同衾

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同じ布団やベッドに入ることを同衾という。


妻の両親のことは知らないが、私の両親は、昼間は居室になっている畳の部屋に布団を並べて敷いて寝ていた。

父の仕事の関係で三度転居したが、ずっとそうしていた。


ありふれた日本の風景だ。


私たちもそのスタイルを引き継いだ。家を建てるときも、わざわざ寝室用の和室を作り布団を上げ下ろしするようにした。


子供たちは、借家の間は敷き詰めた布団に川の字になって寝ていたが、家を建ててからは子供部屋でベッド暮らしが基本だった。

高校を卒業して一人暮らしをするようになると、息子はベッドの生活に固執して部屋を探した。娘はたたみの部屋を探して、布団暮らしを始めた。


今朝の話の続きになるが、私たちのように布団をつかず離れずの距離で並べて敷いて同じ部屋に寝ているのは、同衾なのだろうか。まあ、ホテルでいえばダブルとツインの違いなのだが。


昔から、アメリカ映画などで男女がダブルベッドに入っている映像を見ると、一枚の毛布を共用していたら肩がすうすうするような気がした。

また、夏は暑く冬は寒くないのかと思った。


数年前。

文字通り夫婦で「同衾」しているらしいある女性に、ブログのコメントかメールかで「肩などが寒くありませんか」と訊ねたことがある。その女性は返事の文章の中で愉快そうに笑っていた。

目を覚ましていて、話をしたり愛撫しあっているのなら平気だと思うのだけれど、眠り込んでしまうときは一人で寝具に包まって居たいと思うのだ。

そのあたりはどんなものなのだろうか。


それにしても、わずかな距離でも布団が離れていて、掛け布団が別々だと、それが今朝の話ではないけど簡単には手を伸ばせない壁になる。同じ寝具に包まって寝返りを打てば肌が触れ合うような寝方をしていたら、このあたりは少し違うのだろうか?


この間見た映画「クイーン」で、エリザベス女王と夫のエジンバラ公が、広大な狩場を持つ別邸にいて同じベッドでやすむ場面があった。昔アメリカ映画で見たとおり、上にかける毛布も一枚のものだった。

たぶん公邸に「同衾」という言葉を思い出したのだ。

そして、今朝も。


今は、夫婦は同じ寝具に包まって寝るのが一般的なのだろうか。







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夜明けに

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四時に目が覚めた。冬ならば未明と書く時間だが、雨戸の隙間からは明るい朝の光が漏れている。

