TwitterのTL見てると。バンクーバーオリンピックの話と、バレンタインデーの話。それに中華圏の旧正月の話がそれぞれ行き交ってるのが見える。
欧米や日本のTLはオリンピックにバレンタインデー。中国やタイに在住の人、それにおそらく世界中の中華街でもそうだろうね、一番の関心ごとは旧正月。
モーグルで盛り上がったり、チョコレートに右往左往してみたり、爆竹ばんばん鳴らしてお祝いしてみたり、といった様子が目に見える。
そんなのを見てると、今世界はすげー多層化したんだなあと実感する。

このことは以前イスラム圏の国を旅していたときよく感じることとも通じるんだけど、一昔前には世界はグローバル化するなんて言われてたけど、実際にはグローバル化なんてしなかった。あ、いや多少はしたのかもしれないけれど、グローバル化するよりも”多層化”の傾向が強かったように思う。
言語や国籍だけでなく、貧富、興味、趣味、職歴、そういったもので世界は多層化・レイヤー化されたのだ。

[音楽と多層化]
音楽それ自体の多層化は言うまでもない。ジャンルとか世代とか、元々多層化しやすい物だしね。たとえば、民族音楽のトレンドで言えば、以前のローカルな音楽を掘り下げるという方向から、やがて、あらゆるものがフュージョンして新たな層を作り出す様になった。ジャズシーンでの民族音楽の地層とか、クラブミュージックでの民族音楽の地層とか、そういった物が登場してきて、民族音楽ファンの中でも地層のレイヤーができて、かぶり合わなくなってきた。

[ARと多層化]
でもう一個多層化っていうキーワードで言えば、拡張現実。それ自体、すでに現実にバーチャルという一つのレイヤーを重ねることによってできてるんだから。完全に多層化だ。たとえば、ウェアラブルタイプのインターフェースができたとして。それぞれの趣向や、設定、それどころか、性能やメーカーによって、違う世界に生きることになるかもしれない。一台の車が、おんぼろの車にも、ピカピカのハイテクの車にも見えてしまう世界。

僕の見てる物と君の見てる物が違う世界。すぐそこまで来ている。