砲雷撃戦お疲れ様でした&あとがきなど

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おはようございます。すずだんごの文章担当の方、泥団子です。
当サークル「すずだんご」に立ち寄って新刊をお手にとって下さった皆様、本当にありがとうございます。
私はと言うとサークル初参加ということもあって四六時中緊張しっぱなしで、会場を後にする頃には疲労ランプが真っ赤に点灯し、帰宅してからはロクにウェブ更新も出来ないままお布団にドボンしてしまいました。
もう既に読み終えて更新をお待ちしていた方、申し訳ございませんでした。


さて、新刊「Dead or Alive」は如何でしたでしょうか?
楽しんでいただければ幸いなのですが…………、話の内容的にはあまり楽しいとかそういったものとはきっと別な気がします。
端的に言えば重い!暗い!!物哀しい!!!の三拍子が揃った、そんな内容だったと思います。
通常であればこういったあとがきは作品内で書くものかと思いますが、あの世界観を保ったままで物語を完結させたかったという点と、最後のAnswerとピリオド部分の仕掛けを最大限に活用したかったという点から、このような形を取りました。
回りくどいやり方でごめんなさい!

この作品は果たして艦娘と呼ばれる彼女達は生きている者なのか、はたまた死んでしまった物なのか、それともその両方を有する得体のしれないモノなのか、といった問いから生まれた作品でもあります。
その問いこそ、そしてその答えを、提督である各人が自分の中で見出すしか無い存在の不明瞭さ、曖昧さこそが彼女達そのものを強く定義づけるように感じます。
結局のところ生きていると思えば生きているし、死んでいると思えば死んでいるし、生きているのか死んでいるのか分からないという、そういったメタファーとして「Dead or Alive」とタイトルを付けました。
勿論、これだけが答えではありません。提督の数だけ答えが存在すると言っても過言ではありません。艦これの世界が広く人に受け入れられるのは、一つにそういった余白があることが大きく影響しているのではないでしょうか。
アニメが終わった後でも、未だにこうして大規模なオンリーイベントが行われていることが、何よりの証かと思います。
イベントに参加して、改めてその熱量の大きさに圧倒されてしまいます。

といった具合に出来ることならもっと沢山語り尽くしたいところですが、作者があれこれ自身の作品を解説するのもアレなので、今回のあとがきはこの辺りにして、最後に当作品と史実とで異なる点を明記してお別れしたいと思います。
(興冷めかもしれませんが、読んで下さった方が間違った情報のまま覚えてしまうことは回避したいので……)
もしかしたら相方のすずが後日何か書き込むかもしれません。

また感想などお待ちしておりますので、ぜひお寄せいただければ幸いです。
それだけで作者のcond値はガン上がりしてキラ状態になります。

ジャンルは異なりますが、次回は10月18日の例大祭に参加予定です。
冬コミに受かれば今度は雷ちゃん本を出そうと思っています。
(現段階でかなり血生臭い本になりそうな気配がビンビンですが……)
引き続き、すずだんごをよろしくお願いいたします。

では、よいシルバーウィークを。
お体には十分お気を付けて下さいね。



【史実と異なる点】

1章
・絶滅されたとされるニホンオオカミの学術的に証明されている最後の生息情報は1905年の奈良県。以後消息を経っている為、将太郎がその30年以上も経過した1937年に出くわすことは非常に困難。
(それでも戦前においては真偽はともかく、各地で目撃情報自体は存在していたらしいが)
・将太郎と足柄とが初めて出会う事になる、5月20日に行われたジョージ6世戴冠記念観艦式後の1937年夏に足柄が寄稿した港は横須賀港ではなく、正しくは佐世保港。
(加え現在の護衛艦あしがらも定係港は佐世保の為、序章において2015年のヨコスカフェスで再会する点も難アリ)
・三浦将太郎のモデルとなった最後の足柄艦長、三浦速雄大佐の就役は1944年1月の冬(本作においては1944年8月の夏からの就役)。また、この時点で将太郎はまだ弱冠21歳であり、その年若さで重巡洋艦の艦長に就くことは実質不可能。
・艦長(大佐)が「提督」と呼ばれることは本来の意とは異なるが、広義の意味と言葉の綾として本作では将太郎を「提督」と呼ぶ。
(ただしそれは足柄が将太郎を一端の「提督」と認める1945年以降の話)

2章
・曙が左側を、潮が右側を航行しているが、実際はその逆で潮が左側を、曙が右側を航行していた。
(崖にぶつかりそうになった艦娘も同じように逆)
・史実では0400時に志摩司令長官(那智戦隊)は海峡中央付近に漂流炎上する艦(扶桑)をその幅広の艦体から西村艦隊の山城と扶桑の2隻であると誤認したまま突撃している。
・作中では最上が那智衝突したかのように書かれているが、正しくは那智が最上に衝突する形。また衝突時間は夜明け後として書かれているが、正確な衝突時間は0430と夜明け前が正しい。
(「本当は最上が那智に向かって衝突したのだが、その理由が身を賭しての退避懇願であった為、その責任の矛先が最上に向けられることのないように生き残った艦船たちが『那智側から衝突とした』として上層部に報告し、それが現在に至っている」というIF設定(妄想とも言う))
・時雨に触れている描写が無いが、史実では志摩艦隊が海峡から撤退する際に時雨が単艦で退避していることを確認している。
(損傷が酷く、彼らと合流することは適わなかったが)

3章
・「いつか静かな海で」の14話を参考にして戦闘開始時まで前方警戒航行序列で航行しているように描いているが、実際は潜水艦を警戒しての第一対潜航行陣形での航行が正しい。
・霞が単艦で清霜の救助に向かっているが、正確には朝霜も共に救助活動に当たっていた。

4章
・カムラン湾からバタヴィアへの輸送任務と書いているが、正しくはバタヴィア(ジャカルタ)からシンガポールへの輸送任務。

エピローグ
・今年の夏に秩父でニホンオオカミ見つかった記事が書かれているが、真っ赤な嘘。
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