小玉の電球の明かりに目を慣らしながら、不意に、家族ってなんだろうと思った。


娘は数百キロかなたの山中の町で一人アパートに眠っているだろう。

息子はここから車で一時間半の町にいるがもう何ヶ月も声さえ聞いていない。メールを何度か送って、一度短いメールが来て。

妻が留守電にも電話を入れて、それには音沙汰がなくて。


それらのことに不満はない。

私が、今はいない父と母にしてきたことだから。

では、家族とはなんだろう。

隣で静かに寝息を立てている心配性の女性が、私の家族なのだろうか。


彼女の年老いた父親は今、たった一人で目覚めた頃だろう。


ふと手を伸ばして妻の肌に触れてみたい気がした。

しかしそれはひどく難しくて気詰まりなことのようにも思えた。

彼女は穏やかに寝ている。

私の指が彼女の体のどこにでもかすかに触れたとたんに、目ざとい妻は目を覚まし、「もう寝られない、今日一日睡眠不足だ」と不満を言うに違いない。


私は少し考えてから、そっと布団を抜け出した。

部屋の空気が揺れて、妻が目つむったまま、「もう少し寝てなさいよ」とお決まりのせりふを言った。返事をすれば会話になり妻の覚醒が進むので、私は黙って部屋を出た。


寝室の隣の居間にいた二匹の猫は私の息遣いが変わった時から、私が動き出すのを待っている気配だった。ソファーから降りる音がトンとしたのでそれは分かっていた。

この二匹が一番はっきりと私に繋がっているのではないかなどと考えてしまった。

居間に入り、二匹を庭に出してから私は、寝室で着替えれば妻の眠りを妨げることになるから前夜のうちにソファーの背にかけておいた普段着を、身につけ始めた。






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庭の小梅が不作だ。

昨年は木の周辺に足の踏み場もないほど実が落ちて、台所のかごに何杯も実が取れたのに、今年はその何十分の一。

その代わり実は大きい。


妻が拾って台所においてあったのを、一昨日の午後始末した。

水につけ比較的痛みの少ないものを取り分けたらさらに2/3に減ってしまった。

傷のないものは梅漬け用に。傷のあるものは傷を削り取って梅シロップ用に。

レシピも何もない。

本当はよく乾かして水気をとるのだろうけれど、面倒だから、たっぷりの焼酎で洗ってその焼酎は捨て、小瓶に入れるだけ。


シロップは梅と等量の氷砂糖を入れた。昨日には驚くほどたくさんのシロップが出た。普通の梅と違って小梅の場合は、実は縮んでしまってほとんど食べられない。

明日くらいには実を出してしまう。


梅漬けはなんとなく梅の8%の天然塩。それに数年前の梅酢を少し加えた。重石をしていないがこれも一日でかなり梅酢が上がったので、昨日二つに分けた。

一つは卵の殻を入れてカリカリ梅に。昨年、手入れが悪く殻と分けずに放置しておいたら、せっかくカリカリになった梅をかびさせてしまったので、今年は殻を消毒してさらに漉し紙に包んで入れることにした。様子を見て殻は早めに取り出し、梅はもう一度滅菌処理しようと思う。

もうひとつはただの梅漬け。


元がわずかなので、シロップも梅漬けも小瓶で処理。

今年はハタンキョウも、ほとんど実がなっていない。


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そんなものかよ

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朝食時に購読紙の歌壇で見つけて笑ってしまった歌。


   「止まらずに先へ進んでくださいと」 

   そんなものかよ「受胎告知」は


長野県の女性の歌だ。

先日見てきたばかりなので、生々しかった。


「ミロのビーナス」もドラクロアの「民衆を導く自由の女神」もこうやって見たような気がする。



そんなもの、なんだな。

 

   

インターネットの恩恵を感じるのは、かすかな記憶の断片を手がかりに、思い出したいことを見つけ出したとき。


若い頃「心の中だけで思いついたことを自分では気づかずに口に出してしまい、それでもただ考えているだけだと思っているので、相手が怒り出したりすることに戸惑ったり逆切れする老婆」の登場する小説を目にしたことがあった。


今朝、起き抜けにあることをブログに書こうとふと思って、そのことをもう書いたかどうか思い出せないことに気づいた。それは、今朝心に浮かんだこと、初めての思い付きではなくて、何度も思いついた事柄だったから。

つまり、思ったことをそれと知らずに口に出してしまうことも怖いけど、言ったり書いたりしたことのないことを、ただ思っただけで表現済みだと勘違いしてしまうことも怖いな、と。

それで、その遠い昔に目にした小説の中の老婆を思い出した。


その小説がなんだったかが気になった。雑誌に連載されていてたまたま目にしただけでその前も後も読んではいない。高名な作家で作品も話題になったから、調べれば思い出せそうだった。


光晴という名に覚えがあったので、「作家 光晴」で検索した。「井上光晴」とすぐに思い出せた。

作品は『地の群れ』

私が大学に入った頃の作品だし、あらすじなどを見てもたぶん間違いない。


思い出せたからといって、世の中だどう変わるものでもないけど、インターネットがなければこんな風には行かなかったと思う。


それでも、今朝思いついたことがすでに言葉にしてしまっているものだったか前にも考えただけだったかは、いまひとつ判然としない。


オール読物

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石田衣良の「池袋ウェストゲートパークシリーズ」のⅤ『反自殺クラブ』とⅥ『灰色のピーターパン』を読み終えた。

