私のブログには「私」という言葉がたくさん出てくる。

昨日の記事を振り返っても、結構な数の「私」が登場する。
斜めの視線で見ると、ある意味自分大好き人間のように見えるかもしれない(苦笑)


ブログでもなんでもいいのだけど、常々【自分を通して考えたこと、経験したことじゃないと語り尽くせないし、
伝わらない】という具合に思っている。

だから、たとえばどこかの偉人の言葉を借りてきて「今日も一日頑張りましょう!」というアウトプットの
仕方が正直、とても、とても苦手。

真意はあるかもしれないが、それが知らないかぎり「情報シェア」程度のことに思うし、読んでもいない本の
ことを「これはオススメです!」とCMのように吹いているのと同じに感じる。
(まぁ、それぞれ好みもあるでしょうが)

「本当に」その言葉に感化されたのならば、その言葉から気づいたこと、何を咀嚼してどう思ったのか・・・
自分なりに当てはめ、下手でもなんでも、ほんの少しでも自分なりの言葉にしてみることでようやく自分の
ものになるのだと信じている。

すくなくとも、この場においてはそんな心意気をもって「私」と向き合っていきたいと思う。


なぜ、ここまで「私」というものにゴリゴリとこだわるのか。

「私」というものを極めないかぎり、「私」というコアでマイナーで狭い世界を突き抜け、今この瞬間目を
通してくださっているあなた・・・つまり「私たち」という共存・共有関係に昇華できないからだ。
追求のしがいは、あると思う。

私は、「私」を超えたその先の世界を見てみたい。




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ランチにドリアを注文したら(まだ胃腸が全快ではないため、なるべく柔らかくて温かいものを食べる
ようにしている)ラブ注入された。

$35歳から読んでおきたい「オンナの××(ペケペケ)論」

バレンタイン、近し!

昨年は生チョコのつくり方を教わった。
これが結構ウマいことできたものだから、調子に乗ってたくさん作ってみたら冷蔵庫の中が生チョコ
だらけになったなぁ。

バレンタインといえば、頭の中を駆け巡るのはやはりこれだろうか?

バレンタイン・キッス2008/国生さゆり

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おそらく、この時期一番のヘビーローテーションかと思う。
「こういう時=これ」という型式を持つのは、ある意味考えなしの安心感を与える。

が、しかし。

こういうイベントや行事ごとがあるときこそ、実は自分の感性や個性・・・つまり「あなたらしさ」を認識する
にもってこいのチャンスでもある。一体どういうことか。


手前味噌ながら、昨年、私は数ヶ月間ラジオの番組を持たせてもらった。
これは本当に貴重な経験だった。
(固定概念を叩き壊し、「喋りのプロでなくともラジオ番組が持てる」というチャンスを掴んだと思う)
その時にお世話になった方から、とても大切な心がけを教わったことが、考えのベースにある。

たとえば、クリスマスの時期にラジオやテレビから流れてくる音楽を想像してもらいたい。

あなたにとって「クリスマスソング」ってどの曲?
何が思い浮かんだ?

Wham!?
マライア・キャリー?
ジョン・レノン?

おそらく、通常はこのあたりを思い浮かべるだろうし、どの番組、どの時間帯でも同じような曲が流れて
いると思う。しかも、遥か太古の昔(?)から。

私が番組を持ち、リスナーに向かってお話する内容を考えていたときに、お世話になったその方が何度も
何度も、言い聞かせるように伝えてくれたことがある。
個人的に、まるで懐刀に収めているような言葉なのだが、読んでくださっている皆様へこの場で共有する。


「たとえばクリスマスだからといって、Wham!やマライアを流すようなパーソナリティにはなっちゃダメだ。
そんなことをしていては、みんなと同じであなたという個性が埋もれるだけ。
ヘビメタ?ハワイアン?民謡?なんでもいいし、問題ない。

自分だったら、クリスマスといえばどんな音楽を流して【クリスマスを表現する】か。
いかに、人とは違う何かを見つけてくるか。
どういう角度なら、一歩抜け出すことができるのか。

これを考え続けること。
それがあなたという個性だし、【伝える】そしてあなた自身のことが【伝わる】というのはそういうことだよ」



この言葉が、Wham!やマライアを否定しているわけではないことぐらいはお解りいただけると思う。
ただ、ときにお決まりの型式が考えることを拒絶し、「自分とは何か?」という永遠に解けない(ように
思える)押し問答に足を踏み入れてしまった経験は一度ぐらいあるのではないか。


