小さな旅に出て

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 妻と出かけた。泊まったペンションの風呂が、グループごとに交代ではいる家族風呂形式だったので、私たち二人が別々に入って時間をとることはやめようと思い、何十年ぶりかで妻と風呂に入った。

 子供が生まれるとどちらかが風呂の外で子供を受け取らなければならないので、一緒に入る習慣はなくなった。子供が大きくなれば余計に二人では入りずらかった。子供たちが出て行っても、もはやそのような習慣は再生されなかった。

 湯船の中で妻と肩を寄せ合うようにして体を温めていると、失ったと思っているものや手に入れ損ねたと悔やんでいるものへの、最近の執着心など、もう捨てようという気になった。

 過去へのむなしい妄執を捨てて、少し前向きに物事を考えてみようと思った。

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FREEWAYで短いツーリング

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freeway2 freeway  


 朝9時を過ぎると真夏の強い日差しが地面を焼き始めた。

 

 今日は東京に出て一日映画を見たり本を猟渉しようと思っていたのだが、知人から用事を頼まれた。断れない用事ではなかったけれど、頼まれるうちが華と思い、午後会うことにした。

 午前の時間が空いたから思いついてFREEWAYで短いツーリング。

 40分ほど走ると、ひところよく走りに来た山道がある。懐かしい尾根道をゆっくりと走った。強い日差しと尾根を越えてゆく風とむせ返るような緑と頭の芯が鳴っているような蝉しぐれと。30分ほど走って里に下りたが、人ひとり車一台にも出会わなかった。

 古い記憶の写真の中に入り込んだようなひと時。

 最近はこのFREEWAYも、たまに街での買い物に使うだけ。

 どこかが壊れたらそれを機会に捨ててしまうつもり。

 でもこうして走ると急にいとしさが増してきた。

 

 うちにはどこにいくにもワンボックスカーがある。荷物もつめるし家族で出かけられる。北海道もこれで走った。大阪や神戸もこれで走った。雨の中でも大風の中でも突っ走った。

 思い出もいっぱいあるが今はもう手入れもせず、あちこち傷がつき、運転していてもぜんぜんどきどきしない。


 FREEWAYは違う。だんだん運転に疲れるようになって、ずっと遠乗りなどしないでいたのに、ちょっとこうして走っただけで、こんなにうれしい。

 以前は乗るたびに楽しくて面白くてどきどきした。だから大好きだった。


 ワンボックスカーは生活そのもの。

 だから、まもなく手放すのはFREEWAY。


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 台風は予想外に早く東の海に走り去った。

 昨夜9時頃様子を見に外に出たら、雨はとっくに上がっていた。そのまま何かに誘われるように、馬刺しを食いに 出かけた。途中のスナックは台風を見込んでか、並んだ2軒とも電気が消えていた。気のせいか通りから見た周囲の夜景もいつもより暗いようだ。その中で通りから少し離れた田んぼの中に目当ての飲み屋の明かりだけが浮き上がっていた。

 引き戸を開けてはいるとオヤジが「おやいらっしゃい」といった。先日来たばかりで少しペースが速いと思ったのか、台風の夜なのにという意味か。

 先客は中年と比較的若いのと男二人。私を気にせず中年がしゃべっていた。「そのくさやを、匂いが耐えられないって女房が捨てやがってさ」

 すると若いのが相槌を打ちながら「くさやってうまいっすよね、確か静岡の特産でしたっけ」と言った。店のオヤジと中年男が何いってるのと言って、ひとしきりどこの島のくさやが一番うまいなぞと薀蓄を傾けた。

 私はテレビのミステリードラマに見入っていた。

 親友(男)とその間にいる女との話。男の一人は何年かぶりに親友と、その妻になった女の元に返ってくる。親友は不倫関係に巻き込まれている。女は夫の親友だった男の子供をかつて妊娠したことがあり、そのときの流産が元で不妊となっている。夫も男もそのことは知らないが、妻の不妊症を悩んでいて夫は不倫をしてしまう。

 どろどろしたテンポの悪いドラマだったがそれなりに面白く作ってあって、所在もないのでじっと見ていた。

 気がつくと、客の中年男が叫んでいた。

 「愛人持つのは男の勲章だよ。ただし愛人も大事にしなきゃだめだ。それができることによってその分、妻も大事にできる。俺はそう思ってやってきた」どうやら話の本筋は、もともと酒肴の話ではなく妻の話であったらしい。

