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2009-09-05 posted by suwiun

昭和19年(1944年)7月

テーマ:チーコの青春日記
サイパン島が玉砕したと知らされたのは7月の半ば頃でした。校長先生のお話の後、みんなで、「海行かば」を合唱しました。

サイパン島の次は沖縄だという噂が流れて、不安になりました。そんな時、県庁に勤めている父から疎開の話が出ました。沖縄県民を疎開させるために、県庁職員がまず見本を見せなければならないので、職員の家族を疎開させるとの事でした。

私たち家族も、祖父母、母親、二人の妹と末っ子の弟が叔母のいる宮崎県に疎開する事になりました。

7月下旬、みんなが疎開してしまって、家に残ったのは父と姉と私の3人だけになってしまいました。家の中が急に静かになって、寂しくて、早く戦争が終わって、みんなが帰って来る事を毎日、祈っていました。


昭和19年7月の出来事

7月1日、大本営陸軍部、第32軍の作戦援助のため参謀本部付長勇少将を沖縄に派遣する。
7月2日、日本全国で国民総蹶起運動が展開される。
7月3日、石垣島の台湾疎開船2隻、尖閣列島付近で米機による爆撃を受け沈没、多数の死傷者を出す。
7月4日、大本営、インパール作戦中止を発令する(日本側の戦死者3万人、戦傷病者4万5000人)。
7月5日、大本営から派遣の長勇少将と大本営参謀木村正治中佐一行が宮古島を視察する。
7月6日、第9師団(師団長原守中将)司令部の兵員100人、空路沖縄に到着する。
7月7日、富山丸で遭難した独立混成第44旅団および第32軍兵器勤務隊の生存者約500人、那覇に到着する(うち宇土武彦大佐以下約400人が沖縄本島、その他は宮古島に配置される)。
7月7日、サイパン島の日本軍、玉砕する(守備隊戦死約3万人、捕虜1000人、住民の死者約1万人)。日本の絶対国防圏崩れる。
7月7日、緊急閣議、南西諸島の老幼婦女子・学童の県外への集団疎開を決定する。
      沖縄県でも疎開者の募集が始まる。
7月7日、軍中枢部は、この日から米軍の南西諸島への侵攻の公算大なりと予想する。
7月8日、沖縄派遣中の長勇少将が第32軍参謀長に任じられる。
      第32軍参謀長北川少将は台湾軍参謀副長に任じられる。
7月8日、米機B29が九州西北部に来襲する。
7月10日、情報局、中央公論社・改造社に対し自発的廃業を指示する(両社とも月末に解散)。
7月11日、第32軍、西部防衛軍の管下から台湾軍(司令官安藤利吉大将)に編入される。
7月11日、内地各軍に対し戦時警備令が下達される。
7月11日、閣議、国民学校高等科・中学校低学年生徒の動員、深夜業の強化を決定する。
7月12日、帝国在郷軍人会沖縄支部、管内に防衛隊を編成する。
7月14日、東条参謀総長が辞任し、後任に梅津美治郎大将が任じられる(7月18日)。
7月15日、政府、樺太を除き全都道府県に総動員警備を施行する。
7月17日、第24師団、第32軍に編入される。
7月18日、東条英機内閣、総辞職する。
7月18日、《学童疎開促進要綱》が発表される。
7月19日、歩兵第36連隊主力、南大東島に駐留する。
7月20日、櫛淵第28師団長、宮古島に着任する。
7月20日、独陸軍のヒトラー暗殺計画失敗。
7月21日、米海兵隊(5万4000人)、グアム島に上陸する。
7月22日、第8飛行師団、作戦上、連合艦隊司令長官の指揮下に入る。
7月22日、小磯国昭陸軍大将を首班とする内閣が成立する。
7月24日、大本営、フィリピン・台湾・南西諸島・本土・北方の各地域にわたる《捷号作戦》準備を下令する。
7月24日、第62師団・独立混成第59・第60・第64旅団、第32軍に編入される。
7月24日、シュミット少将指揮の米海兵隊4万2000人、テニアン島に上陸する。
7月25日、歩兵第30連隊主力、宮古島に到着する。
7月、   沖縄県民の台湾・九州へ疎開始まる(~1945年3月までに約6万人が本土へ、2万2000人が台湾へ疎開)。


加藤隼戦闘隊  総統爆破計画  銃後の記憶  十五歳の日記


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