魂のプロセス 「慈悲」 | 神様達と共に

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さてはて、その後、僕にできることはなにかなぁと考えましたが…。

まぁ原点はこのブログを進めることかなぁと思いましたo(^-^)o

滞ってました「魂のプロセス」の話を進めてみようと思います。


今までの流れを復習しますと…、魂(ハートの力)の成長にはプロセスがありまして、全部で六段階に分けて考えることができます。

(これは本当の本当は魂をプロセスに分けて考えることなど出来ないのですが、少しでも魂というものを理解し、自身を俯瞰するために有効なため、このようなことをしております。)


で、ここまで紹介してきたのが「生存」→「欲」→「犠牲」という流れでした。

今回は「犠牲」の次に当たる「慈悲」のプロセスについてご紹介していこうと思います(・ω・)/


ではまぁ、このプロセスの話のアドバイザーのあるじを呼んでみましょう。


あるじぃ~(´0ノ`*)


あるじ「ふむ、やっとはじまったか。いろいろと脇道にズレやすい時期だからな。気をつけねばならんぞ。」


脇道にズレやすいといいますと?


あるじ「善意というものはな、時にその者の人生を歪めてしまうものだからな。」


つまり…、善意の行動を行っても、不自然に『なにかしなければ!』と突っ走ると、なにかしらの歪みが人生にできてしまうということですかね。

では、その歪みって何ですか?


あるじ「それは、今回の魂のプロセスである『慈悲』とも絡んでくる話なのでな。

自分の胸の内から自然と溢れてくる『慈悲』が動機ならば、どれだけ善行を積んでも問題はない。

しかし、『何かしなければ』という自己否定的な感覚からの行動であれば止めておいた方が良いだろう。」


動機が自己否定的なものを含んでいるかどうかで、未来に影響があるということを言いたいのですね?


あるじ「その通り。自分に厳しく『何かしなければ』で行動したとしても、最後に残るのは厳しさだよ。

一時、相手に喜ばれ、感謝されるかもしれないが、一人になった時に自分の心に何も糧となったものが残っていないと感じるだろう。

残るのは相変わらずの厳しさと孤独だけじゃ。

お前もわかるだろう?ここ最近の過去世はほとんどその様な生き方だったからな。」


ええ…(^_^;)

わかりますよ。

いくつか前の前世はホントそんな感じでしたね~。

使命感が強くて…、エネルギッシュなんですけど、心は孤独でしたね。

でも、当時の自分は自己否定してるなんて思っていませんでした。

自分は良い行いをしているつもりでしたよ。

でも、結果的にはどんどん孤独になっていきましたねぇ。

うーん、思うんですが…。

一人ではその行動が『慈悲』の気持ちから来るものか、自分に厳しい気持ちから来るものか判断しづらいのではないでしょうか?

他人から見たら、雰囲気なんかで判断つきやすい気がするんですが。


あるじ「まぁ、そういうことだ。だから、お前にはいつもワシが『まぁ待て』とか『まぁ落ちつけ』とか言っておるじゃろう?

それを見極める方法としてはな行動に移す前に、ハートに手を当てて『自分は本当にそれをやりたいのか?』と問いかけることだな。

頭で考えず、ハートに判断してもらうのじゃよ。

ハートはバランス感覚を知っているからな。それが自分を痛めつける結果になるようなことなら『やりたくない』と言うだろう。」


ああ~なるほどぉ~∑(゚Д゚)

実にシンプルだけど、効果的な方法じゃないですか!

そうかぁ、そうだよなぁ、なんかそういう時って頭でいろいろ理由を考えていて『これはやらねば!』的なモードになってたりするんですよね(^_^;)

そういう時はハートに聞いてみてOKかどうか確認する必要がありますね。


あるじ「ある程度ハートのセンサーが開いていればなんとなくハートが言いたいことがわかるだろう。

人間の中心は頭ではなく、ハートだからな。

世の中の情報に踊らされて、あわてて行動するようなことは避けてほしいものじゃな。」


で?

『慈悲』のプロセスってどういうものなんですか?


あるじ「自然と他者や、自分に対して慈悲の気持ちが湧いてくるというプロセスじゃな。」


うん?

説明それだけ?


あるじ「その通り。このプロセスに説明などほとんどいらん。

人はな、自分も他人も愛おしくなる時があるのじゃよ。

そして、それは大体同時にやってくる。

自分と似た心の傷を持った相手と出会って、なんとかしてあげたくなるじゃろう?

しかし、それは実は自分の心の傷を相手に映し出して見ているに過ぎない。

相手を癒そう、気付かせようとすればするほど逆効果で衝突し、関係はこじれる。

そこに気付いた時に、ようやく人は自分に目を向けるのかもしれない。

『慈悲』のプロセスというのはな、そういう人間が最後にたどり着くステージとも言えるだろうな。

なんとかしようとしていたのは、全部自分の中で起きていたことだったということだな。


ははぁ…、そうか…。

つまり、今回の震災でも「なんとかしなきゃ」と思うのは実は自分の心の傷の投影の可能性があると言いたいのですね?


あるじ「まぁ、そういうケースも多いじゃろう。しかし、例えそうだとしてもそれをやり遂げることで得るものもある。

人生に全て無駄はないのよ。」


例えば?


あるじ「人との縁や、新しい理解。悲しみを知ること。痛みを知ること。心で感じること。困難に立ち向かう強さ。忍耐力。勇気。…数え上げればきりがないな。

しかし、素直にハートに聞いてみることが一番近道だとワシは思うがな。」


なるほど…(TωT)

あるじぃ…それ、なんでもっと早く言ってくれないんですか?

僕は今までさんざん突っ走って痛い目に遭ってきましたよ。


あるじ「お前が聞かなかったからだろう?ようやく、最近聞く耳を持ち始めたわけだ。」


たしかに…、「何かしなきゃ」状態の僕は自分が良い行いをしていると信じ込んでましたから…。

聞く耳持ちませんでしたね~(´□`。)


あるじ「実はな。その様な人間は意外と多いのだよ。何しろ、世の中全体で人のためにすることが良いことだという風潮があるだろう?

確かにそうなのだが、自分の心や体、人間関係や生活の状況など、しっかりバランスはとれているのかチェックしてほしいのだよ。

それを簡単にチェックできるのがハートと会話することじゃ。

ハートはいつも、自分を生かし、他人も生かす道を知っている。

この世のために『何かせねば』と生きているとハートが極端に熱い部分と冷たい部分にわかれてしまうぞ。」


ああ~、それは耳が痛いですね~。(´д`lll)

僕、数年前までそんな感じでしたから…。

最近でもその傾向は残ってますねぇ。


あるじ「フッ。まだ、ましになってきたではないか。そこまで人様に迷惑をかけないようになってきたからな。」


はぁ…(*´Д`)=з

毎度のことながら、あるじと会話すると、僕もまだまだだなぁと気付かされますねぇ。


でも、ハートに聞いてみるという方法は個人的にちょっとした収穫でしたね。

今後はハートと対話しながらやっていこうと思います。


長くなりましたが…、読んでいただいてありがとうございましたm(_ _)m