ら○ぽ○と 27日

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26日のショッピングセンターを教えてくれた女性に、「次は、ら○ぽ○とへ行ったらどうですか、私はまだ行っていないけど」とメールで言われた。

27日には義父のところへ旧友が遊びに来るので、私たち夫婦は買い物に行くことになっていた。

私は何度も「ら○ぽ○とにしようよ」と言った。横浜のそごうあたりに行くつもりだった妻は少しいぶかしがったが、前の日に義父が「ら○ぽ○と」のことを一度話題にしたので、特に反対する理由もないからと承知した。


9時半ころに家を出て、車で30分くらいと読んでいたのに、予想していた案内板などがほとんどなくて小1時間車でうろついた挙句の果てに、JR新横浜近くのコンビニの前でタバコをすっていたサラリーマンに場所を聞いた。地図もなしに小机周辺と言う情報だけを当てにしてうろついたりせず、最初から人に聞けばよかったのだ。私が何度か走った通りの近くに、ら○ぽ○と はあった。


大きなスーパーとデパートを軸にして、テレビの番組で紹介していたフードコートや結構多彩な専門店もそろっていて、なかなか楽しめた。映画は観なかったけど、上映本数は昨日のショッピングセンター「ラゾ☆ナ」より多かった。


最寄り駅はJR鴨居。それでも歩くには遠すぎる。

規模やグレードはこちらが買っているが、交通の利便性では「ラゾ☆ナ」の勝ちかなと思った。


義父が探していて、地元のスーパーでは品切れだった「固い焼きそば」の餡つきパックをスーパーの食品コーナーで見つけて

妻は満足だった。

デパートの食品部専門店でみやげ物の菓子を買った。

フードコートでうどんを食べて少し店内をぶらつき、3時過ぎに帰宅した。


来客を送り出したばかりの義父としばらく茶飲み話をしてから、5時ころ妻の実家を辞した。

娘が結婚するかもしれないと言う話を前日妻が持ち出したのだが、義父は我々が想像したようなリアクションを示さず、私たちの息子の結婚の心配を言い出した。

「あなたたちは勝手に結婚したけど、私はK(妻の弟)の結婚についてはちゃんと心配してやった。あなたたちもJ(私たちの息子)君の結婚については放置せずに何か心配してあげたらいいのじゃないの。」

帰りの車で妻は「やっぱり男と女で区別して考えているのかなあ。なんだかつまらないなあ」と何度も口にした。

「『あなたたちは勝手に結婚したけど』はおかしかったね」と私が言うと、「自分たちも周りの反対を押し切ったくせにね。」と妻も笑った。

義父は義母の親族がそろって反対する中で、義母との結婚を望み義母の母の賛成でやっと実現した。

そのせいか、私と妻との結婚には最初義母が反対したが、義父はすぐに認めてくれた。

今朝になって妻、「あれは娘のことがどうでもいいのではなくて、結婚に関しては息子の方が話も出ない分心配だと言うことだよね、現に娘の仕事については何度も心配していたものね」とまた義父の気持ちを忖度した。

そのことが彼女の受けたショックの深さを物語っていた。




ら○ぽ○と を探している最中に見かけた横断幕。

「暴力団 住めない町へ 集める勇気」

この都市ではついに暴力団を捕獲し隔離する作戦に出たのかと、一瞬思ってしまった。

言葉は難しい。


横断幕

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映画を観る 26日

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26日は義父が教会の研修会に参加するというので、妻も私もフリー。妻は

実家で少しゆっくりするといい、私は電車で隣の市の巨大ショッピングセンターへ。


このセンターのことを教えてくれた女性にJRのホームで電車待ちをしながらメールをしたら、センターのエントランスにあるケーキ屋の目玉商品のことを教えてくれた。大阪由来の名前がついている。店はすぐわかった。開店前だったが、ショーウィンドウ越しに、前日出されたらしい店のメッセージが見えた。彼女は22日、これを買うのに30分並んだという。

センター最上階の映画館(シネコン)のオープン時間を確かめてもう一度エントランスの広場に戻り、久しぶりの日差しを備え付けのパラソルで避けて、ベンチで小説を読んだり通る人を眺めたりしていた。


センターの開場とともにシネコンのロビーに入った。が、上映映画の中に見たくなるものがなくてがっかりした。ネットのレビューではあまり褒めてなかったけれど、以前観た「どろろ」が結構面白かったので、同じ路線のように思えた「蟲師」を選んだ。

