もなく消えてしまった。


不思議なことに、少なくとも私には余り喪失感がない。

私が歳をとったからかもしれない。

余命数年といわれた不治の難病にかかって彼が取った態度が、余りに強かったからかもしれない。


彼はこの病気を宣告された直後にある若い女性の友人にそのことをメールで知らせた。

駆けつけた二人の女性は、いつもの磊落で明るい彼の余りの落ち込みように、かける言葉もなかったという。

このことは葬儀の翌日にその女性と電話で話して聞いた。

しかし、病名が確定した一月後に知らせを受けて私が彼の部屋を訪れた時には、彼は健康なときと全く変わらずに淡々の自分の病状を話し、しかも闘病については強い闘志を見せていた。

そのスタンスは死ぬまで一度も変わらなかったと思う。


彼はいなくなってしまった。

しかし彼が残したものはここにある。

そのもののことを私は考えている。

彼と私はいつも一緒にいるという風な、特別仲のいい友達ではなかった。

ただ、何年かの空白を経て再会すると、一緒に仕事をしている間は、どういうわけかお互いに微妙に接近して、助け合ったり力を与え合ったりすることができた。


今まではいったん別れると彼のことは忘れた。

いつか再会すればまた昨日まで一緒だったように付き合えることが分かっていたから。

もう会えない。

だから、これからはもう彼のことは忘れるわけにいかない。