先週はこの数年間でありえないほどの自己嫌悪に陥りました。

 

日頃から自己肯定を説いている私ですが、自己嫌悪なときほど自己肯定の大切さを学ばせてもらいました。自分が自分を嫌になることは仕方ありません。しかし、だからといって自分の存在を否定する必要はありません。そもそもいつもいつも思い通りな自分で入れるわけがありませんから。

 

さて、自己嫌悪になることは、それはそれで大切に思えました。やはり人は調子が良いと気が緩むというか、横柄になり傲慢になってしまいます。全てのことに感謝しているつもりはあっても、ついつい忘れてしまっていることは誰しもあるでしょう。そういうことに気づかせてくれるのは落ち込みです。

 

自身に反省して、謙虚な気持ちを持ち、改めて第一歩を踏み出すには落ち込みは非常に大切なものです。自分が謙虚でいると思えている時点で謙虚ではありません。思い通りにならない状況から自分の謙虚さを取り戻す機会を得られます。

 

まだまだ、メンタル回復しそうにありませんが、いや、逆にこうして自分に落ち込み自分に向き合える時間が今の私にはきっと必要なのでしょうから、しっかり向き合っていきます。

 

思い通りにならないこと、自分に落ち込むこと、自己嫌悪になること、これらもきっと私にとって感謝の対象なのでしょう。とりあえずは手を合わせてみようと思います。

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このひと月ほどでしょうか、自分の中に不思議な悩みがありました。このブログのほか、FBなどでいろいろ発信している私ですが、そこに疑問が生まれていました。

 

この4年ほどはそれまでが嘘のような自分の人生に集中できる時間が流れました。『いつも楽しそう』と言うような評価をよくいただきますし、確かに毎日が楽しいと感じる時間が実際に存在するのですが、それを毎日毎日発信することに強い疑問が生まれていました。

 

これは5年ほど前に鬱から抜け出した頃から存在する気持ちではあったのですが、それよりも、同じように欝や発達障がいで苦しむ人たちへ伝えたい気持ちが強く、自分の中で割り切って行ってきました。

 

社会のほとんどの人々は社会人として、そして家庭を支える一員としての責任に負われ私のように自由気ままに生きれる人はそう多くはないでしょう。そういう人たちからのやっかみのような気持ちも甘んじて受け入れる覚悟もあったので差ほど気にはしていませんでしたが、毎日毎日自分が幸せであることをアピールしているような、そんな発信がだんだん強い疑問に発展してきました。

 

もちろん、自助会活動は私の原動力の大きな位置を占めているし、より多くの人に向けて発信したい気持ちも存在しないわけではありません。

 

しかし、ここ1週間ほどの気のゆるみが招いたミスを考えたときに、発信することを優先にしていた自分の存在を否定できなくなってきました。

 

そもそも、幸せな人は自分の幸せを他人に見せようと思わないでしょう。自分の心が自由な人は自分が自由であることをアピールすることはないでしょう。

 

これまでの私は、幸せであり、自由であることを発信する必要があったのか?そこがとても疑問です。

 

今日を境にブログもSNSも辞めるつもりはありません。しかし、もう少し自分と向き合う時間が必要なようです。

 

先日はなした次の扉はその辺りにありそうな気がしています。

 

しばらくはこんなだらだらが続くと思いますが、お許しください。

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ちょっと休憩

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先週は私の気の緩みから複数のトラブルに合いました。少し自己件を担っていたところに、どうやら熱中症による脱水症状になっていたようで、ようやく回復しだしたところなようです。

 

考えてみれば、この4年ほどほどんど気が緩みっぱなしで、それはそれで楽しい日々だったのですが、やはりそれだけではきっとよくないのでしょう。

 

これも私への何かのサインかもしれません。しっかり向き合って次の扉を探そうと思います。

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