設定に少し無理があるかな・・・ 

電気という概念がある日突然消えてしまう。

目覚まし時計は止まり、電車は動かなくなる。単なる停電ではないのだ。

電池も使用できないのだから・・・

いわゆる、江戸時代の電気のない時代に突然、すべての現代人が置かれる感じだ。

こうなってくると、都会にいても何もできない。仕事もできないだろうし、水や食料、何もかも不足してくる。そうやって、失って、何か気づくものもある。

電気というものが消滅した最初の夜、満点の星空を見上げて、感慨深く感じる。

電気の無い時代は、こういうものが当たり前だったのだろう。

映画は、この一家族にスポットを当てて、描いているから、電気がないために起こり得るであろう悲惨な状況は、描かれていない。

それにしても、田舎の人々は強い。衣食住、電気がなくても大丈夫な感じだ。生きる術を知っている。五右衛門風呂。豚の解体。肉の保存の仕方とか。

 

自分が子供の頃、親父が家を建てたのだけど・・・その頃、前にあった家を解体して、その場所に建てたものだから、いろいろと不便な生活を余儀なくされる。その時、風呂だけは、解体せず、残して、しばらくそのままの状態で使っていた。しかし、屋根はなかったように思う。その時も、満点の星空を見上げながら風呂に入っていたことを思い出す。綺麗な星空だった。

今だったら、スーパー銭湯もあうだろうし、賃貸の物件もあるだろうから、こういう経験はできないだろうな。

 

 

 

あらすじ

 

東京に暮らす鈴木家では、お母さん(深津絵里)が話しかけてもお父さん(小日向文世)はテレビに見入り、無口な息子(泉澤祐希)はヘッドホンをつけ音楽に夢中、娘(葵わかな)はスマートフォンを手放せず、一緒にいてもどこかバラバラだった。ある朝、テレビや冷蔵庫の電化製品、スマートフォンにパソコンといった通信機器、さらに電車や自動車、ガス、水道など、乾電池を使うものも含め電気を使うあらゆるものが突如動かなくなってしまう。単なる停電とは言えないこの異常事態は、一週間経っても続いたまま。情報も絶たれ、不自由な生活に困り果てる人々。ついに父は東京脱出を決断。生き残りを賭けたサバイバルライフがはじまる。