私は元来ラジオっ子なので、事あるごとに「もし、この番組のDJだったとして、私ならどんな曲を紹介する
か」ということを、遊び半分で考えている。

それが日の目を見ることなく【心のベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ」】に保存されているだけだとし
ても、そうやってどんどん好みをストックしていれば、それがいわゆる人としての引き出しに繋がっていくの
ではないかと思っているし、こういう時にはこんな球、という球数を増やすことが可能だ。
(時々飲み会の席なんかでお披露目しあっても良いかもしれない)

反射的に「私ならどうするか?」という思考の道すじを立ててみることは、ラジオ番組という初期設定だけ
ではなく、あらゆる人生の場面において応用ができるトレーニングになる。


私らしさとはいったい何か。

一人称「私」について、真摯かつ哲学的に考えて向き合っても、どうにもこうにも埒があかないときに、
ぜひゲーム感覚で試してほしい。
このとき、真剣を通り過ぎて、深刻にならないことがただ一つのコツである。

情報が飛び交い、誰もが好き勝手にハテナを投げかけてくる世の中、お題はいくらだって降ってくる。
万が一「本流しか思い浮かびません!」という場合でも、たとえば初音ミクに歌わせてみるというアレンジ
(調理方法)は、いくらでもある。

初音ミク-Project DIVA-F Complete Collection(初回生産限定盤.../オムニバス

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というわけで、私からのお題は【もしあなたがラジオDJだったら、バレンタインにどんな曲を流す?】。
甘い甘い恋のチョコレート(笑)でもほうばりながら、暇つぶしに考えてみてください。
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週末から週明けにかけ、プチ体調不良が続いている(っぽい)。

昨日なんて、予告なくお腹が確変大フィーバーを起こし早朝から苦しんだ。
優に三キロは痩せたかと思われる。やっぱり冬は鬼門だなぁ。

インフルエンザが蔓延している。
こればかりは時の運とはいえ、罹ったら結構な大ごとである。

私事ではあるが、頭痛・胃痛・お腹下し等々痛みを伴う体調不良を起こした場合、突然「いい人」になる。
痛みが発生し、体中の要らぬものが排出されようとするまさにその時、「ありがとう教」の信者になる。

まったく、○○菌ちゃんも「かまってちゃん」なんだから~
カラダの中で私の免疫精鋭部隊がクッパ大王と戦って暴れ狂ってくれているんだわ~
デトックス、デトックス~
健康に感謝、トイレの神様、ありがとうぅぅぅぅぅ~


あ・り・が・と・う/中島みゆき



苦し紛れに、涙目になりながら、ちょっとしたマントラを(心で絞るように)叫ぶ。

そうすると、痛みを突き抜けた瞬間を境にこの苦しみもほんの少しだけ受け入れてやろうじゃないか(上か
ら目線)という余裕が生まれてくるからなんとも不思議だ。
日頃の不規則不摂生不養生を反省する良い機会にもなる。謙虚になる。

まぁ、体調にかかわらず不調、不遇のときこそ自分なりの悟りが開かれることは多いということだ。
(多いでしょう?)

今回の私の場合、まさに【受け流す】という悟りのようである。

自らの身体感覚の体験を通じて、細胞をぶるぶる震わすように記憶したこと。
「それ、知っているよ」とは、そういうことのように思う。
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息抜きも終わったと思うので(笑)前回の続き。

30代後半~40代前半、アラフォー女性の欲望について①


「消費の鍵を握るのは女性」という消費財市場の風潮は、今もなお変わらずにある。

あらゆる世代、あらゆる分野で’女子ウケ’するものが考えられ、その度に私たち女性はたくさんの
選択肢を与えられ、一頃に比べ格段に生活しやすくなったと思う。

けれども私は、30代後半~40代前半のいわゆる「アラフォー」、特に独身女性をターゲットとしたコン
テンツに関しては、最も売り方も打ち出し方も難しいところだと踏んでいる。

そんな、当事者たちでさえハッキリ自覚するのを回避している「訳のわからん自己昇華の方法」の
正体とは何か・・・わかるだろうか?


