• 18 May
    • 神奈川県横浜市港北区  金蔵寺

      今回は、久しぶりに関東三十六不動巡りに行ってきました。約三年ぶりの不動巡りです・・・・・ 渋谷から東急線に乗り日吉にて下車し、徒歩12分くらいの移動でした。 金蔵寺 寺号標金蔵寺では4つの霊場になっています   観音堂   六地蔵尊 本堂弁天堂 金蔵寺由緒本尊は天台宗第五代座主・智証大師(ちしょうだいし)作と伝えられる大聖不動明王。横浜七福神の一つで寿老人が祀られている。平安時代の貞観年間(859年~876年)に清和天皇の勅願により智証大師が創建したと伝えられる。江戸時代には寛永寺の末寺として栄え、敷地面積は2万坪を誇る。徳川将軍家の庇護の元、江戸幕府初代と二代将軍である徳川家康・秀忠父子により梵鐘が寄進され現存している。境内には当寺が経営する金蔵寺幼稚園があったが、平成20年3月31日で廃園となった。御朱印            

      31
      テーマ:
  • 14 May
    • 東京都北区滝野川  正受寺

      今回は私の地元を散策いたしました。 地元には、東京十社の王子神社や関東八州稲荷総司と言われる王子稲荷神社があります。しかし、今回参拝したのは正受院です。 寺号山門  赤ちゃん供養地蔵  本堂  正受院由緒伝承によると、室町時代の弘治年間(1555年 - 1558年)に、大和国(現在の奈良県)で修業をしていた学仙房という僧が、霊夢によって同地を訪れ、正受院を開いたと言われている。同院には、蝦夷地探検で著名な江戸時代後期の探検家・近藤重蔵の石像がある。同像は、近藤が正受院の隣に「滝野川文庫」と名付けた書斎を建て、居住していたことによるものである。本堂裏には石神井川が流れているが、そこにはかつて不動の滝という滝があったことが『江戸名所図会』にて説明されている。また水子や赤ちゃんを供養する納骨堂があることから、同院は「赤ちゃん寺」とも呼ばれている。不動堂には、学仙坊が川からすくい上げたと言われている不動明王像(一説によると弘法大師作とも言われている)が祀られている。Wikipedia先生より では、ご朱印です   

      32
      テーマ:
  • 06 May
    • 東京都練馬区旭町 本覚寺

      先日お伝えしました、北野神社は本覚寺の境内にあります。   山門 本堂 本覚寺の由緒 本覚寺は、江戸初期に練馬土支田八丁掘寺山に建立され、安政の大地震に大きな揖害を受けて現在地に移ってきました。 党寺の御宝前には、室町時代を代表する高名な総本山身延山久遠寺第11世「行学院日朝上人」の御随身の御尊として特別に尊ばれてきました「天眼願満日蓮大菩薩」をお祀りしています。 現在の総欅造りの本堂・山門は昭和63年に壇信徒の頑丹精の結集により完成したものです。   本覚寺御首題です。 今回、御首題を書いていただいたのは先代のご住職さんで印がどこに仕舞ったのか分からず20分以上探しやっといただいた御首題でした。  

      28
      テーマ:
  • 03 May
    • 東京都練馬区旭町 北野神社

      今回は、我が家の菩提寺のお隣にあります北野神社をお伝えします。 この日はお彼岸の為墓参りを済ませて、お隣の本覚寺境内にある北野神社を参拝。   参道 稲荷社・鬼子母神堂・東照宮 拝殿 北野神社由緒  当社は、旧土支田村下組名主小島家の伝えによると、江戸初期に同家の鬼門除けとして創建されたものであるが、次第に村人たちの崇敬するところとなったとされる。「享和四年 土支田村村方之儀明細書上帳下書」 に「御除地壱反弐畝歩一、天神 長三間横弐間 別当持本覚寺 但小社二付縁起等無御座候 同一、稲荷 九尺五尺 同 ……」とある。明治維新までは本覚寺が別当の天神社であったが、神仏分離で北野神社と称するようになった。境内には法光稲荷神社がある。この法光は本覚寺の山号であり、前出文書に稲荷とあるのはこの社のことであろう。 境内石造物で古いのは明治34年(1901)の水盤である。社殿は昭和40年(1965)の改築で天満宮の額を掲げている。なお、境内入口に弘化3年(1846)の題目塔がある。これは安政大地震で倒れたのを現在地に移転したものという。他に稲荷社前に力石や明治43年(1910)の征露記念碑、平成18年(2006)建築の鬼子母神などを祀る祠がある。 御朱印です。 次回は本覚寺をお伝えします。                    