 支離滅裂な男の話が、妙にドラマと共鳴していて内心笑ってしまった。

 目的の馬刺しも食べ、ダンナの手作りのうまいキムチもご馳走になったので、ドラマの筋の大方が見えたところで私は立ち上がった。

 中年男の言い分は理不尽極まりない。しかし、そんなつもりで生きている男はゴマンといる。

 私だって、ほかの事では、分けのわからないことを言いつのって、大声で叫んで生きてきたような気がする。

 

 台風に肩透かしを食らって、妙にさびしくなって出てきたが、男の酔っ払った叫び声が私の心の隙間を埋めた。吹き返しの風に吹かれながら歩いて家に帰った。


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台風

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地震の次は台風。


ろうそくを用意したり、早くから雨戸を立てたりする大人たちのあわただしい立ち居振る舞いを見て

何かどきどきしたうれしいような高揚した気持ちになった

小さいころの思い出。


私の人生には、家の屋根を吹き飛ばすような台風はついにこなかった、かな…


親しい人々の死や

心を通わせた友との別れや

泪は何度か流したけれど


人に見えないように体の陰で小さくガッツポーズをしたような

ささやかな喜びもあったけれど


木枯らしや 夕立や 暑すぎる陽射しや 舌打ちするような天気には何度もであったけれど


台風接近の予報を聞き

台風に奇妙なあこがれを持ったたこどものころをおもいだして

なんだかなあ、と思ったひと時


自分で望んでそうしたくせに。



傷つけることも傷つくことも嫌いで 争いごとを避け続けて 

誰とも離れずつかずの関係で

だからたいしたことはできなかったけど あまり文句は言われない程度には仕事もこなして

いい人だとかやさしいとかいわれつけて

でも ひどくは憎まれたり恐れられたりしない代わりに 崇拝されたり尊敬されたりもしないで生きてきたから

ひどくほめられた記憶がない

そんな私が忘れられない 私へのことば

彼女はそうは思っていないかもしれないけど 誰も言ってくれなかった 私への一番のほめことば


「壬生さんを見ていると、なぜだかムルソーを思い出すの」


23歳の夏 まだ学生をしていて、みんなで酒を飲んでいて

そこにいたみんなは、ぜんぜん違うよって笑ったけど 

私もあいまいに笑ったけど

本当の私を見てくれてありがとう 一人で孤独に向き合っている私を感じてくれてありがとう

そう思った 

私は意気地なしじゃなくて ちゃんと自分で生きている 

ムルソーみたいに

そう思った


私をムルソーに似ているといった若い女性の名前さえ今は思い出せないけど

ことばは忘れない



*ムルソーは、カミュの小説「異邦人」の主人公。実存の虚無の中でありのままの生を生きる。母の死んだそのあとで、行きがかりで「太陽がまぶしかったから」人を殺してしまう、ありふれた若者。←これは私の解釈。


特殊と普遍

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今しがた読んだ、ある女性のブログ。昨年10月の記事。


愛人が部屋に来て、ブログ管理人の女性がおなかが減ったといったら、いつものように調理に取り掛かってくれながら、一言「テレビである女性有名人が、男のかたと会えばまずメイクラブでしょうって言ってたよ」


ブログ管理人は、食欲が性欲に負けてごめんね、と書いてから、

「どうりで着替える時に、なかなか部屋着を着ないでスッパでうろうろしてると思った・・・ これから寒くなるから、気をつけてよ、ダーリン!」と続けていた。


以前に椿さんに伺って知ったこととの関連で。

なるほど、既婚者が恋人の部屋に入ると素裸になって下着から着替えるのは、特別なことではなくて、結構行き渡った作法なのだと、変なところで納得。


特殊と思っていた事象が、ただ多くの事例を知らなかっただけであったことのに気づいた一例。

苛める

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SMの話ではありません。

最近2度、妻を苛めた。

 一度は先週末。開店した量販店に二人行く約束をしていた。着替えを済ませた時点で「やっぱりやめる。ごめんなさい」と妻。体中がだるくて頭がくらくらするという。これで出かけると、週明けの仕事に差し支えそうだと心配しているのだ。その数日前から蓄積した疲労を愁訴していたから、事情は分かった。「いいよ一人で行くから。」そして彼女が欲しがりそうだった園芸用品まで買って帰った。夕食時、明後日からの仕事が心配だと妻が言った。私は医者に行けと言った。「何を見てもらうのよ、疲れがたまっているだけなのに。休めば直るのよ」「おかしいよ、そんなにいつも疲れて。素人判断で手遅れになったらどうするんだ。ちゃんと見てもらえよ。」