キャストも知らない人ばかりだったし、話も私には退屈だった。途中で二度ほど、うとうとしてしまった。

原作の漫画を読んだことが無いのだが、原作のファンが見たら怒りそうな気がした。


観終わって欲求不満が残ったのでもう一本「河岸を変えて」映画を観ようと思った。ショッピングセンターの見学は今度にまわし、一階の電器量販店でPC周辺機器の値段だけ見ておいて、JRと私鉄の線路をまたいで古い繁華街に移り、映画館に入った。

センターから離れる際にちらりとケーキ屋を見たら、店は開いているのに品切れメッセージが出たままだったので、あの品は大阪の本店で焼いて送ってくるのかもしれない。


夕方には義父の希望にあわせて鍋物を作ると妻に言われていたから、帰りの時間を気にして行動はずっと小走りだった。

映画は気になっていた「クイーン」が上映時間帯もちょうどよかったので、まずチケットを買っておいた。そのあと一時間で、もうひとつの電器量販店に行き、迷った挙句に携帯型のHDを買った。それから握り飯を歩きながら食べて、映画館に飛び込んだ。


「クイーン」には満足した。

この記事を書くために、さきほど少しネットのレビューを見てみたが、微妙に醒めた意見もあるにはある。

この映画はフランスで作られたらしいが、イギリス人はこれをどう観たのだろうか。

イエロージャーナリズムの煽り記事や虚実を混ぜ込んだ暴露物語になりかねない話を、そうなる危険をきわどく避けながら、世界でもっとも有名な女性の一人である現存の女王の内面を映し出すドラマに仕立てた製作者たちの手腕は優れている。

それを演じきった主演女優の力量もたいしたものだと思った。


嫁姑の話としても、おろかな息子を持った旧家を支える女主人の話としても、現代国家における君主のあり方を考える寓話としても、政治家とポピュリズムの問題としても面白くみられる。

さらに。

自分の生き方を確固として持ち続けてきた一人の女性の、ある事件に向き合ったときの内面を描いた話としてみれば、(実在の女王の実際がどうかではなく)その人物造形は、奥行きもあり陰影に富んでいて、十分に魅力的だった。


隣国のどこかが日本についてこのような映画を作り、日本でこのような映画が上映されたなら日本人はどのような受け止め方をするのか、そんなことに興味もわいた。


夜はすき焼き。

ビールを飲み義父の途切れない話を聞いた。


5月に郷里に一人で行ってくるという。これが最後だから、と笑っている。

妻が「五年前に行ったときもそういったわよ」と混ぜ返した。

両親の墓参りをし、息子の経営する養護老人ホームに入っている二つ上の姉と会い、自分がキリスト教に入信した教会に行って礼拝に参加するというのが計画だったが、その教会に専任の牧師はいなくなって、よそと掛け持ちなのでミサは日曜の午後になり

それには参加できなくなった、と残念がっていた。

一泊の駆け足旅行で、土曜日に出かけ日曜の午後には福岡空港から帰りの飛行機に乗るのだという。福岡空港を彼は「板付」と懐かしい名前で呼んでいた。

ゆっくりして来ればいいのにと言ったら、「いてもやることもないし、意味がないのです」と言われた。

すでに高齢になりかかっている甥たちがいろいろ気を使ってくれるのがかえって重荷らしい。

どこのうちは嫁さんと姑の仲が悪く、招かれていっても気兼ねしてしまうとか、だれそれの息子は早くに死んでしまったとかいくつか事例を挙げて、だからさっさとかえってくるのだと言った。


そのうち、「初恋の人がいてね、もう死んでいるでしょうなあ」と義父が言い出した。

いくつの人ですかと訊ねたら、小学校の同級生で、先生が成績順に並べたから、義父とその人は男子の一番と女子の一番で隣の机に並んで座っていたことがあるのだという。

彼女は結婚適齢期に結核をわずらって結局、地元の金融機関などに勤めて独身で今に至っていること。遠い親戚筋にあたっている上に地元でずっと働いていたので、消息はいつでもわかっていたこと。義父が有名企業の北九州の工場長として単身赴任していた40代のころの数年間に何度かは会ったことがあることなどを、すき焼きををつつきながら聞き出した。

「五年前の帰郷のときには会ったの」と妻が聞くと、甥に頼んで消息を調べてもらい、土産の菓子折りを下げて会いに行ったと言う。

彼女の甥だか姪だかの家に身を寄せて元気に暮らしていたので、一時間ほど思い出話をしてかえってきたのだそうだ。

今度も会ってくれば、と妻がいうと「たぶん死んでるよ、生きてるかなあ」などとつぶやいていた。


「お義母さんはその方のことをご存知だったのですか」と聞いたら、「いやあ、話すようなことじゃないし、あの人は知りませんよ。第一へんなことは一切なかったのだから」と淡々と義父は答えた。


