1週間か十日ほど前に「OUT」桐野夏生を読み終えた。

ずっと読むのに苦労していたのに、最後の百ページあまりは一気に読んだ。次の日の仕事も忘れて夜更かしをして読み上げた。小説の運びが厳しく重たい現実から"take-off"して、ヒロインとその重要な脇役がフィナーレに向かって疾走し始めたからだ。

著者がどう考えているか分からないが、私はこの小説のヒロインを主人公にしたシリーズもののピカレスクロマンを書いてくれないかと、本気で望んでいる。

女性という性を武器にすることなく男と対等に勝負している、しかも細やかさとしたたかさにおいて最も女性らしい特性を発揮している雅子というヒロインの造形は、私にとってはとてもすばらしく、魅力的だ。

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昨夜書き忘れたこと

テーマ:

熟年離婚を見ながら、昨夜は、渡哲也演じる生真面目で頑固な家父長親父に、結構強い共感を覚えてしまった。

私はあんなふうに生きては来なかったつもりだけど、どこかに時代の特徴とでもいうべき、生き方の癖のようなものを、あの人物と共有しているのかもしれない。

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熟年離婚(3)

テーマ:

前回は妻と並んで録画を見たがが、今夜は妻の留守に一人で焼酎をなめながら録画を見た。

気分がひときわドラマに入り込んで、一気に見てしまった。


渡哲也も松坂慶子もとてもうまく演じていると思った。

一緒に暮らすということと、愛しているということがお互いに関係性はあるのだけれど決して同じではないということ、その当たり前のことを脚本がうまく描き出しているし、二人のベテランがとても自然に演じている。


つながっていると信じて、日々離れていることに疑問も恐れもを抱かなかった夫と、つながりたいと願いながらついにその心に応えてもらえなかったと感じている妻の、長い時間の中で生まれた隔たり。

それに気付くことは、つながっていると信じていた分だけ夫にとってつらいものだと思う。しかし妻に言わせれば、私はずっとそのことに耐えてきたのだということになるだろう。


愛していなければ、「愛していない」と言うしかないのかもしれない。

愛していないということは、嫌悪したり憎んでいることとは違う。それが嫌悪や憎悪に変わるのは、愛していないのに愛しているように振舞うことを強いられる時だ。

それでも、愛しているものから愛していないと告げられることはつらい。

憎んでいなければ、告げる側にもひとときの悲しみは生まれる。

多くの恋も、ほとんどの場合はそのようにして誰かを泣かせることで成立する。ましてや、ひとときの恋などではなく、一度は愛しあったと信じて結びついたたものならば、なおのことだ。


松坂慶子の演じる妻が流した涙の中には、自分を罰し夫を哀れむ心もいくばくかはあったに違いない。


昼に電話をよこした娘とまた恋愛結婚談義になった。娘は驚くほど古風な結婚観を述べる。友人たちからもあきれられるという。彼女の結論は、「ある女性の結婚観や恋愛観は、どのような夫婦を身近に見てきたかと関係がある」


私の娘に今、私たちはとても円満な夫婦のように言われている。私には、そう言われてある方がブログで書いたように泣きたい気持ちも起きはしないが、さりとて威張れるようにも思えない。


一人で見た「熟年離婚」と、たまたま受けた昼の娘の電話は、今夜の私の心に小さな波風を立てた。


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秋は確かに

テーマ:

はなさんの言葉 から思い出しました。

いつかの秋にふと思い浮かべた言葉のきれはし


   秋は確かに流れているから

   泣きたいのは昨日のあなただけではないのだ   

   

   駆け抜けたものの気配も

   いまはありふれた風のそよぎのように

   誰も知らない夕映えにまぎれるばかり


   コスモスの一輪が立ち尽くす日に

   心はめぐり始める


   遠くへ

   果てしなく遠くへ  


はなさんや、そのほかの見知らぬ人々に。

猫のこと

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昨日一日東京で遊んだ。妻も実家に帰っているので、猫は外に出しておいた。