 思いやりがある振りして、「お前は弱くてだめな女だ」という。「病人で、医者にかからなければいけない女だ」という。

 彼女はそういって、「あなたは私を責めている。あなたにそういわれるたびに私は自信をなくしてきた」と泣いた。以前だと私はわざと感情を見せずに「あなたが自己変革をしようとしていないからいうのだ」「言ってもいないことでいいがかりをつけないで欲しい」といってお仕舞い。

 今回は、彼女に抗議されて、彼女が直前に予定を変えたことに私が実は腹を立てていたのが自分でも分かっていたので、「分かったよ、疲れたら休もう。お互いにもう年だからね。」それで妻がどう思ったかは知らないが、ほんの少しはテイストが違うかな。

 そうしたら、昨日のこと。実家へ母の介護に行く妻を駅まで送り帰宅する途中で、わき道から出てきた車が私の運転していた妻の車の横腹にドスン。相手と話し合い保険屋を呼び車屋に修理の約束をし、相手の若者が父親と菓子折りを持って謝りに来て、とにかく午前中は忙しかった。地震の後、妻の実家に電話をしたが混んでいて通じない。また後でと思っていたら、他人と会う約束にあわせて家を出る間際に妻から電話。 

 妻の実家が大丈夫だったということだけきいて、きろうとしたら、うちのようすを聞きたがった。「地震は大丈夫だけど、ちょっとあったからね。」「なにが?」「今いそがしいから後で」。妻が何かいっているのをがしゃんと切った。

 帰宅後妻の実家に電話。妻の車が壊れたことと修理にかなりかかることを言った。即座に「ええっ!来週私はどうするのよ、慣れてない代車はいやなの」「代車はすぐにはないそうだ」「じゃあ友達と会う約束はどうしよう。出勤はどうしよう」「俺のせいじゃないよ、もらい事故だよ」「友達との約束断るわ」「俺のせいじゃないよ、もらい事故だよ」

 こういうやり取りが数分続いて、電話は切れた。妻の名誉のために言うと、実は半年前に、私が起こした事故で妻の車が工場に1週間入院し、妻が大変不便した前科が私にはある。

 5分後再び妻から電話。「なに?」「いや、さっきのやり取りはちょっと問題が残ったかなと…」「保険屋はマニュアルどおりとしてもまず、お怪我はありませんでしたか、と訊いたぞ。あなたは来週の自分の予定の話だけだったね。」「いや、その前の電話で声が元気だったし、すぐ出かけるといってたし…」「あなたの反応は、全て予想したとおりだったからいいけど。」「だって前のこともあったし。」「あなたのそういう自分の側からしか考えられないところは、昔からだから」「本当に困るなと思ったから」「だからふだんから僕の車も運転できるように練習しておけばいいのに、いまできることだけしかやろうとしないから」

 妻が少し涙声になった。老母老父の世話に疲れた体を鞭打ってかけつけて、自分の使い慣れた車を壊されて(私が起こした事故ではないが)、また亭主のえらそうな説教を聞かされて。

 かわいそうで申し訳なくなったので、「代車が来るまでは僕がアっシーをするよ」「だって来週はじめは東京に出かけるって言ってたでしょう」

 実は友人の講演会に招かれていて、そのついでに一泊で買い物をしたり映画を見たりと考えていたのだ。

 「いや、事故の後ちょっとがっくり来て、その気もなくなっていたし、K君への言い訳も立つから。」

 「えー、いいよいいよ。友達に送迎頼をむから」

 

 書きながら、婚外恋愛の人々の喧嘩も夫婦のいさかいも、喧嘩はみな似たようなものだとなと思った。愛に変わりががないように。

 他愛もない話なのに長すぎ。

揺れた!

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さっき揺れました。市街地の道路を車で走っていたら、目の前に自転車のおばさんが出てきて、急に止まって道の向こうの知り合いと何か話し出したから、仕方なく私もとまったら、車がへんなゆれ方をした。ラジオをつけたら地震だった。

皆さん、といっても関係地域の方々は、ご無事でしたか?

