大晦日

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大晦日の夜が更けていきます。

日本中で人々が新しい年を迎えることに想いを寄せています。


いろんなことがあった一年でした。

妻の母が病を得て、昨年の今頃は思いもしなかったことなのに、すでにこの世にはいません。

それでも若い頃に比べればなだらかな生活が続いたようにも思えます。


ことさら気負うことはもうありませんが、少しでも前に進みたいという気持ちはまだあります。

人々に感謝しながら、身の回りのことから少しずつ進めていきたいと思っています。


皆様がよい年を迎えられますようにお祈り申し上げます。


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西風

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昨晩は、午後から吹き始めた強い西風がやまずにごうごうと音を立てていました。


私の住んでいる町内会では年末の十日間、防犯と火の用心をかけて住民による夜警の巡回を実施しています。十の班が輪番で一軒一人を出して、7時半から10時まで集会所に詰めます。コップ酒とつまみで世間話をし、昔は3回最近は2回、拍子木をたたきながら町内をまわります。欠席世帯は1000円を出します。昨年は私が帯状疱疹で出られず妻が出ました。


2年ぶりに出たら、出席者が班の世帯数のちょうど半分で、女性と男性が半々でした。50代から70代くらいの年寄りばかりです。

町内会長は秋口に脳梗塞で倒れて、夜警の仕切りは私が顔も名前も知らない副会長がしていました。彼も私のことを知らず、集会所に入っていくと名簿を見ながら、「失礼ですがどちら様ですか」と訊ねてきました。


巡回に出るまで30分ほど雑談をします。ここでふだん地域と交際の薄い私にはものめずらしく思えるいろんな情報が手に入ります。

私の一つ年上の町内会長は、昔からの顔見知りで、通りで会えば立ち止まって二言三言挨拶を交わすくらいの付合いでしたが、彼が人の顔も判別できない状態でリハビリに励んでいるなどということは全く知らなかったのでした。

以前私が、このブログで離婚したのではないかと書いた向かいのご家庭は、ご主人の転勤で夫婦が新任地に行き、就職しているお嬢さんが一人でこちらに残っているのだと分かりました。


狭い町内を二班で手分けして回りました。

西風は思ったほど冷たくなくて、見上げるとほとんど雲のない夜空に半月が煌煌と照っていました。

ぽつぽつと世間話をしながら、拍子木を決まったリズムで打っていきます。

別の班の打つ木の音が風に乗って途切れ途切れに聞こえてきます。

昔一緒に遊んでいたお互いの家の子どもが、学年も違い高校からは別々の学校になってすっかり声も掛け合わないようになっても、親同士はこうしてたまに顔を合わせると、遠くに行ってしまったお互いの子どもの様子などを小出しに述べ合います。


二回目の巡回が終わった9時半に集会所の入り口で挨拶を交わして夜警は終わりました。

以前はもう一回巡回して、10時半に終わりました。

一番年寄りのおばあさんと副会長が集会所に残こり、皆が座敷に詰めている間に飲み食いした食器などを片付けてくれていたので、もう中には上がらずに解散です。


集まってすぐの雑談時に副会長が、「来年からは、この夜警も期間を縮めて3日くらいにしようかという声が多いのです。」と言っていました。

このあたりは比較的新しく造成された一戸建ての週宅団地で、皆が新住民で、35年位前に二代目の町内会長が提唱してこの夜警を始めたのだといいます。私がここに来たときはもう恒例となっていて、しかし我が家はその頃は年末に家族でスキーに行くのが恒例だったから、いつも酒の一升瓶を届けて勘弁してもらっていました。

欠席料1000円ということになったのは15年位前からかもしれません。そうすると、1000円で済むのならと、お金で済ませる人が増えてきたのです。

それも無理もないと思いますが、我が家では、ここでの雑談が貴重な気がし、ふだんの不義理の帳消しにと、出来るだけ出るようにしています。来年からは当番も数年に一度となるのでしょうか。


