ぎゅう、とこぶしを握った。
目の前に広がる、小さくて圧倒的に大きな世界。
決して立ち入ることのできない、これは一種の聖域なのだと思う。
注ぐ苛烈な光線が、皮膚を灼いては砕け散る。
その中にあっても、力の失われていない金網越しの横顔。
顔の曲線を伝って滴れ落ちる雫も、上下する肩も、兄が憔悴していくという証拠にはならないと思った。
そう、そんなもの何の証拠になる?
だって、あんなにも瞳は鋭い光を宿している。
一歩だって、譲ってもいないから。
自分の横でイチイとミナミが、チハヤはこういうときでも飄々としてそうだと思ったけどなと優しく笑う声がした。
違うんだよ。
そう、言いたかった。
だけど言葉が出てこなくて、ただ小さく首を振る。
兄は、風に似た炎だ。
試合中剥き出しにされたままの激しい闘志や、隠されることもない負けん気や強気さも、だからこそある眼を灼かれるような輝きも。胸を貫かれるような存在感も。
それこそが、本来の兄なのだと思う。
試合を見るのは、もう10年ぶりくらいになるのだろうか。
明確に言葉に出すことは無かったけれど、いつからか知っていた。
あまり、観に来て欲しくはないのだろうと。
でも、何となく自分もそれを判っていたんだろう。
だから、行かなかった。
剥き出しの状態を、自分に見られることを厭っていたのだと、今ならわかる。
だから、だからこそ、今日は特別な日だ。
誰も立ち入ることのできない聖域を、僅かばかり覗き込むことを許された。
それは同時に、何が起ころうとも目を逸らすことさえ許されないことも意味していて。
金網の向こう側で光る、激しく、強い世界を。
(負けるわけ、ない)
そう、負けるわけが無い。
事実自分は、彼の負けを知らない。
精神的な敗北すら、彼の前では立ち止まれずに。
黄色いボールが、ラケットの面に当たって高らかに音を鳴らす。
歯を食いしばってラケットを振りぬく。こんな姿を、一番近くにいても見ては来なかった。
(ちぃちゃん、がんばれ)
がんばっていることを知っているから。
勝利だって、信じているけど。
それでも。
贈りたい。何か。言葉を、気持ちを。
所在の無い願い。
祈りが留まることを知らずに、頭の中で騒いでいる。
胸を、埋め尽くす。
(がんばれ)
苦しみも何も分かち合えない、そんな場所で。
こんなにも近いのに、何も届かない。入り込めない。
ボールが兄のコートの中に入って、過ぎていく。
割れるような歓声、自分の周りでする熱のある応援。
表情を余りださないのは悔しい時のクセだ。ユニフォームの肩口で流れ出る汗を拭う。
静かに、激しく燃える瞳に、思う。
(がんばれ)
勝利を、祈る。
不意に、兄の顔がこちらを向いた。
一瞬だけ眼を見張って、それからさっきまでの鋭い眼が嘘のように和らぐ。
右手を持ち上げて自分自身の眉間を2回、人差し指で突付いて笑った。
((眉間、しわよってるよ))
そう言われた気がして、思わず慌てて自身の手で触って確認する。
指に当たる隆起は知らずに寄っていた眉間。
苦笑いして、兄の顔を見返した。
(がんばって)
胸の中でそう思えば、不敵な笑顔で兄は頷いた。
こんなにも近い。けど声だって、手を伸ばしたって、届かない。
それでも。
こんなとき、判るような気がする。お互いが。
双子のテレパシーとか、周囲は笑ってそういうけれど、そういうのじゃない。
だけどゆったり、ゆっくり確実に。伝わるものが間にはあって。
きっとそれは、お互いを知っているということなんだと思う。
くるり。手の中にあるラケットを器用にまわす。
それは、今とても彼が楽しんでいるという証。
(そうか)
何も心配なんて、いらないんだ。
((勝つよ))
活力に満ちた瞳が笑うから、彼に向かって強く頷き返す。
ああ、やっぱりそれだけじゃ足りない。まだ、足りない。
「ちぃちゃん!!」
届け。届け。
いくつもの声の中で、張り上げる。
たった一言。伝えたい言葉を。
こんな大歓声の中、届かないのは判っている。
でも。
まぎれてしまってもいい。
少しでもいいから。
届け!
「がんばれ!!」
兄が太陽に似た瞳で、自分を見返す。
突き出されたこぶしに、何度も、何度も頷いた。
誰よりも強くあるその人に、
届かない声で
伝えたい言葉を