自助会で男と女の考え方が違うとよく聞きます。その前にいつも何か忘れてませんかって思う私がいます。最近はジェンダーと言う言葉が一般的になってきましたが、男性脳女性脳という言葉が出る時の男性女性とは生物学的な性を言っているのかジェンダーで言っているのか言っている本人はわかっているのでしょうか?

この冬は、発達障害とLGBTなどの性の違和感を感じている層がかなりかぶっているように思うことが多くあります。そんな自助会が開けないかという話も出始めました。

私は自称男性差別研究家第一人者としてとても興味を持っています。男性差別については話せば長くなるので、機会を改め、今日はジェンダーについて話します。

日本人独特の考え方、なんて言葉も耳にしますが、それぞれの国や地域に文化が存在します。人間が生き抜くために培われた文化は、機械文明が進化し生きることが容易になった現在では足かせ的な部分もありますが、人類の存続に大きく寄与したことは間違いありません。

この文化にはそれぞれに男性像女性像というものが存在します。男性脳女性脳という人の殆どはこの文化の上にある男女、つまりジェンダーの価値観を脳の中に探します。つまりそれは先天性のものでなく後天性のものとしか理解できません。選定性のものであれば文化が国や地域によって異なることに無理が生じます。

つまり、後天的なものであれば、性自認を同一性障害として育った人は生物学的性と異なった理解になってしまいます。だから、男性脳女性脳という言葉は本来ジェンダー論の上に成り立つべきものになってしまいます。

女性は可愛い物を好む、なんてことを当たり前のように言いますが、中国奥地に現在も女系の文化が存在する地域では、やはり男性が可愛い物を好むようです。同様に女性の心を持った男性が可愛い物を好むのも全く同じメカニズムになるのは容易に理解できます。そして、性同一性障害を持つ人間にとってこの男性脳女性脳という言葉はその人の存在を否定しかねない恐怖を感じるものにもなります。

人権の進んだ欧州では、グループを性別によって分けることをことさら忌み嫌います。日本では女の子が好みそうなおもちゃを男の子が持っているような商品パンフレット等当たり前に存在するそうです。

その人がその人らしく行き方を目指す発達障害の自助会で、男がどうだの女がどうだのというのは発達障害のことは社会が理解すべきと言っておきながら、自分たちが性同一性障害者を全く理解しようとしないことになってしまいます。そんな社会がその人らしさを尊重できるでしょうか?

もう一度考えなおしてみませんか?ここにも分かって欲しい、欲しい欲しい病は存在しませんか?
AD