今日の朝帰ってきたが、猫が帰ってこない。

いつも、どこかで家の気配を見ていて、私でも妻でも家に帰ってくるとすぐに戻ってきて、縁側から入ってくるのに、今日はまだ姿が見えない。

それでもそのうち帰ってくるのだろうか。そう信じているのにやはりちらりと疑念が走る。

ときうどん

テーマ:

ラジオで関西の落語家が、ある話のさわりを演じた。

「ひいふうみい、今何時だ…」

「皆さんご存知の、ときうどんです」と最後に結んだ。


知っていたような気もするし初めてのような気もするが、なるほど関西では「ときうどん」、東京では「ときそば」。

もちろん元の話は関西だから、誰かが東京に持ってくるときうどんをそばに代えたのだ。


関西と関東では、文化の様相がずいぶん違う。今は混合と一体化が進んでいるが、それでもいろいろ肌合いが違う。読ませていただいているブログにもそれははっきり感じられる。


人も自分も笑い飛ばしてしまうようなところが関西系の方のブログにはある。関東人はそこまで自分を笑いの対象にはできない。


と、ちょっと思った。

季節はずれの台風が…

テーマ:

昨夜出かけたついでに、時々立ち寄る小料理屋でおしゃべりしていたら妻から電話が入った。

帰れコールですかなどと冷やかされながら出たら、珍しく息子から電話があって来週ちょっと帰ろうかと思うと言ってきたのよと言う。夏にもよりつかなかったのだからいいじゃないかと答えたら、友達と一緒だとそうだと付け加えた。それで妻は軽いパニックに陥っていた。

今週から来週にかけて、仕事と介護が詰まっていて以前から少し気持ちがふさいでいたのに、突然の台風襲来。

あそこを片付けてここを掃除してと、彼女の頭は寝ている間もフル回転でオーバーヒート気味。

当然私にも大波が襲ってくる。

まあ無理をしないでやれるだけやって、しかも少しは片付くからいい機会だ、くらいには思えないらしい。


また一つ、突然に

テーマ:

いつも読み逃げだけさせていただいていたブログが一つ、昨日訪問したら完全に閉じられていた。

「THE 浮気男 ~ 社長の分際で社員と関係を持ってしまった泥沼の浮気を告白」という、タイトルそのままに、結構悲惨な出来事をむきだしで書き綴ったブログで、女性陣中心の厳しい突っ込んだコメントを含めて興味深く思われて、そこそこ頻繁に訪れていたのだ。

社長の人柄に、そのかなり無責任な行為とは別に、なんとなく親しみも感じていた。


そう見えるだけかもしれないけど、閉じ方がいかにも急でしかも全部一気にという感じだから、何があったのかと思ってしまう。


ブログの宿命だけど、それなりにいっときはさびしい。

今日は、はやらないお店の店番みたいな暇な仕事になることが分かっていたので、でがけに本を探した。机の上にあった「チョコレート革命」をサイドバッグに放り込んだ。

案の定時間がたっぷり空いたので、比較的丁寧にはじめから順番に読んでいった。今までは、本屋で立ち読みしたり、ネットで拾い読みしたり、図書館の書庫でぱらぱら見たりという読み方だった。

歌集だから気に入った歌の一つ二つ拾い出せればそれでいいのだけれど。


俵万智はこの本を結構ドラマ仕立てに組み上げていることが分かった。

この本の中の「チョコレート革命」と名づけられた一群の歌の中から。


 一枚の膜を隔てて愛しあう君の理性をときに寂びしむ 

 ひきとめていたる暁「試すのか?」と言われてしまえばそうかもしれず

 家族という制度のなかへ帰りゆく君はディオールの香り残して

 抜け殻としてあるパジャマ抱き寄せてはかなき愛のかたちを崩す


例えばこの4首をわざわざ並べておいてある。まるで映画かドラマのシナリオの1シーンを読むようだ。

あるいは、私が立ち寄らせていただく何人かの方のブログの一節を。


しばらくやすもうかなと思いながら、結局また書き出しました。

何も変わりませんがよろしくお願いします。