1107 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」
1107の解説
両極端に偏らない心がまえと中道を維持する念(おも)いの清らかさ、ーそれらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、ーこれが、無明を破ること、両極端を制し正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」
人間は、人間的思考によって、常に、好き、嫌いの両極端に偏った運動をしている。この運動をしている状態では、清らかだとは言えない。すなわち、好きなものを欲し、嫌いなものを排除しようとする。その想いが強ければ強いほど、道を踏み外すのである。また、人間は、好きなものは見ようとするが、嫌いなものは見ようとしない、そのために、見方がどんどん偏っていくのである。見ないものが多いために無明になるのである、つまり、自ら目を閉じて歩いているのである。この状態では到底無明を破ることは出来ない。それを知って修行者は、この両極端の運動を制し中道を維持することによって想いは清らかとなるそして、鏡のように全てをしっかり見て、無明を撃破し遂には智慧を獲得するのである。
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