      23
      テーマ:
  • 28 Apr
    • 東京都豊島区池袋 池袋御嶽神社

      久々の更新というかアメブロを開いたのも久しぶりで申し訳ないす・・・・・・・今回、ビックカメラに行く次いでと言ったらなんですが池袋御嶽神社に参拝してきました。鳥居池袋だけに池梟がいました神楽殿神輿庫稲荷社そして梟拝殿池袋御嶽神社由緒御鎮座の年代ははっきりしていないが、第百六代正親町天皇の御世天正年間(1573~1592)頃といわれ、その百年後の貞享四年(1687)に社殿創建(岸野六之助氏の調査)といわれる。また、古老の話によると武田勝頼(1546~1583)の家臣団が甲州より池袋の地に逃れ、持参してきた神宝でこの地に神社を造営したという伝承も残っている。爾来池袋下上の丘に鎮座し池袋駅西口一帯(池袋・西池袋)の鎮守の社として崇敬されてきた。 嘉永六年(1854)に社殿が造営され、幕末明治期には絵師 堤等川による大絵馬が数面奉納されている。昭和13年(1938)には村社に社格が昇格し、社名が三嶽神社から御嶽神社に改称される。 昭和34年(1959)社殿改築 昭和39年(1964)本殿増設 昭和45年(1970)社務所改築 昭和46年(1971)神楽殿を移設・神輿庫の新築・手水舎参道を整備する。昭和62年(1987)宮神輿・宮神輿庫が奉納され、平成元年(1989)由緒板、平成5年(1993)には鳥居が奉納、平成14年(2002)梟親子像が設置された。 池袋の袋と鳥の梟の発音が良く似ており、また梟は苦労を除き福を呼込む(不苦労・福籠)神様とも言われる事から、近年梟のお守りが授与されている。池袋御嶽神社HPより 御朱印            

      31
      テーマ:
  • 12 Apr
    • 東京都 日本橋七福神巡り 笠間稲荷神社東京別社

      日本橋七福神巡り最終です。   末廣神社より徒歩3分で最終地笠間稲荷神社に到着しました。 日本橋七福神は、参拝者が多く時間が全く読めないのが痛かったです。 笠間稲荷神社東京別社由緒 江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本3大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めました。寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神とされています。   寿老人御朱印       笠間稲荷神社東京別社御朱印     参拝後に箱根駅伝に行った模様です    

      29
      テーマ:
  • 08 Apr
    • 東京都 日本橋七福神巡り 末廣神社

      松島神社より徒歩5分ほどで次の目的地の末廣神社に到着しました。この日は、末廣神社前には獅子舞が居ました。 毘沙門天像  末廣神社由緒 元和3年(1617年)に幕府の許可の下、庄司甚右衛門らが葭(よし)の茂る沼沢地を開拓して造った遊女町葭(よし)原(吉原)で、末廣神社はその氏神様として信仰を集めていました。ここに祀られているのは毘沙門様。 多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、又、福徳を授ける神ともされています。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められています。   毘沙門天の御朱印      