あくまで一例という前提で、思うところを詳らかに申し上げる。

現代のアラフォー世代と呼ばれる女性たちは、程度の大きさはあれどこかでコンプレックスを感じている。
欲望の正体を堀りに掘り下げたとき、最後に残る石ころは「圧倒的不安」、これに尽きる。

中にはそんなものを感じることなく、オールパーフェクトな人生を送っている方もいるかもしれない。
(そういう方は読み飛ばしてもらったほうがよいかも・・・笑)

けれど、大半の女はある時期を迎えると「自分に残された時間」という問題に直面する。
直訳すると「産むか、産まないか」ということである。
既にお子様がいらっしゃる方も「次はどうするか、どうしないか」と一度は考えたことがあるだろう。

つまり【霊長類ヒト科人間の女として】自分はお役目を果たしているのか、いないのか。
いけるのか、もう赤信号なのか。可能性にかけるのか、違う道を歩むのか。
私は「その道」を渡るのか、渡らないのか・・・。

どんどん目減りしていくリミッターを横目に、大なり小なり焦りを感じながらこれからどう展開して
いこうかと、仕事、恋愛、結婚・・・あらゆる人生戦略を見直さざるを得ないのが、多くのアラフォー
世代の本当の姿だと思う。
(ひとりでは解決不能、ということも目減りの理由である)

だから、(誰がなんと言おうと)誰よりも無価値観に絶望し、人知れず涙する夜もあるし、満ち足りて
いるものより「自分には何が足りないのか?」を数えるのが得意になる。
どんな状況であれ自分の存在を認めて受け入れてくれる場所、人、生き方を探し世間を彷徨う。

今あるすべてに感謝
自分という存在は、万能である
波動の法則 鏡の法則
なりたい自分を先取りしよう
ありがとう ありがとう ありがとう

人生の達人たちはそう言う。
本棚を凌駕する自己啓発書にもそう書いてあった。
神社仏閣に手を合わしてみる。瞑想もする。
周りは凄い、凄いと持ち上げてくれる。

でも、どーーーーーーーーーーーーしてもダメな時があるのだ。

頭では理解していても、感情が納得しなければ心の底から行動することはできない。
とくに、女とはそういう生き物である。
(脳は騙されやすいから、ありたい現実をまず浮かべて、そうなった自分を生きる・・・なんてテクニックを
仮に知っていたとしても)

ゆえに「圧倒的不安」に潰されぬよう「訳のわからん欲望」=自分を満たして裏切らないものにシフ
トする。それが市場原理とは真反対のベクトルであっても。

今、世の中を見渡してみると前後世代(20代~30代前半、40代~50代)の雑誌などは、キャッチーな
コピーとともに書店を踊り、どんどん時代を席巻している。


BAILA (バイラ) 2013年 02月号 [雑誌]/著者不明

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STORY (ストーリィ) 2013年 02月号 [雑誌]/著者不明

¥800
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対して、テレビのドキュメンタリーなどがアラフォー独身女性を特集するときは、必ず「婚活」、そして
どこか「孤独」の匂いが含まれてくる。はっきり言って、明るくない。
それぐらい、ややこしくて難儀な世代だということを、男女問わずアラフォー女性をターゲットとして
コンテンツを展開しようとする人々は心しておくことである。


ひとくちに「女」といっても様々である。

結婚した、産んだ、仕事もある
結婚した、産んだ、仕事はない
結婚してない、産んだ、仕事はある
結婚していない、産んでいない、仕事はある
結婚していない、産んでいない、仕事もない

おそろしく無限に種別が蠢いている中、私たちは微妙な均衡をもって笑顔を見せながら人間関係を
形成している。


先般、様々なメディアの編集に携わった、同世代の女性(既婚・子どもなし)とこのようなこと↓を
語った。

「アラフォー、万歳\(^o^)/」
「私たちって、素晴らしい!」

という肯定的なアラフォーコンテンツを成功させるのは、世間様が思うほど実は容易ではない。
理由は前述の通りで、その根本にあるのは「本当に今の自分でいいの?」という疑問符が常に
頭をかすめているからである。
圧倒的不安を抱えている自分に「キラキラ風に見えるもの」は、所詮人生のリアルではないのだ。

いろんな物事に折り合いをつけ、達観するにはまだまだ若すぎる、中途半端なお年頃である。
(妖怪人間のヤツらの気持ちも多少は解るねぇ~)