二度目の巡回時から西風が目に見えて治まってきました。

「以前ならこの風は一回吹き出したら何日も吹いたものだね、たしかに気象が変わってきている。」

地元育ちらしい副会長が、ぽつりとそんなことを言いながら集会所の鍵を閉めていました。

同じ方面の人と明るい月の下を物も言わずに数分並んで歩き、別れ際に、よいお年を挨拶を交わして家に帰りました。

妻は録画してあったお気に入りのポアロものを居間で寝そべってみていましたが、起き上がって「おつかれさま、何か変わった話があった?」と訊ねました。

私は私の一つ年上の町内会長の病気のことと、班長が定年を迎えていたことを告げました。

近くの家の離婚話が違っていたことは、勝手な私の思い込みだったので話しませんでした。



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年の瀬だから

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生きるということを、物を生み出したり創り出すことだと考えている人も多い。

私はひたすら選ぶという行為を繰り返してきたような気がする。


頑張らない。無理しない。


時期が来たら決めて、選択したら少しは手を入れる。


しばらくするとまた選ばなければいけなくなる。


そんな繰り返し。


遊んでいたわけじゃないけど、けっこう楽なように生きてきたかもしれない。


選んだ後ではあまり後悔しない。

迷っても最後は自分で決めたから。決める時は、流れや合理性を一番大切にしたから。

小さくてたいしたことのない価値観だけど、譲りたくないと思っているものはある。それは選択の時可能な限り生かして。


だからあいつみたいにすごい仕事は出来なかったし、だからそいつみたいにつらい挫折も味あわなかったし、と思っているがそれは当たり前のことだ。


何人かの女性が、結婚をそんなふうにえらんで、それでも忘れられない想いを抱えているのだと、ブログめぐりで知った。

男はあれこれ残したがるが、持っている場合には、そんな思い出は一種のロマンティシズムやセンチメンタリズムの世界で飾リ箱に入れられている。

女性の場合は、もしも残っていれば身の内でけっこう生々しく息づいているのではないかと思ったりした。

捨てられる時には、とっくにすっぱり棄てられていて。

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映画鑑賞の夜

ホテルのビジネスコーナーから。


昨日は午後になって東京に出てきた。ホテルに車を置いて地下鉄で有楽町に出た。「有楽町マリオン」内の「丸の内ピカデリー1・2」で『武士の一分』と『硫黄島からの手紙』をやっているので、二本見るには都合がいいと思い、『武士の一分』終了後数十分ときわめてぐあいがよいので、二枚まとめて切符を買った。

最近多くなったシネコン系の小ぶりな型の映画館もいいけど、ここのゆったりした広い館内と高い天井や大きなスクリーンも捨てがたい。


『武士の一分』も『硫黄島からの手紙』も見方によっては古風なタイプの男が描かれた作品だった。

『武士の一分』。

愛する妻を奪われ、勝敗や生死を越えて自分の誇りとその妻の為に、ほとんど勝つ事が不可能な戦いに挑もうとする男。彼はそうしなくとも生きていけるのにあえてその道を選ぶ事で、自分の生の意義を確かめようとするのだ。

『硫黄島からの手紙』。

選び換える事の出来ない大きな運命の奔流の中で、動かしようも無く定められた死に何らかの価値を見出そうとして、それぞれの男が自分達の生き様を貫こうとする。


どちらも、自分の生き様を自分で選ぶという事に人間としての最後の誇りをかけようとしている。その選ぶ基準に「男らしい生き様や価値観」が、よりどころとして強調されている。


しかし見方を変えると違ったものが見えてくる。


『武士の一分』では、見終わると木村拓哉演じる主人公のことより、夫に従い夫に寄りかかる事しか出来ないような、美しく純真だが弱くおろかな女に見えた主人公の妻(壇れい)の存在感が心に残った。

作者の意図は分からないが、この作品は、一見男に依存しているように見えながら実は一人の人間として自分らしく生きる道を探し続けている、芯の強い一人の女性に起こった出来事を描いた映画で、男達は皆そのドラマのための脇役ではないのかという思いさえした。

