性別とジェンダーの狭間で



先日友達が訪ねて来てくれて一緒にいろんな話をしたことで、私も子供時代の事だとか様々な記憶や思考が呼び起こされました。

(*'ω'*)ふと浮かんでくるままに書いてみまス。





三者三様、それぞれ違う局面と違う感情を持っていたとはいえ、ある種の《既成概念の暴力》にうんざりしてきた者同士、世代も近いので(つんぶり虫が一番年下です)

「お互い半世紀、今日までよく頑張ってきたね。これからも挫けずに生きていこうね~」

という感じで(笑)、なにやらお互いを励ます会になりました。

(友達の年齢は半世紀越え、転倒虫はそろそろちょうど半世紀、私は未満です)




この遠方より来た友は、今で言うと《FtX》でしょうか。

50代なのでそういう言葉の無い時から、《男》と《女》とをクッキリ区別する考えに対して違和感を感じて生きてきた人です。

体は女性ですが、自分の意識や心の在り方を《中性》とする人なのです。

ちなみにこの人のパートナーは体の性別も性自認も女性であり、性志向はレズビアンです。


女性という性別に疑問を持ち、さらに恋愛の上では女性が好きということですから、表面上は隠しながらも己を通して生きることは時代的にも地域的にも非常に厳しかったと思います。





転倒虫は見た目は中性的というか、人によっては男の子にも見えるようです。しかし、体も性自認も《女性》です。

言動については、一般的に《女がするであろう》とみられている事をほとんどしませんし、《女がしないであろう》と言われてきたような事はいっぱいやっております。

転倒虫は少女の頃から、複合的な偏見にがっかりしながら育ったようです。

「女のくせにバイクに乗るって、おまえは暴走族か?」
「女がバイクに乗って一人旅だなんて気でも狂ったのか?」
「いつも男の子みたいだね!」
「女の子はそんなに色黒でやせっぽちじゃ嫁に行けやしないよ」
「女だてらに少林寺拳法なんてやってるの?」

等と、親でさえ言わないでいる事を、親戚や近所の人達、どうかすると知らない人にまで言われながら育ったそうです。

50歳になろうとする今でも、時々似たような事を職場の人に言われたとかで、

p(#`3´)q「アタシみたいなのがオンナで何が悪いかよ~っ!」

と家でブーブーふてくされています(←直接言えないw)





かくいう私は自分の性別について、女性=メスだという事に違和感を持った事はありません。

しかし、一人一人の可能性を芽のうちに潰したり、人格や人生までも否定しかねないジェンダーバイアスが放つ威力には、ごく小さい頃から辟易としてきました。

今よりももっと、《女の子なんだからおとなしくしようね》《女にそんな仕事できっこない》というお説教がまことしやかに言われていました。テレビに出たりたくさんの本を書く偉い先生たちもこういう価値観を広めていました。



私は子供なりに《女らしさ》《男らしさ》と呼ばれるものの多くには「根拠が無くて、意図がある」という気がして、違和感をいっぱい感じて育ったのです。




学校では生物学の方面に進みましたが、生物学の世界では《らしさ》などという概念は取り沙汰されるものではなく、生き残るためのメスの役割・オスの役割があるのみでした。それでさえ、人間の目から見れば男女が逆転しているように見えるものもあります。

また、様々な種類の動物にも同性同士のつがいが混じっていたり、同性同士の求愛行動が確認されています。こんな事をいちいち気にするのは人間だけなのです。

性別が2種類だけではないとされる生物も存在します。人間だって本当はそうです。有性生物の原型は女性であり、母体の中で大量のテストステロン(アンドロゲンシャワー)を浴びた胎児が男性になります。だからそのシャワーの度合いによって、形成の度合いも違ってくるわけです。性別自体も多様であることを生物学の分野が教えてくれました。



他の動物と人間の大きな違いは、人間が極めて複雑な文化を持っているという点です。私は自分たち人間が《意識が肥大した、文化の怪物》であり、人間は生物の中でもかなり特殊で奇妙だと考えるようになりました。

子供時代は人間不信でしたが、とても珍妙な生物なのだと認識するとだんだん人間が面白くなってきて、すっかり人間が好きになってしまいました(しかしこういう経緯があるだけに、時々人類の愚かさにイラッして仕方ない時もあるのです)

あんまり優秀な生徒とは言えなかったのですが(どちらかと言えば劣等生でした)、こういう分野に触れたおかげで今でも随分と助かっています。



20代の時にふと興味が湧いて読んだ文化人類学の本では、「《女らしさ》《男らしさ》の概念は文化圏によって違う」という事が書かれてあって、

「そうか、周りの大人の言っていた《女らしさ》《男らしさ》というのは、地域限定的なものと普遍的なもの、文化的なものと生物学的なものがゴチャ混ぜになったものを、個人的価値観で無自覚に子供達に刷り込みしていたということか?やっぱりおかしいと思ったんだ!」

と、長年蓄積した虚無感の反動から怒りに目覚めつつも、疑問解明の糸口を見つけられた事でホッと安堵したものでした。



何故なら、読書や手芸や園芸が好きな私がその一方で、弱い者いじめをする学生達、不良少年や八九三の手下みたいな連中とケンカしてブッ飛ばしたり投げ飛ばしたりするのも(彼らもまたそれぞれの不安を抱えた人達でした)、そのあとで三つ編みの先に付けたリボンがほどけたのを綺麗に結び直すのも、手芸や料理と同じように木工や武道をやりたいと言い出したのも(木工も武道も女には必要ないと禁止されました)、なにひとつ矛盾するところなんか無い。女らしいとか男みたいだとかは関係ない。こんなことは、女だからやった事でも、男みたいだからやった事でもなんでもない。せんぶ《私》がやった事じゃないか!と開き直れる事ができたからです。




転倒虫の場合は見た目も行動も《女らしくない女の子》でしたが、私の場合は三つ折り靴下にワンストラップのエナメル靴をはき、長い髪を三つ編みやポニーテールにしておりましたので(好きでそういう恰好をしておりました)、ある意味ややこしい存在だったようです。

《女らしい女の子の印象》《女とは到底思えない面》がひとつの身体に共存していて、その振り幅も大きかったので、人によっては私の印象が180度も違うようでした。

《両極》を見た人からは「あなたって一体どうなってるの?」と聞かれました。どうなっているの?なんて聞かねばならぬとは、まったくそっちがどうなってるの?とこっちが聞きたいものです。





こうして、遠方より来た友達や転倒虫とも違った状況ではありつつも、俯瞰してみれば根っこが同じ問題で、窮屈で息が詰まるような気持ちを抱えて育ってまいりましたが、あの頃ヤケにならなくて良かった。お互いに生きていて本当に良かった。


私が子供時代に確立した"女性"像と、当時の"女性"に関する一般的概念には大きな隔たりがありました。自分の根幹近くに持ち続けた女性像はその後の人生にも大きく影響したと感じています。今でもそうです。頭と気持ちの整理のつもりで、いずれこの事も書けたらな~と思っています。



(/・ω・)/♪「分かるなあ」と思って下さったアナタ様~、「よく分からないけどそーなんだね」と思って下さったアナタ様も~、くりっくおねげーしますだー♪

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