Secret base というブログ

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私がこのブログを造ろうと考えたもう一つのきっかけは、Secret base というブログに出会ったことだ。このブログに何回かコメントを書き込ませていただいて、自分の考えも整理でき、またいくつか返事もいただいて私の身の周りの景色が少し変わり始めた。そのことも少しずつ書いていきたい。

性という厄介な代物に私はなんと無神経に付き合って(あるいはちゃんと付き合わないで)きたのだろうと、少し唇をかむ想いがある。

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Tという名のブログに出会った。最初は読むだけだったいろんなブログに少しずつコメントを書き始めていた頃だ。中年男性の愛人をしていると自ら名乗るTさんの記事は、読んでいると私をとても切ない気持ちにした。私はその気持ちをHNにして、Tさんにコメントを送った。やさしいレスがそのたびについた。私の娘よりもまだ少し若い彼女の「今」と「これから」が、私の心の中で、勝手なイメージを作り始めた。私の職業病とも言うべき悪癖が頭をもたげ、もってまわった言い回しで、なにやら説教めいた感想を連発した。もしかしたらTさんに何がしかの知恵と教訓を伝え「あるべき」位置に彼女を立たたしめることができるのではないか?愚かで傲慢な、しかも卑しい私の思いにTさんはさりげなく「私は私でちゃんとやっているのですから」と注意し、私は恥じ入って謝った。

自分を少しは正直に見つめてみたい、改めてそう思い出したきっかけの一つは、紛れもなく彼女のブログとのこのような出会いである。

私の本当の気持ちを言えば、私には、『Tさんがそんなにも悩みながら今は好きな「あの人」は、ずるくて卑怯だ』という義憤のようなものがあった。そして、よく知られているように、このような他人の独りよがりの義憤ほど、当事者を悩ませ人々に迷惑を掛けるものはないのである。すでに私自身が気づいていてコメントにも一度そっと書いたが、このようなおせっかいは義憤の形を借りた嫉妬であることが多いのだ。

私は何を嫉妬しているのか。性と愛についての遠い昔からの、小さな箱庭の中なのだけれども私なりに切実な徘徊があったことを改めて思い出し、それを吐き出してみたいと私は考えた。

そういうことが許されるのかどうか分からないけど、いくつかの気になるブログを見て廻って、私の感想を書き、その感想を通して自分の思いと姿を見直してみたいと思ったのだ。


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船出

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岸辺に立って

沖を行く船に呼びかけたり手を振っていたら

かすかに応答があって

そのまま船は行ってしまった


ヘミングウェイが帆をたたんだ後の海へ

私も船を出してみよう


残されるよりは

一人きりの

あても無い漁のために

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