・・・というのが我々の本音であり、冷静な着地点。
例外はあるかもしれないけれど。

今春、アラフォー、しかも独身女性をターゲットとした、なんともチャレンジングな雑誌が刊行される。
日本の知を結集させた「市場の仕掛け」は果たして「女の腹の底」を超えるかどうか。
秘かに行く末を見守ろうと思う。
私には珍しく、直球勝負のタイトルだなぁ。
このようなテーマでなにかモノを語ろうとするとき、頻繁に引用するセリフがある。

「35の女の欲望なんて耕二くんには絶対にわからないわ」

東京タワー (新潮文庫)/江國 香織

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この小説の初版発売はは2001年と記憶している。
(ちなみに耕二くんとは、20歳の男子大学生である)

はじめて手にとり、この言葉を「飲み込んだ」当時、私自身が20代の若造だったがために正直いうと
「35の女の欲望」というものが一体何なのか見当もつかなかった。女のくせに、だ。

ただ、言葉の感じや前後の話の流れから「なんかただならぬもの」が靄のようにかかっているような、
でも凄みが効いているようで、これは一筋縄じゃいかなさそうだと戦々恐々とした記憶がある。
(興味がある方は本編をご覧ください)

なので、自分自身が35になったときにどんな欲望を抱いているのか、どんな人生を歩んでいるのか、
見逃すことなく注意深く観察しなければならないと思っていた。半ば義務感、人体実験。


そして、ある時いよいよ35歳を迎えた。

はて、どんな強欲っぷりなのだろう、何が溢れかえっているのやら!と張り切って期待した。
期待とは、大きければ大きいほど、時に鮮やかに裏切りの側面を見せる。

残念ながら、その時の私が色濃く抱えていたものは、単純明快な「欲望」ではなく自分の進むべき
未来に対する「圧倒的な不安」だった。
そして「圧倒的不安」をなんとか払拭するために、思考回路のなかでどういうわけか「欲望」という形
で昇華され、なんとか空っぽ(だと認識している)の自分を満たそうとするのだと知った。

なんか、新しいお勉強でもしてみようか
習い事でもやってみるか
お伊勢詣にでも出かけようか
いっちょ仕事を変えてみるか
ついにお見合いでもしてみるか

私の「今」に、風よ吹け!嵐を呼べ!嵐~嵐~

世界は嵐を待っている!―ARASHI最新写真集【普及版】/著者不明

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これは、なんとも女的な自己解決法であり、出口の見つけ方だと思う。
複雑で、でも単純で、感情的で、幼稚で、大人ぶりたがりで、見栄っ張り。
ついでに繊細、でも大胆ときたもんだ。
しかし、実はどこかで気づいている。これは単なる表層を覆うツールでしかないことを。

こんな訳のわからん自己昇華方法を、そこら辺の20歳の男子がわかるわけないし、ビジネスの世界、
マーケティングの教科書に載っているようなことで正確に語り尽くすことができるだろうか。
(「精度高めに当てる」ということは可能だろうが)

当の女たちでさえ、正しく自分の「欲望」を理解しているかどうかも怪しまれる。だから、マーケットに
提供されるコンテンツに受動的に翻弄される=上客・・・という現象が起こったりもするのだけど。

たんなる自論とはいえ、これは丁寧に説明しておきたいので、これまた珍しく次回へ続ける。
なので、ちょっとばかし息抜きしておいてください(笑)
数日ほど、体調を崩して自宅に引き篭っていた。

$35歳から読んでおきたい「オンナの××(ペケペケ)論」


体調が悪いとき、気分が優れないときは徹底して「内側」に篭るのが私のやり方である。
とかく、無理をしない。こういう時間の過ごし方を選ぶのも、ひとつの選択だ。

一年の中で、一ヶ月の中で自分のバイオリズムが崩れる時期をなんとなく把握しているので、
スケジュールの優先順位は「その時期をなるべく空白にしておくこと」。

こと、冬に関しては個人的に鬼門なので(2年前にぎっくり腰を患った)、無理に活動的になろ
うとぜず、大人しくしているのがべストな過ごし方となっている。

余程のことがない限り、薬に頼ることもなくなった。
「痛い」「苦しい」というのは、カラダが神経反応を起こして不要なものを排出しようとするシグナル。
これは自然の摂理なので、耐えれる限りは痛みとともに時をやり過ごす。