何があったかなかったかそんなことはわからないし、もうどうでもいいことなのだけれど、普通なら何もないはずがないだろうと考えるところだなと、思った。


しかし、義父の「世の中の汚れたところをたくさん見聞きし仕事の上でも知り尽くしているのに、彼自身は潔白に謹厳に信仰を貫いて、終始倫理的に生きてきた生き様」を思うと、何もなかったと言う言葉は自然に信じられる気がした。


風呂から上がり先に布団に入ると妻が横に来て、「にぎやかな夕食でよかったと父が言っていたわ、ありがとう。」と言った。

「お義父さんの初恋の人の話が面白かったなぁ」と言うと、「朝日新聞の土曜特集ね。あなたは愛読者だからああいう話が好きでしょう」と笑った。

「あの話を聞いていて何か気になった?」と訊ねたら、「ぜんぜん」と当たり前の返事が返ってきた。


ケーキ完売

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墓参 4月25日

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妻の実家に車で行き、義父を乗せて墓参に出かけました。

今まで妻は帰省に私が同行することに消極的でしたが、父と二人だけで向き合うことに疲れてきたのと、彼の誕生祝いをすることとをかねて私を同行させました。

誕生祝いといっても特別なことは何もせず、夕食前に私が町で買ってきたブランデーを、夕食時に差し出して「誕生おめでとうございます」と言っただけでした。

妻の実家には車で行ったので、昼前に実家に着くとその足で霊園まで父を乗せていき墓参しました。

冷たい雨がまだ残っていましたが、父も妻も満足だったようです。

夕食の前から早い就寝時まで、義父は休みなく話し続けていました。


この日の朝、出発前に私はここに記事を書こうとして、すでに書いたような事態で失敗しました。何度かアップをしようとしてうまくいかなかったのでその記事をテキストファイルで取って置きました。

ただそのときに思いついたことを、例によってだらだらと書いたものです。

わざわざとっておいて後になってまで書き込まなければいけないほどの記事ではないのですが、一応アップができるようになったのでここに貼り付けます。




<<4月25日未明の記事>>


三時半に目が覚めて、風呂でからだを温めてから玄関脇の和室でパソコンに向かっている。
書斎においてある常用のパソコンは、昨夜突然狂った。
不用意にブラウザの設定をいじってしまったのか、ネットにつながらない。仕方なく先日とりあえずネットを覗けるようにだけしておいた新しいパソコンで、ここにアクセス中。

一台のパソコンで基本的には用が足りているのに、多少の不便や不具合にじれたり、もう少し別の使い方がしてみたいという欲望に駆られてこれといった深い考えもなく新しいのを買う。すると、今までどおりメインとして使い続けるつもりだったのに、不思議にもともと使っていた機械が壊れたり不調になる。不調だから買ったのではなく、新品を買ったら、従来のものが不調になる。
気のせいだと思うけど、そんなことが前にもあったような気がした。

結婚生活みたいだと思った。

外は雨。


今日から数日、妻の実家に行きます。
義父の誕生を祝い、義母の墓参をします。
妻にとっては定例の実家帰りでもあります。しかし今回は私が同行するので、いつも感じるストレスが不思議なくらいまったく生まれないのだと、妻が昨夜言いました。
往復の交通費がかかることと、家に居ればしなくてもよい私の世話まで、義父の手前しなければならないのが負担だからという理由で、妻は私の同行を今まで断っていました。
本心は私に負担をかけたくないという遠慮もあったかもしれません。
「これからはできるだけ一緒に来てね。父も話し相手になって欲しがっているし。」と言われました。
「あなたも、私が居ないとさびしくて、早く帰ってこないかなと思うと言っていたしね」と続けられて、そんなことを言ったかなと思いました。
数ヶ月前、まだ父も落ち着かず妻の消耗も激しいころに、疲れきった妻をいたわって、送迎の車の中で私がもらしたのかもしれません。
その言葉はうそではないけれど、ことさら口にするほど強くいつももそう感じているわけではないのです。
彼女が数日留守にするくらいではもまったく困ったりせずにのびのびと暮らしていることが、彼女の気持ちの負担を減らしてさえいるのだとも思っていました。