女性ならばどう見るのだろうか。


『硫黄島からの手紙』は一つのものごとを見るときに、複眼的な視点で見ることの難しさと大切さを改めて教えてくれる映画だった。

「本当は日本人にこそこの映画は作られるべきだったのだ」と誰かがどこかで書いていたが、そして確かにその通りだと思うのだが、アメリカ人が作ったから出来て、アメリカ人が作ったから価値があるのだという気もする。

戦闘の中で、日本兵がアメリカ兵も同じ人間だと気づく場面があるが、その日本兵に向けた作者の優しい目は、日本人が描けば身びいきのようにも思えて、かえって観客に素直には入ってこないかもしれない。

戦争の狂気を描くために、父親たちの星条旗と硫黄島からの手紙をワンセットで作ったクリント・イーストウッドの手法は本当に凄い。


クリントイーストウッドも言及しているように、アメリカが起こして失敗したイラク戦争の現実がこの映画を彼に作らせたひとつの契機だと思うのだが、今の日本人はこの映画から何を考えるのだろうか。

忘年会

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女性たちとの忘年会。去年もあったなと思い古い記事 を探した。

会があったことだけ覚えていてその中味はすっかり忘れていた。今朝読んでみて、昨夜読んでからいけばよかったと思った。


集まったのはあちこち声を掛けたのに直前のキャンセルがいくつも入って、結局去年と同じ三人だった。去年より二十日遅い年末の忘年会で、場所も同じ洋風赤提灯。

その場ではわからなかったのだけれど昨年の記事を読んでみると、話は去年から続いていた。

この一年で事態は変わった。

父親と二年間別居していた女性は、結局父親と再び同居した。父親の体調は悪化し、父親との確執は深刻化して、苦しんでいる。

資格を生かした仕事を再開ようとしていたし女性は計画を実現できた。しかし、実家の両親などから援助を求められてできることをせっせとしていたのに、その両親が弟や妹に漏らす愚痴をまともに受けた弟妹に非難され、両親の面倒はもう見ないと宣言したという。

去年遅れて参加した女性は、一番経験豊富で力強くたくましかった。

あとの二人の愚痴にいろいろとアドバイスをしていた。

同居していた舅の介護をして、一人になる場所がなくて何度も何度も車の中で泣いたという。夫は全く手伝わないのでものすごく腹が立ったけど、その舅を見送るころになんとなく悟りのようなものが目ばえて、私のような立場の人の苦しみを少しは軽くしてあげたいと思って今は介護の仕事をしているのだと話した。

4時間飲んではしゃべって、私は時々コメントして、おおむね「男ってヤツはどうしょうもないね」という結論が彼女たちの中ででたところで次の店へ。

昨年行った行きつけのスナックはクリスマスイブイブだというのに、客が来ないので早々と閉めてママは家に帰ってしまっていた。

しばらく飲み屋街を歩いて結局カラオケへ。

彼女たちは唄より話が言いようで、飲みなおしながらぽつぽつ歌が入れつつ話しをしている。一曲歌った後私は眠くなって「少し寝るから」と、うとうとした。

目が覚めると一時半。彼女らは朝までOKとか行っていたけど私はお先にと、タクシーを呼んで帰った。

背中に「来年もやりますよ」と声がかかった。

元気で頑張れよ、たくましい女性たち。


クリスマス

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世間では今日明日と、クリスマスにちなんだ行事やそれぞれの人々の生活が繰り広げられるのだろう。それにしても、ひところほど騒がしくなくなったような気がするのだが、加齢につれて関心が低く社会に対する感度も鈍くなった私の気のせいなのだろうか。息子と娘からは、正月には帰りますと、十日ほど前に当方の問い合わせに答えたきり何の連絡もない。

忙しくしているのだろうと勝手に想像している。

クリスチャンの義父は、初めての一人きりのクリスマスをどんな風に過ごすのだろう。

妻は今日の夜私と少しご馳走を食べようと思っていたらしい。

私はかつての職場でかかわった昔なじみの女性たちから、忘年会といって誘われている。最近はそんなふうに声のかかることも少ないので、二つ返事で応じたのだけれど、妻は少し不満そうだった。