私をどこに置くか

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 部屋の入り口で自分の居場所を探す

 ドアの近くに立つか

 奥の隅に座るか

 真ん中に進み出て大きく胸をはるか


  どこにいても私は私

  そっと息を呑み背筋を伸ばす


 これから続く

 あなたの胸の中の舞踏会

 私は どこに置きましょうか


椿さんのブログではずいぶんいろいろ考えさせられる。匂いの話題で、私のコメントに返事を下さって、部屋に来ると下着から着替える「あの人」のこと。

>>あの人があたしの部屋に来るようになったのが夏のことで、下着を部屋着代わりに買ってきたのが始まりでした。そして冬になり、スウェットの上下を買い足してきました。
どちらも、あの人が自分で用意してきましたので、あたしの提案ではなかったと記憶しています。「もしかしたら、あの人が昔からしていたやり方なのかもしれないですね」。


とさらりとかけてしまうのがすごい、と思う。絵を描くときに、鑑賞者の視線では見えない物陰まで考えながら描くような、あるいは、描き手が見たくないものまでちゃんと視野に入れて、その上で絵を描くような姿勢を感じて。


昨日の椿さんの記事で。

>>もしもいたら、それがわかったら、おしまいだ。/「あたしは、あなたの愛人にはなるけれど/ あなたのその他大勢には決してなりません」/この恋が始まる時、あたしはあの人にそう伝えてある。


ずっと不均衡な恋だと(つまり、不等価交換している取引…もちろん払いすぎているのは椿さん…のような気がして)感じて、そう書いたりもしたけど、椿さんは笑って、私がそれで承知しているんだからいいじゃないのといって相手にしない感じだ。

きっと恋とか愛とかとは別に、人生そのものについては自分の決めた道があって、その目標を追い続ける覚悟があるからなのだと思った。


独りよがりの思い込みを書きました。


 「源氏物語…」で屁理屈をこねていたら、書いてる本人が船酔いしたので中断。

 いいたかった、結論を言うと。

 今日の制度としての結婚は、ただの歴史の産物で、近代市民社会の枠内での建前的制度にすぎず、それほど絶対的なものではない。

 しかし、(ここから先はまだ書いてなかった)夫婦関係に見られるようなある種の男女の深い結びつきには、それなりの重みがある。それは二人が社会的な集団の中で果たすべき役割と営為を公然と積み上げてきた重みである。だから夫婦には種の物理的な力にともいうべき引力が相互に、そして斥力が二人の外部に対して働いている。

 これは、夫婦が愛し合っているかどうかとかいう問題とは別だと思う。逆に言えば夫婦でなくとも愛し合うことはあるし、その愛の深さを比べることはできない。

 ということで。


 今日フジテレビの評判の昼ドラ「契約結婚」を垣間見た。三年契約で結婚し別居している、結婚したばかりの夫婦が主人公。お互いに愛し合っていると公言しながら、すでに男と女に気持ちの齟齬が生まれる。強い絆の証が欲しいというヒロインと、両親の結婚生活の失敗にきづついて契約結婚を求めたその夫と。いさかいをしたままそれぞれの家に戻り、深夜、一人でベッドにいる夫の枕元で携帯が震える。ディスプレイには妻の名前。男は出ない。もう一度携帯が震える。mail着信。「私たちは夫婦だよね」

 そういえば私も、心の中で何度も妻にそうつぶやきかけたことがあった。


 この言葉は虚しいけど、力強い。


 「私たちは恋人だよね」「私たちは愛人だよね」…これらの言葉は「同士」をつけないと何か落ち着きが無いし、つけても弱弱しい響きがする。「夫婦」という言葉は相互的な関係性を緊密に表している。

 セックスレスだろうが、憎しみあっていようが、あるいは友人関係みたいだろうが、夫婦は夫婦。「仮面夫婦」という言葉はあっても「仮面恋人」はない。親子だろうが兄弟だろうが仮面のつけていない人間関係なんて、ありえないのだからそういう意味では「仮面夫婦」という言葉は、夫婦関係の求心力と斥力の強さの反映だ。

 「契約結婚」の原作は1961年高度成長期前夜にかかれた「僕たちの失敗」(石川達三)。彼らの純粋で新しすぎた失敗に終わる行為は、しかし、いまやありふれて日常化された。しかもそれは日常化された失敗として。私はこの小説が書かれたとき、高校生のプラトニックラブの最中だった。