      27
      テーマ:
  • 06 Apr
    • 東京都 日本橋七福神巡り 松島神社

      今回は、松島神社です。 水天宮より直ぐ側なのですが迷子になりそうになりました。 普通に行けば徒歩3分くらいですが10分近くかかってしまいました。   松島神社境内 松島神社由緒 明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭(よし)町の芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わいました。祀られている大国神は、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、破壊と豊穣の神として信仰されました。現在は豊穣の面が残り、大黒様として親しまれています。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に遺っています。     御朱印です                                

      24
      テーマ:
  • 30 Mar
    • 東京都 日本橋七福神巡り 小網神社

      年度末も若干落ち着きましたので更新します。しかし、桜が咲いている時期なのに正月の七福神巡りなんです・・・・ 今回は、小網神社です。 小網神社は、参拝で1時間30分待ちで御朱印が20分待ちでした。小さな神社なので回転率がいまいちでした。   小網神社由緒運厄除のご神徳で知られる小網神社は、伊勢神宮を本宗と仰ぎ、文正元年(1466年)、今から約540余年前に鎮座された古社である。初め小網山稲荷院万福寺と称し、その後昭和初めまで小網稲荷神社(稲荷堀稲荷とも呼ばれていた)と称していた。その昔、太田持資公(道潅)は当神社への崇敬篤く、時折参拝し、公自ら土地を寄付し、社殿を改築したとも言われる。小網山稲荷院の名も公の命名によると伝えられる。又、現小網町の町名は、当神社に因んでつけられたといわれている。  社殿・神楽殿他は中央区区民文化財に登録。例年、正月初詣は多くの参拝者で賑わい、はとバスも運行される。また毎年11月28日の、どぶろく祭は関東3大どぶろく祭の1つとされる。5月28日の大祭は、5年に1回本祭が行われ、都内有数の宮神輿が渡御、大変な賑わいである。日本橋七福神詣の1つで、弁財天、福禄寿が奉育されている。東京下町八社参り(中央区・台東区8社)の1つでもある。 弁財天の御朱印 小網神社御朱印  小網神社御朱印帳 2,000円でした         

      31
      テーマ:
  • 24 Mar
    • 年度末

      私事で申し訳ないのですが、年度末でめっちゃ忙しく手が回りません。休日出勤やら、通常勤務でも4〜5時間の残業なのでごめんなさい。多分、4月中頃には更新や皆さんにコメント出来るかと思います。

      23
      テーマ:
  • 10 Mar
    • 東京都 日本橋七福神巡り 水天宮

      今回は水天宮です   水天宮は今回で2回目の参拝です。前回の模様はこちら   2016年4月に完成した拝殿 寶生辨財天         水天宮由緒 久留米の水天宮は久留米藩歴代藩主(有馬家)により崇敬されていたが、文政元年(1818年)9月、9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請した。これが江戸の水天宮の始まりである。藩邸内にあったため一般人の参拝が難しかったが、江戸でも信仰者の多い水天宮への一般参拝の許可を求める伺書を幕府へ提出、幕府のこうした事例は関与しないとの見解を得た上で、同年から毎月5の日に一般開放された。その人気ぶりは「情け有馬の水天宮」という地口も生まれたほどであった。有馬家の会計記録には「水天宮金」という賽銭や奉納物、お札などの販売物の売上項目があり、その金額は安政年間の記録で年間2000両に上り、財政難であえぐ久留米藩にとって貴重な副収入だった。 明治4年(1871年)、有馬家屋敷が移転することになり、それとともに赤坂に遷座したが、翌明治5年(1872年)、有馬家中屋敷(近隣の有馬小学校に名前と痕跡が残る)のあった現在の日本橋蛎殻町二丁目に移転した。 江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。それに伴い、平成25年(2013年)3月1日から平成28年(2016年)4月7日までの間は、日本橋浜町の明治座そばに仮宮が設けられていた。これは少なくとも、昭和40年代初期に嵩(かさ)上げ工事をして二階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。平成28年4月8日より新社殿への参拝者の受け入れを開始した。 有馬家との縁は続いており、2016年現在の宮司有馬頼央は、有馬家の当主である。 Wikipedia先生より   御朱印      