間髪の目録によれば収録作品はすべて「オール読物」初出だ。

「オール読物」は懐かしい。

父が定期購読していたので小学校低学年のときから、読めるところだけ拾い読みしていた。

小学校高学年からは「銭形平次」が毎月楽しみだった。

色違いのページのコラムやちょっとした雑記事も嘘かホントか分からないまま読んで頭に仕舞いこんだ。

「ハイボール」というのみものがウィスキーのソーダ割のことで、それはアメリカのあるバーで水と間違えてバーテンがソーダ水を入れてしまったことから始まったのだということ。知らずに飲んだらひどくおいしいので客がそれの名前を聞いいたとき、丁度外からボールが飛び込んできて(この辺が記憶もあいまいで状況が混乱している)バーテンが思わず「high ball」と叫んだのが名前になったとか。

自転車に乗って

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その前の数日間のあおりで、昨日は一日中疲れていた。疲れていると気持ちの流れにバイアスがかかって、何かと妻につらく当たってしまう。

一昨夜から昨日の午前中にかけて何度も妻と衝突した。


月に一度の決まりになっている、友達との昼食会に出て行った妻が夕方帰ってきた時は私も少しゆっくりして落ち着いていたし、妻も上機嫌だった。

連続して読み続けている小説の効き目も少しは出ていたかもしれないし、朝から降り続いている雨も、私の心を柔らかにしていた。


友達との会話ので仕入れてきた噂話を次々と披瀝し、居間のソファーの上を片付けながら話のついでに、「失敗といえばあなたとの結婚も私の最大の失敗かもしれないけど」と妻が言った。

私の機嫌がとりあえず安定したのを見極めて、昨夜からのいさかいの付けが残っていることを私に記憶させるために言っているのだ。


「雨がやまなかったからとうとうバイクを取りにいけなかったなあ」と私がつぶやいた。

妻のいない火曜日に夜の勉強会にバイクで出かけ、それを駅前の駐輪場に止めて小料理屋に飲みに行った。

バイクは後でとりにくることにして、帰りはタクシーで帰ってきたのだ。

妻はバイクがいつもの場所にないことに気づいていなかったが、それを聞いてすぐに自分がいなかった夜に私がいつもの小料理屋で飲んだことに気づいた。


早めに私が布団に入るまで、

私たちは穏やかに過ごした。


今朝は5時に外に出た。

自転車で駅前に行きバイクで帰る。代わりにおいてきた自転車は午後にでも買い物のついでに車に積んで帰る。

いつものやり方。


昨日一日の雨で大気中の埃が全て洗い流されたみたいだった。

太陽が背中を照らし始め、自転車に乗った私の影が舗道に長く伸びていた。

自転車




5月24日

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2日続きのよい天気。五時前に目が覚めてそっと外に出た。少し歩いて小さな公園のベンチに座り「美丘」を読んだ。はとが数羽、足元をうろうろしていた。しばらくして本から目を上げたら、はとの時間は終わったと見えて一羽もいなくなっていた。代わりにすずめがちょんちょんと飛び跳ねていた。しばらく眺めてからまた小説に戻った。

読み終わる頃にはぼつぼつと通勤や通学の人らしい通行人が通り過ぎるようになっていた。時計を見たら6時を少し回っていた。


朝食が終わり8時頃に妻の実家を出た。

上野で『特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」』を見るためだ。

宮部みゆきの『名もない毒』を持って出た。同じ探偵役が活躍するシリーズ第一作『誰か』がそれなりに面白かったので期待していた。

電車の中で、携帯ではない機器に見入っている若者を別々に二人見かけた。折りたたむと電子辞書ほどの大きさで、一人は画面に見入り、別の一人は専用のペンのようなもので画面にタッチしていた。なんだろうと関心を持ったので、こちらに帰ってから、

