月が替わった10月1日。
おばあちゃんが天国へ旅立った。
前から覚悟はしていたけど、夢にも何度も見て、いつかそうなる事を想像しては涙していたけど、いざそうなると本当にあっけなく、今でも実感がない。
1日の朝、出勤前に病院から危篤と連絡があったとお母さんから連絡が入り、そのまま病院に駆け付けたけど最期には会えず話す事も出来なかった。
後でその事を職場の人に言うと
「きっと最期に伝える事がなく安心してたからだよ。十分よくしてくれたと思ってはるはずやよ」
って言われて、そうなのかな・・・と思う事にした。
顔を見ても眠っているようで信じられなかった。
涙が出そうになったけど、ぐっとこらえた。
家族は私とお母さんだけなので、ひっそりと家族葬で行って近所の人も5人くらい駆け付けてくれた。
もう一度顔を見てもやっぱり眠っているようで、すごく安らかな顔でどことなく安心さえした。
ここ一週間はずっとしんどうそうで熱も下がらなくて苦しそうな顔ばっかり見て来たから、悲しいけどやっと苦しみから解放されたんやねって思うと少しほっとした。
葬儀の途中も何度も何度も涙が溢れそうになっては必死にこらえて、お母さんの前では泣かないようにした。
無事終わって家に遺骨となってやっと帰って来れたおばあちゃんを見て、やっぱり私もお母さんも実感がなくて
「まだ病院にいるみたいやなぁ」
って話しながらおばあちゃんの思い出話をして一日過ごした。
私もお母さんも心にぽっかり穴があいたような感覚で、思い思いに昔の事を懐かしみながら毎日過ごしていて、時が経つのが早い事を思い知らされる。
私が思い出す事は、最近の丸くなったおばあちゃんよりも、やっぱり小学校の時の意地悪なおばあちゃんのイメージの方が強くて、嫌だった記憶っていつまでも残るんやなぁって思う。
あの時は本当に嫌いで”早くしねばいいのに”って思ってた事もあったけど、その時は想像もしていなかったな
昔誰かに聞いたことがある。
『人がしんで生まれ変わるには50年かかる』
って。
小さかった私は”土の中に50年も眠っておくのか・・・とてつもなく長いなぁ。耐えれるかなぁ”
って真剣に悩んでいた記憶がある。
亡くなった人の魂はどこにいくのかな。
私は最期にこう挨拶した。
『長い間お疲れ様でした。私はもう少し後で行きます。またね。』
どうか安らかに。。