      40
      テーマ:
  • 09 Mar
    • 東京都 日本橋七福神巡り 茶の木神社

      日本橋七福神巡りの3社目は、茶の木神社です。こちらも大混雑しておりました。茶ノ木神社由緒元々この地は、江戸時代、約3,000坪に及ぶ下総佐倉の城主(18万石)大老堀田家の中屋敷があり、周囲に巡らされた茶の木の緑が見事という事でこの名が付いたという。しかし、今では茶の木も路地の奥にあり、その面影もない。しかし、当時、町方にも火災がなかったことで、火伏の神として、崇められてきた。 御朱印です            

      20
      2
      テーマ:
  • 03 Mar
    • 東京都 日本橋七福神巡り 椙森神社

      間が空いてしまいましたが前回の続きです。   椙森神社社号 日本橋七福神は人気なので待ち時間が長い       富塚       拝殿       椙森神社由緒   藤原秀郷が平将門の乱鎮定のため戦勝祈願し、戦後白銀の狐像を奉納したとされる。文正元年(1466年)には太田道灌が雨乞いに霊験があったとして山城国稲荷山五社大神を勧請して祀った。   江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、庶民だけでなく松平信綱や松平頼隆といった諸大名からも崇敬を集めるようになった。寛文年間には吉川惟足が大巳貴大神の託宣を受けて恵比寿大神を祀った。 社殿は関東大震災で焼失し、昭和6年(1931年)に鉄筋入り耐震構造で再建された。     Wikipedia先生より   恵比寿神御朱印          椙森神社御朱印                        

      21
      テーマ:
  • 23 Feb
    • 東京都 日本橋七福神巡り 宝田恵比寿神社

      今回、日本橋七福神巡りをお伝えします。神田駅より新日本橋方面に移動し、最初に参拝は宝田恵比寿神社です。 街の神社です。 宝田恵比寿神社由緒元々は皇居前にあった宝田村の鎮守様です。運慶あるいは左甚五郎の作とも伝えられる祭壇中央の見事な「恵比寿神」像は必見です。慶長11年(1606年)三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受けたと伝えられています。恒例の「べったら市」は、“べったり運がつく”と元禄時代から人気です。 宝田恵比寿神社御朱印です        

      36
      テーマ:
  • 20 Feb
    • 東京都 柴又七福神巡り 題経寺

      柴又七福神と言えば帝釈天! 3回目の参拝です。 過去参拝記事2011年12月15日 過去参拝記事2013年4月27日   参道から二天門まで、普通ならのんびり歩いても3分ほどですが この日は15分かかりました。     参拝者が多すぎて賽銭を後方から投げる人が多数いました。 うちのスタンプボーイ君はお守りを購入するのに10分近くかかっていました。   毘沙門天の御朱印です。 さすがに正月ですから印刷です。 今回は由緒は前回の記事をご覧いただき割愛します。            

      27
      テーマ:
  • 16 Feb
    • 東京都 柴又七福神巡り 真勝院

      柴又七福神の6か所目は真勝院です。帝釈天の出店が出ていて、入口が分からなくウロウロしてしまいました。山門五智如来本堂真勝院由緒大同元年(806)創建と伝えられる古刹。江戸時代までは柴又八幡神社の別当寺だったが、度重なる火災や国府台合戦で焼失したが、その都度再建された。柴又七福神の弁財天、新四国四箇領八十八ヵ所霊場28番札所。 弁財天の御朱印 次回は、帝釈天こと題経寺です