私の何気ない言葉をそんな風に後生大事に持っているのかと思いました。

 いやなことをいやだと言い、うれしいことをうれしいと言い、して欲しいことをして欲しいと言う。

 自分の気持ちを自然に口にするのが、あいかわらずなかなかうまくいかない。
 気持ちを言葉にしてしまうことが、自分を固定してしまうことみたいでいやだ。

錯綜する思いの中で、こんなに長く一緒に暮らしていて、ようやく私たちは少し近づいたのかも知れないと、ちらりと考えました。

しかし、長く続いたのはお互いに、自分自身のさまざまな欲望に対しても相手に対しても、あまり貪欲でなかったからかもしれないとも思いました。
 最近になって、妻が私に対してずっと、びっくりするほど多様な不満を持っていたことを知りました。私はそのことに長い間気づきもしませんでした。
 しかし同様に妻も私が持ち続けていた不満を、気づいてはいてもあまり向き合わずに先送りにしてきました。
 私たちは不信をあまり進化させないように按配しながら、適当に付き合ってきていたのかもしれません。

 結婚が恋愛と違うのは、それが契約に基づいたものだと言うことです。
 恋愛は愛がなくなれば終わりますが、結婚は契約違反を犯さなければ続けることができます。
 愛が残っていても、双方または一方に重大な契約違反があれば続けることは困難になります。続いているように見えても、空洞化し形骸化します。

 妻と私はたぶん最低限の契約条項だけは守ってきたのかもしれません。

 契約内容はそれぞれの夫婦によって違うと思います。
 しかし、押しなべてキリスト教徒の結婚式では、相手を愛することも契約条項の中に明文化されていることが多いのですが、日本では愛は明文化されない付帯条項であったことが多いような気がします。


 雨の音を聞きながら、思いはどんどん広がっていきました。







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おや?

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新しいパソコンから記事を書き込もうとしていたら、出かける直前から、アメブロだけ書き込めなくなっていました。

帰宅してからも何度も試していたのですが、先ほど画面に出た指示に従ってなにやら新しいアプリケーションの自動DLを実行したら書き込めるようになりました。

よくわかりません。でもとにかくよかった。


今まで使っていたパソコンは、ディスプレイが暗くなってしまって、文字や画像の見えが悪く困っていました。


大切なもの

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今朝の朝日新聞の「家族」というシリーズ記事は、愛していた妻を交通事故で失った若い夫と残された子供の話だった。

失ったものがどれほど大切なものだったかが改めて分かったと、夫の痛切な想いが書いてあった。


昨日聞いた話を思い出した。


私の古い知人のA君から、妻が死んだので賀状を遠慮しますと喪中葉書が届いたのが一昨年。昨年は私が義母の死のために喪中葉書を出した。

家庭が複雑で父と別れ母とも別居して、同い年の級友のいる、母親の親友の家に寄宿して高校を卒業した彼は、夜間大学を出て地方公務員になった。同じ職場で妻を見つけ、三人の子供ができた。幸せに暮らしているとばかり思っていたら、一昨年の喪中葉書だった。A君も奥さんも45歳くらいだった。

本人に事情を聞きづらくて、彼がかつて寄宿していた親代わりの女性に尋ねようかと思いながら、二年がたってしまった。

昨夜、思い立ってその女性に電話をしたのだ。

私より少し年上の彼女はかつてホテルの料理長をしていた夫と二人でペンションを経営していて、見かけも気性も肝っ玉母さんだった。「お久しぶりです」と言うと、数年前私の妻が友人と昼食に食べに行ったことを、昨日の話しのようにして、「奥様によろしく」といった。


「A君のことですが、一昨年奥さんが亡くなったのですね。事情はご存知ですか。」

「少し心を病むようになって服用していた薬を飲みすぎたという、事故だったようですよ」

意外な話に驚いて、「それは気の毒でした。それでお子さんたちと本人は元気なのですか?」

彼女はちょっと間をあけてから思い切ったように話し始めた。

「元気よ。もう再婚したし。」

彼女の声は少し冷ややかだった。

びっくりして、「え!」と声を出してしまったが、それは考えてみたら大きなお世話だった。

A君は中学時代の同級生で当時は子供じみたお付き合いをしていた女性と、級友たちが開いたA君自身の激励会で再会して、離婚して子連れで実家に帰っていた彼女との交際が始まったのだという。