おなかピー子ちゃんのときは、個室でひとり孤独に悶絶しながら「さらば、毒素よ~」と心で絶叫する。
そうすることにより、本当にカラダから悪いものが取っ払われるような気がしている。
一種のアファーメーション的なものだが、これがなかなか気分爽快なのだ。


時々おいおい、話が違やしませんか?と感ずることがある。

それは、たとえば飲み会に誘われたときに本当は酷い頭痛や月のサイクルがあったとしても、
鎮痛剤を飲んで痛みを圧してまで、無理やり参加するような場合。

あらかじめ決まっている予定だったとしても、できる限りカラダに正直に予定をやりくり(誠意を尽く
してお断りするとか、早退するとか)したほうが私はよいと思っているし、辛そうな人を無理やり宴
の席に引っ張りこもうとするのは幼稚すぎるってものだ。
(しかし、仲間とはあなたが密かにどういう状態であれ、事情に気づかない限りその場にいることを
所望するものだということも知っておかなければならない)

私は仕事仲間や友達にそんなことはさせたくないし、なによりカラダにとっても本末転倒である。
【健全な心身】とは、ある意味動物的感覚を研ぎ澄まし、動物的本能に従うことによって保たれて
いるような気がしてならない。

それでも「でも、せっかく誘ってくれたし・・・断れないのが私のクセなんだよね」という人もいる。

違う。

「クセ」の定義とは、本人すら気づかずにやっていることである。

「私って○○な人」と気づいた時点で、それは「選択」に変わる。
そうなることをおのずから選んでいる自分がいるだけだ。

妙なクセだと自覚いることは、すべて自分が選んだ選択の結果なのだ。
それをちょっとばかし心得ているだけで、今、見えている景色が変わる。

乱れた部屋、放置した食器類、返信していないメール、素直になれない自分。
変えたくても変えられなかった自分のアレやコレやを変えることだって可能だと思う。
「クセ」と「選択」を混同していると人生がややこしくなるのは確かなのだ。


「でも、やっぱりダメだわ、私。今のスタイルは変えられない」という人がいるとしよう。
仕方あるまい。それもあなた自身の選択の結果である。

私は「体調が悪いときには無理せず十分に休息する」という生き方をこれからも選択していく。
今日ほど、人生の中で苦くしょっぱい思いをしたことはない。

(一応、ガラスの)ハートや胃がキリキリ傷んで憔悴しても、朝から何も口にしていなかったことに気づくと、
自然とお気に入りのラーメン屋へ足が向く。
「ラーメンの半分はスープだ。半流動食だ」と、誰の耳にも入らない妙な言い訳をしつつ、これまたハンパな
変装?マスク姿で暖簾をくぐる。

同じ年頃とお見受けした、女子が2名先客で座っている。
基本、どこも男の園なラーメン屋で、ひとりで麺を啜る女の姿を見かけるとガッチリ握手したくなるのは私だけ
だろうか。よほど欲求に忠実な女でなければ、わざわざアウェイに乗り込みゃしない。

先客たちに背を向け座る。鏡越しに彼女たちの人となりが透けて見える。
それぞれきっと仕事帰り・・・自分のためだけに飯を炊くのもくたびれる乙女心。
その気持ちはよく解る。ひとりは、替え玉を頼んでいた。オットコマエだ。

おそらく、第2の思春期を迎えた女3人が黙々と、男の園でラーメンを啜る。
半ば想像の人でもある彼女たちの人となりを確認し、安堵する。

ラブストーリーは突然にやってくるのがお約束。
それと同じく、神だって突然降臨するものだ。

「ぬうぉおぉぉ!もう、好きなようにやってやるゼッ!」

弱った我が身に精をつけるため、目下のラーメンに投入する薬味ニンニクをぎゅぎゅっと絞り出しながら(心が)
叫んだ。まったく、変なタイミングで覚醒してしまったようだ。


今日ほど、人生の中で苦くしょっぱい思いをしたことはない。

そんな時でも腹は減る。近くの女の様子が気になる。
そして、確かに呼吸をしている。自分の弱さ、図太さ、逞しさに驚き涙し笑う。
いろんなことに揺さぶられながら、毛穴細胞を震わせそれでもなんとか立っている。