若い人に聞いてみた。

それはきっとDSですよ、といわれた。


ダビンチ展は面白かった。

観察者であり分析者であり製作者であるダビンチの才能と世界観をトータルに捕らえようとする試みが新鮮だった。

同じような感想をいつか持ったような気がしたのでしばらく考えてみた。

そしてすぐに思い出した。

数年前に宮沢賢治の記念館に行ったときにも、賢治が詩人である前にまずは科学者であったことをその膨大なノートやメモを見て知り驚いたのだった。


義父が2時すぎには帰ってくるので、そのくらいには帰ってまた話し相手になってほしいという妻の依頼なので、博物館の前庭の木陰で少し『名もなき毒』を読んだ後、昼食を食べてからはどこにもよらずに帰った。

行き返りの電車で熱心に読んでいたら、帰宅した頃には八分がた読んで仕舞っていた。

ずっと本を読む力が落ちていると感じていたので、思いがけず早く読めていることに驚きと喜びを覚えた。そのことでまた、自分の老いをかんじたりもした。


早い夕飯を食べて、自宅に戻った。


出かける前の一日も忙しかったので、あわただしい三日の終わりには、体の芯まで疲労感があった。

帰りの車の中では、何度も妻は私に感謝し、喜んでいたが、帰宅してしばらくするとつまらないことで衝突し、ひとしきり喧嘩になった。


寝る頃には一応仲直りしたような感じだったが、今朝になってふたたびぶつかった。

他愛のないことでいちいちぶつかるのは、妻がいろんなことを心配し私に彼女の考えているように行動してほしがるからだ。


5月23日

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前日友人から急ぎで頼まれた文書を作って、校正してもらったものを打ち直して、朝一番で届けて、予定より30分遅れで家を出たら、頼みの自動車道路が事故で通行止め。

下を走ったので結局前もって妻にいってあった時間より90分贈れて妻の実家に着いた。

部屋に上がらず、駐車場に車を置いて電車で渋谷へ。

『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』はほとんど女性客ばかりだった。ジャンヌという早世の女性のきらめくような才能がよく分かる展示で、印象深かった。

高村千恵子の名を思い出した。彼女の才能は形を残せず、その名は光太郎という大木に寄り添うばかりだが、ジャンヌの才能は繰り返し展示解説が強調しているとおり、夫とはまったく別のひとつの峯を形成している。


渋谷の町は相変わらず雑然としていて、頭の芯をかき回すような騒がしさだった。

50年前の中学生のとき、小学生の弟を連れて子供だけで遊びに来て、東横デパートの屋上でうまれて初めてコーラを飲んだ日のことを思い出した。

少し前から話題になり始めた不思議な飲み物を思い切って注文したのだけれど、その薬くささに思わず吐き出しそうになったのだった。


風景は変わったけれど、主な通りの坂の具合が昔どおりなのがおかしかった。足の裏が、何十年も前の傾斜を思い出していた。


妻の実家に帰り、私が出かけた主な理由=義父の話し相手の役割をこなした。

義父は、五月はじめの帰郷の次第を話してくれた。90歳でほとんど人の手を借りず一泊の九州旅行をこなたことで新たな自信を得たように見えた。

一日目は甥の出迎えで、存命している姉に会い、両親や兄弟の墓に墓参をし、何人かの甥とホテルで会食したが、翌日その甥の車をすっかり断り、幼馴染の女性(初恋の人と義父は言っていた)を見舞ってから、自分がキリスト教に入信した教会を訪れたあと、電車で空港まで行ったのだ。


夜八時に私に風呂を勧めるまで、彼はさまざまの話をしてくれた。私はずっとその話を聞いていた。

何度も聞いた話も多かったが、私も聞いた話をどんどん忘れているので、余り不都合はなかった。


9時に義父が部屋に引っ込んだ後、しばらく世界卓球を見てから私も布団に入った。朝が早かったので引きずりこまれるように眠り込んだ。



昨日今日

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昨朝から妻の実家。

昨日は渋谷に行って「モジリアーニと妻ジャンヌの物語展」を見た。

今日は上野で「レオナルド・ダ・ヴィンチ -天才の実像」を見た。

今朝、公園のベンチで石田衣良の美丘」を読了。そのあと、上野へ行き帰りの電車の中で宮部みゆき「名もなき毒」をほぼ読み終えた。

よる帰宅して先ほど読了。

2日間の感想はまた明日に。