がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!


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土佐はかつては遠流の国とも言われ、いわば島流し、罪人や政治犯など京を終われた人々が流された地であったという。なるほど、四国山地が土佐国境に立ちはだかり、人の往来を阻み、山河は深く険しい。平家が源氏から逃れに逃れた平家伝説も多く各土佐の国境付近の集落には伝承が残されており、それが暮らし、文化とさして残されている。

仁淀川町はそういった深い場所の一つである。平家伝説も数多い。斜面にへばりつくように立つ家々。400年を越す伝統ある神楽や秋葉祭りがある。

なかでも、あの武田信玄後継者の武田家最期の当主である
武田勝頼
が甲斐で自害しておらず、土佐の仁淀川町に落ち延びて来て、大崎玄蕃と変名し、64歳まで生き、さらに仁淀川町大崎では勝頼と妻の墓所があり、同町の大崎八幡宮で武田勝頼は祀られている。このことを記した武田家系図が仁淀川町や近隣佐川町には複数残されており、武田家の土佐への足取り、子孫の様子、史実に出てこない人物などが記載されている。
さらに、仁淀川町を中心にしてか香美市、高知市、須崎市、津野町などに大崎玄蕃に関する史跡伝承が残されて、それぞれの地では密かに密かに祀られてきて他へは知られてはいなかったが近年、武田勝頼土佐の会の岡林会長の努力とネットワークからある程度わかりかけてきた。まあ、あくまで残る武田家系図を根拠として。

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ある意味歴史ロマンの追求かもしれんが、しかし。。。。


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さて、最近、やや活動のテンションが低めでありましたが、再始動し始めました。
地域の活性化を目的として活動している武田勝頼土佐の会。第二シーズン突入として、地元仁淀川町大崎地区で、会長が自宅店舗をリニューアルし、
かつよりウドン
を開始しました。

そのほか、仁淀川町に観光ポータルとして立ち寄れる観光案内、ガイド、サロン機能もあります。

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詳しくはホームページがリニューアルしましたので、アクセス下さい。




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武田勝頼土佐の会

という団体は仁淀川町の大崎地区の住民を中心にした有志の会である。

歴史に詳しい人はなぜか!?と思うはず。土佐で勝頼とは???

 

それは、仁淀川町という山間の里に、あの!武田信玄の四男・武田勝頼という武将が戦国末期に落ち延びてきて、地域に根付き、64歳まで生きた。仁淀川町大崎の鳴玉神社のすぐ裏に葬られた。墓所まである。

このことの次第が仁淀川町には武田家系図として残されている。その系図には「甲斐で死んだのは誤り」とあり、「香宗我部家を頼って土佐に落ち延び」とか書いていた。たしか。

通説では、ありえないのである。なぜ、こんなことになったのか、わからない。しかし、土佐は武田家と無縁ではないし、氏族社会はどこかでつながっていたのかもしれない。戦国時代に謎である。

当地では武田勝頼は地域の神となり、心の支えとなり、玄蕃踊りとして残り、400年以上が経過している暮らし、文化がある。

 

同会はこの勝頼伝説でひとつの地域活性化を目指してきた。

 

断片的に画像を掲載してみよう。

しかし、仁淀川町は不思議な町である。。。。ということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さまざまな武田戦国時代にタイムトリップする仁淀川町を演出し、地域の誇りを取り戻してきたかもしれない。33号線という国道が仁淀川町を貫通するが、それは車で抜けていくだけの通過される町だったが、すこし立ち止まって散策できたり、仁淀川町の勝頼伝説に触れることができるちょっとした場所になったのだ。仁淀川町大崎地区は。さらに、同会の努力は続く。乞うご期待である。

 

しかし、仁淀川町は不思議な町である。

 

 

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仁淀川町の武田勝頼土佐の会は、調べてきました。
仁淀川町以外にも武田勝頼一族が土佐に落ち延び、その痕跡的史跡、伝承があることを。その地には守り人がおり、今に伝えている。
画像は、高知市北部のとある神社。武田勝頼が大崎玄番と名を変え生きたと言われるが、ここらの人々は大崎氏が多く住み、武田一族の関係という伝えがあるという。そんな地が土佐内には何箇所もある。

新しいホームページではそこらの横の謎、伝説地を表していきましょう。



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最近、わたしのブログではおなじみの
武田勝頼土佐の会
の新ホームページづくりの基礎資料を整理しています。ああ、今日はかなり時間をかけてしまったが、これまでの経過も振り返ることができた気がします。やはり、振り返りは大事だ。

整理にちょっと疲れた^_^;

仁淀川町の地域興しに立ち上がった会であるが、どこまでそれが成し得たか、今の課題は何か、今後に向けてどう取り組んでいくか。皆で立ち止まり考える時期にきている。

結成から丸8年、活動のパワーが落ちているし、マンネリ化している。
来年は土佐は高知県あげて歴史観光に取り組むのだ。武田勝頼土佐の会も気分一新で戦国土佐の世界を押し広げ、勝頼伝説や長曾我部元親時代含めともに盛り上げていきましょう。幕末や江戸時代以前の混沌は限りなく魅力があるじゃないか。知れば知るほどに(o^^o)


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写真は豊臣秀吉政権下の影響を受けた長曾我部元親の城、浦戸城。ここも一筋縄ではいかない歴史あり。




SEE YOU!

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やってきました、今年も仁淀川町大崎地区に伝わる武田勝頼伝説系のイベントである

秋の陣2016

である。

開催場所は仁淀川町大崎地区。

祭りのシンボル、玄蕃ん祭りのシンボル、花台が今季も復活である。

 

 

私のブログにはたくさん登場してもらっているので、いまさらですが

 

名だたる戦国武将・武田信玄の4男である甲斐武田家20代当主武田勝頼は、定説では天正10年(西暦1582年)天目山で自害したとされていますが、高知県吾川郡仁淀川町に残る影武者説では、武田勝頼は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ちのび、その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に入り、以後、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で逝去され、鳴玉神社に葬ると記録(仁淀川町及び佐川町に残る武田家系図に記載)があります。

 

そう、当地では定説は定説としてありますが

この伝説が普通に受け入れられ、土地になじみ、

400年以上伝えられて来たのである。

 

武田勝頼土佐の会の岡林会長は活動を継続している。

会の結成から8年が経過したが、まだまだ行くのだ。

 

今回は長宗我部鉄砲隊も参戦する!

 

これは2012年時の秋の陣イベント。

 

 

 

子ども武者で参加してくれた仁淀川町の子どもたちも少年から青年になっただろうか。

 

 

 

 

国道33号線沿いにある仁淀川町大崎地区。

ここは仁淀川町役場(旧・吾川村役場)があるものの、高知市と松山市の中間付近であるが、いままでは単に素通りの町だった。

しかし、ここ数年は少し違って来たかもしれない。

この活動を継続

していくことが

チカラになる。

 

これは山梨県韮崎市での訪問時のパネル展示。

それと同市での武田勝頼交流である。

武田家の発祥の地、伝説の地のつながり。

 

 

 

 

 

 

 

 

SEE YOU!

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