なくなった前の奥さんへの思いは周囲の人間には残るけど、彼らにはまた、新しく生きていく力が必要だ。


妻を失うということにもいろんな形があるのだと、たまたま昨日と今日同じテーマで考える機会を得た。

私と妻とどちらが相手を見送ることになるのかは神のみぞ知るだが、私にとって妻が得がたい伴侶であり、私の人生をとりあえず平穏にそしてそれなりの実りもある形で送らせてくれた最大の存在であることは、心にしみて分かっている。

もし私が妻を見送ることになったら私はどうするだろうか。


それよりも。

私にとって一番大切だと頭では分かっている存在を、私は今、一番大切だと心で感じているだろうか。

チャンスがないだけで、私はいつでも妻を裏切ることができるような気がしている。

あるいは、裏切りたいという衝動さえ胸のどこかに秘めているような気がする。

大切、とはどういうことなのか。

一番大切なものを失うかもしれないことに目をつぶって走り出したくなる衝動は、私の場合はたぶんついに機動しないだろうけれど、でもそれはここにあり続けていると、今朝、新聞を読み昨日聞いた話も思い出しながら、それらは裏切りとは関係ないのに、考えはそこにいきついてしまった。




昼寝

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ここ数日、私としてはちょっと忙しくて、朝早くからパソコンに向かったりしていた。

友人に頼まれて、データーの入力みたいな事を繰り返していたのだが、今日の昼でそれも解放された。

そうしたら、昼食後さっきまで少し寝てしまった。


気がつくと、ソファーで寝ている私にはいたずら者の白猫が寄り添って寝ていて、私が身じろぎしたら一緒に目覚めて大きな伸びをした。黒いポロシャツについた抜け毛を粘着テープで取ってから、書斎に入り少しブログを読んで、さてこれから。


午前中に高齢の男性二人の会話に介入し、言わずもがなのたしなめ発言で彼らの口を封じてしまった。

そのことが悔やまれてならない。

「あ、そうだね」と話を変えたお二人のやさしさと謙虚さを、彼らの歳になったとき私は持っていられるだろうか。

不遜な自分を恥じながら、寝覚めにいつも付きまとう孤独感に、今の私はまみれている。


整理したいとか調べたいとか探したいとか思いながらそのままにしてきたたくさんのことどもを、ゆっくりと処理し始めていいのだろうか。

いつから。

いまから。


それとも、私の処世訓どおり、『明日できることは今するな』ということで、もう数日はぼんやりしていようか。

来週には、それほど忙しくはなくとも、またそれなりの予定もあるのだけれど。


不意に気がついた。

そういえば、最近妻は「明日の予定は?」とか「今日はどうするのですか?」とかよく私に聞いている。

外から見れば、私は何をしているのか、何をするつもりなのか見当のつかない人間になってしまっているのだ。



風 続き

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流さんが、「風がはこぶもの」という歌を教えてくれました。ここ で聴いて見ました。本田路津子の透明な歌声を思い出しながら聴きました。メロディーにも歌詞にも覚えがあるようなないような…。でも、懐かしくてほんのりしました。

はなさん。

「風」の詩は、翻訳詩です。クリスティナ・ロセッティー作 西條八十翻訳で曲もついています。  ここ  でその歌詞とメロディーを聴くことができます。  

この歌は小学校のころ童謡として覚えていました。

中学に入り購入した(当時は教科書は無償ではありませんでした)英語の教科書の巻頭詩として載せられてありました。

今原詩に当たる暇がないのではっきりしたことはいえませんが、完了形が使ってあったので、中一の一学期程度の文法力では文意が十分に取れなかったのですが、あるときその意味が分かり、以前好きで歌っていた歌の歌詞だと分かったときはとてもうれしかったのを覚えています。 

テーマ:

       風

     誰が風を 見たでしょう
     僕もあなたも 見やしない
     けれど木 (こ) の葉を ふるわせて
     風は通りぬけてゆく
   
     誰が風を 見たでしょう
     あなたも僕も 見やしない
     けれど樹立 (こだち) が 頭をさげて
     風は通りすぎてゆく


 去年の2月に(私は今日確かめるまで1月だと覚え違いをしていたのだけれど)亡くなった奥さんの一周忌が過ぎて、友人が「千の風になって」という本を贈ってくれた。

 私はその本を読まずにとっておいたのだと思っていたが、今朝読んでみたら一度ちゃんと読んだのだと思い出した。


 この詩に出会ったときすぐに心に浮かんだのが、上に書いた「風」という詩だった。

 風は、時には何かの息遣いのようだから、二つの詩のような、こんな気持ちになるのかもしれない。


 そういえば「風の又三郎」という不思議な物語もあった。

 
千の風