休日だが、私の職場は通常の出勤日。

私のお手伝い仕事も第二クールが今日でおわる。

この仕事を引き受ける前に、思いがけず不安や逡巡が生じて、ここにこぼして、皆さんから励まされたことを思い出した。

あの時ぽんと背中を押してもらったことは、とても嬉しかった。


5時に新聞をとりに外へ出たら、雲がほとんどなくて久しぶりの広い星空だった。

夜明け前の星空はいつもその時期の見慣れたものとは違う顔をしていて、例えば今の時期には一番目立っているオリオンも、もうどこにも見えない。

庭へ回って南天を見たら、春の大三角形が大きく舞い上がっていてびっくりした。


双葉さんの記事 を見てそのレシピを妻に渡したら、妻が「油淋鶏」を作ってくれた。

妻は「レシピに付け合せをコールスローとしてあったから、それももちゃんと作ったわよ」と自慢した。


私はコールスローの何たるかを知らず、もちろんその言葉の意味も分からなかった。ただキャベツの入ったサラダを指しているのだとその場で見当はついた。


今日、仕事の合間の少しの時間を見てパソコンで「コールスロー」を調べた。

そばにいた50代後半の女性の同僚が見咎めて、「壬生さん何を調べているの?」ときいた。

「コールスローって何かなとおもって」と答えると、「え?それって何?」と彼女も尋ねた。同じ世代のもう一人の女性も「何のこと?」と関心を示した。


部屋の奥で仕事をしていた上司(男性)に声をかけたら「キャベツの酢漬けかな、ドイツ料理についてくる」といった。

後で分かったけど、彼は少し勘違いをしていたようだ。それでもキャベツはあたっていたので、「さすが自称グルメですね」と私はいい、女性たちに「ネットによれば、キャベツのサラダのことだそうです。語源はオランダ語でそのままキャベツのサラダだそうです。」と教えた。

グルメの上司はちょっと嬉しそうに、それに関連して、「この間手作りソーセージ屋で買った「アイスバイン」は美味しかった。そういうのに付け合せるのだよね」と付け足した。

また「アイスバイン」が問題になった。

その場で早速ネットで私が検索して、豚のブロック肉を塩味の調味液に漬け込み、ゆでたものだと説明した。もちろん上司はそれを知っていたのだが、私たち残りの三人は知らなかったのだ。


簡単に作れそうだからネットででてきたアイスバインのレシピをそのままプリントアウトして、女性たちに渡した。

付け合せに「ザワークラウト」と書いてあった。

「これは何のこと?」

彼女らがきくのでまた調べた。

キャベツの酢漬けだと分かった。上司はきっとこれとコールスローを取り違えたかもしれないと思ったが、その時はカレは書類を別の部署に回すため部屋から出てしまっていた。


パソコンを閉じながら「キャベツのサラダ」と「塩味の茹で豚」と「キャベツの酢漬け」ではやはり感じはでないよなと思い、同時に「例えば「コールスロー」という言葉が私たちの生活で当たり前に使われるようになったのは、そんなに昔じゃないはずだよな」などと考えた。


私が自分の仕事に戻った時には、女性たちもとうにそれぞれの仕事に戻っていた。


双葉さん、記事に勝手にリンクを張ってしまいました。ごめんなさい。不都合なら、はずしますのでご連絡ください。

悪食

昨日は心理学の入門書のことを書きましたが、それを読み出す少し前から筒井康隆の『如菩薩団 ピカレスク短編集』(角川文庫)を読んでいます。


筒井康隆を読むたびに、ああ面白かったと思ったり、何でこんな本を読み始めちまったのだろうと思ったりします。

今回は、本当に困った本だ、という印象でした。

お勧めは出来ません。あまりにもバッチい話ばかりだからです。

それなのに、もう半分読んでしまいました。


こんな作家に出会わなければよかったと思ってしまいます。

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寒い。ストーブをつけずにいたら足元から寒さが這い上がってきた。

なんだか懐かしい気がした。

やっと、冬だよ。