      28
      テーマ:
  • 09 Feb
    • 東京都 柴又七福神巡り 良観寺

      万福寺からチョット寄道をしました。柴又と言えば寅さんです!元旦に寄道した寅さん記念館寅さん記念館のすぐそばに帝釈天題経寺に行くのが近いのですが、混んでいるので最後にしました。 そこで、次は良観寺に参拝山門本堂布袋尊像良観寺由緒 創建年代は不詳だが、室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されたと伝えられる。昭和40年、本尊像修理の際に像内から元和9年(1623)8月の木札と記録一通が発見され、また当寺には永正6年(1509)5月銘の板碑を所蔵しているから、念仏堂は室町時代末期にはすでに存在したと思われる。さらに寛政7年(1795)本堂再建の棟札には、了観寺とあるから、良観寺と改ったのはその後であろうと思われる。 江戸時代には『尻手の観音』として知られ、毎年4月18日の縁日には、遠近からの参詣者で賑わったという。かつては当地よりやや東方にあったが、昭和12年、戦災により焼失し、間もなく本堂以下を再建して現在に至る。 本尊は聖観世音菩薩立像。南葛八十八ヶ所霊場52番札所。柴又七福神の宝袋尊。 御朱印      

      24
      テーマ:
  • 07 Feb
    • 東京都 柴又七福神巡り 万福寺

      宝生院より10分弱で、万福寺に到着いたしました。 山門永代供養塔 本堂福禄寿万福寺の由緒昭和3年8月の創立。これはこの地から人骨数体が発掘されたため、地元の人びとの要望に基づくという。境内には110体の弘法大師石像が安置されている。 猫の足跡さんより 福禄寿の御朱印です。     

      23
      テーマ:
  • 03 Feb
    • 東京都 柴又七福神巡り 宝生院

      医王寺から300mほど移動なんですが、道に迷い15分ほど迷子になってしまいました。 やっと到着しました!宝生院です!本堂大黒様出世大黒天弘法大師宝生院由緒当初は江戸京橋方面にあり、のち下谷の谷中に転じ、さらに承応・明暦の頃(1652-58)池之端芽町(台東区)に移ったと伝えられる。寛永の武州豊島郡江戸庄図の八丁堀の<ほうせふ院>が、あるいはその旧地か。当寺に安置する出世大黒天は、将軍家をはじめ上下の信仰が厚かったという。 大正12年の関東大震火災に焼失し、昭和2年12月、現在地に移り、柴又の七福神の一つとして、甲子の縁日には参詣者でにぎわう。 宝生院大黒天 御朱印   

      23
      テーマ:
  • 02 Feb
    • 東京都 柴又七福神巡り 医王寺

      天祖神社より徒歩2Km20分ほど移動し次の目的地医王寺に到着しました。 山門 お遍路大師像本堂恵比寿様医王寺由緒応永14年(1407)7月7日時の将軍足利義満公が、奇病(赤目病)が下総国一円に発生し住民が全滅の危機にさらされているのを聞きおよび、時の後小松天皇に悪病退散の祈願寺の建立を上奏し、京都仁和寺の僧観見和尚に薬師瑠璃光如来を奉持させ、柴又村の当地に建立したものである。 赤目病とは、両目が最初充血し、悪化するにつれ「目やに」が出てやがて瞳が白く濁り「下まぶた」が垂れ下り赤くはれ上がり、最後には失明してしまう恐ろしい奇病で原因は不明であったと云う。当時の目の病いに苦しむ村人たち、近郷近在より参詣に訪れたと聞く。此の奇病にかかった村人が昭和20年(1945)頃を最後に、以後赤目病患者は当地より消えたのである。 当山では、境内より湧き出る清水(現存しない)と御符と茶目薬を室町時代より昭和中期まで眼病祈祷礼と共に出していたが、終戦後薬事法の定めにより今は出していない。だが現在でも、眼病を護る仏として参詣に人々が訪れている。 医王寺 恵比寿様御朱印  

      14
      テーマ:

プロフィール

鈴木の四海兄弟

性別:
男性
血液型:
A型
自己紹介:
スポーツクラブより、某大手スポーツ品メーカーの子会社に転職しました。

続きを見る >

読者になる

AD

テーマ

一覧を見る

カレンダー

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

旧ランキング

お散歩
59 位
歴史・仏像
93 位

ランキングトップへ

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。