「ぬうぉおぉぉ!もう、好きなようにやってやるゼッ!」

そんな半ばキレ気味に(笑)今日もどこかでチカラを持て余している女たちへ、これからこのブログを捧ぐ。
人生、哲学、恋愛、仕事、××・・・好きなときに、好きなように当てはめながら自由に読んでほしい。

クリスマスウィークも終わり、一気に年末ムードとなりました。


12月26日・・・この日だけは毎年「切り替えの早さ」に感服せずにはいられません。

昨日クリスマスツリーが飾ってあった場所には既に門松が(笑)


TOKYO SISEI-UP STUDIO、本日が年内ラストとなります。


ワタシ自身、長期で体調を崩していたこともあり随分カラダがなまってしまいました。

しっかり動かして一年を締めくくろうと思っています。


来年以降は、運営体制やプログラムに大幅なメスを入れます。

より良いものをお届けするために、コンテンツを見極め、取捨選択していく必要性が出てまいりました。


また、こちらのブログも不定期更新となっておりましたが、情報発信のワンツールとして皆様のお役に

立てるようなものを積極的に掲載していきたいと思います。


飛躍の2012年にすべく、コツコツ、チマチマ思案中です!

男装の麗人(笑)

テーマ:

パーティーシーズンです。


パーティーファッションも個性で勝負・・・。

豪華絢爛、美しい女性ばかりの中で、フツーでいては目立たない!(笑)


ということで、先日はあえてマニッシュに、タキシードのジャンプスーツで男装の麗人をテーマに装って

みました。おかげさまで「ヅカやん!」という声を多数いただきました。



天弥菜津希のコアマインド


天弥菜津希のコアマインド


先日、金森理香さん 主催の、プラジーラの宴に参戦。


この時の模様はお友達のブログにチョイチョイ登場していますので、以下をご覧ください。

横着モノですみません(笑)


タカラヅカの男役といえば・・・

満月前夜クリスマスパーティー☆プラジーラの宴③




昨日の姿勢アップのレッスンは、はじめましてのお客様にご参加いただきました。


終了後、嬉しいメッセージを頂戴したのでシェアさせてください。

(Hさん、転載させていただきます!)


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本日のレッスンに参加したHです。


今日は色々とありがとうございました。
天弥先生の説明は理論的で、体の仕組みをわかりやすく噛み砕いた上でご教示くださるので、

大変有意義なレッスンでした。

難しいエクササイズを継続的に行わないと体は変わらないと思っていた自分自身にとって、

予想外の発見でした。

今後とも宜しくお願い申し上げます。


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嬉しいなぁ。

こういうご感想を頂戴するからこそ、身も引き締まるしもっと高みを目指したくなります。


ボディメンテナンスに定期的に取り組む決意した方の多くは、赤字部分のように行動を起こす時点で

「難しい」と考えることが多いようです。

これは、教える立場の側が気づきにくいスコトーマ(盲点)でもあります。


数多あるコンテンツに使われていますが、ワタシ個人は【メソッド】という言葉に大きな落とし穴がある

と考えています。


もし、世の中に広めたいと考えているコンテンツがあるとして、それがなかなか広まらないという悩み

を抱えているとしたら、標準化されていないということがひとつの原因でもあります。


標準化というのは、「誰もが取り入れることが可能である、そして継続可能である」という、行動と心理

のハードルの低さを設定することです。


難しいことを、難しい言葉を使って難しく伝えるほうが実は簡単です。

意味や真意を咀嚼して相手に伝える労力が殆どないからです。


しかし、それでは受け手は理解以前に混乱するばかりで、宇宙人と会話をしているのと同じです。

本人だけが満足しても何の意味もなしえません。


アカデミックなお勉強であれば多少の専門用語は必要となりますが、たとえばSISEI-UPのコンテンツ

を例にとっても、わざわざ筋肉の名称を覚えていただく必要はないと思っています。

(ワタシだって覚えられません・笑)

実際やっていただくレッスンもかなりシンプルなプログラムだと思います。


一見難しそうと感じることを、誰でもが簡単に取り入れることができ、実感できる方法と言葉で伝えて

いくことが、目指すべき標準化・・・つまり、仕組みづくりだと考えています。


但し、どんな球が投げられてきても、いつでも引用可能な理論武装は必要です。



・・・ということで、ワタシも日々の研鑽を怠らないようにします(笑)