阿佐ヶ谷住宅(

そこにあるトタンギャラリーに行った。


 

前川國男氏が設計したテラスハウス。

 

 


人が暮らすってこんな空間だったなって、感動すら覚えた。

 

懐かしい風景。

地方にはまだこんな団地の風景がある。 

が、よくある悲壮感はなく、明るかった。

よく管理されていた。

 

ここなら東京でも子供を育てたいと思える場だった。

 


しかし、近々、取り壊されてしまう。


 

さて、その350戸の1戸に、

住まい手による小さなギャラリー がある。

 

 

とても素敵。

時間がゆっくり流れていて、空気がやさしい。

 

 

アートは家のなかから、団地のあちこちに広がってる。 


↑ ヘッドホンした人形

  ジャックの先は家に差さってる

 

↑軒下に生えてるミントにラッピング

 

↑近くの子供たちが集めた宝物

 石やドングリや枝たち

 

小さい頃って、集めてたなぁって思い出した。 

いろんな物が宝物だった。

今、宝物って?何だろね?

   


↑コップに土詰めてひっくり返した

 土の塊たち

 

 

アートって

 

 するか、しないか、、の違いだけ

 

 することによって、周りの空気がちょっと変わる。

 

 そこに気持ちが残る。


 

不思議と、いろんなものの形に気付く。

 



1958年)と、
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描く

テーマ:

つづき、、、

 

 

ある建築家が

 

  写真を撮ると、そのモノが自分のなかを通り過ぎていくようで、

 

  わたしは、絵を描き、自分のなかにとどめようとする

 

 

こんな内容を ある本で書いていた。

 

 

 

そういうわけで、ぼくも本当に感動したものは

 

絵に置き換えて、記録、記憶するようにしている。

 

 

絵を描くと、、

  

それを後から見たとき、写真では伝わらない情報と感覚が

 自分のなかに再生されるように思う。

 

  

  ↑原 美術館

また、絵を描こうとすると、細かいところまで、見る。

 

また、必要ない線は省き、感動した線だけが、描かれる。

 

 ↑奈良美智さんの作品 

 

 

絵心 とは絵を描く気持ちであって、

  絵の上手い下手ではないと思う。

 

 

絵は表現手段で、言葉や動作と同じ。

 

子供が絵を描くのも、未熟な表現手段を補うため。

 

 

 

美術の授業を通して、絵に上手下手があることを教わる。

 

 写実性という 多くのうちの一つの評価基準から。

 

 





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M C E

テーマ:

M C エッシャー。


 

だまし絵で有名なエッシャー展を見てきた。

日曜日の東急の文化村。

 

雨にも関わらず、大行列。

シュールレアリズムのブームですか、、、?ダリといい

 


エッシャーがシュールレアレズムかどうか知りませんが、、、

 

 

 

 ダリやデュシャンのようなグルグル頭系ではなく、

  幾何学的な、数学的な、緻密なクルクル頭系。 



 

建築目指したこともあったらしく、

 どうりで上り続ける階段やタイルなど

     建築的なテーマが多いのです。

 


 

 


版画って小学生のとき彫ったけど、、

 あれって、光を当ててく行為だったのだと気付いた。

 

 黒い板は闇で、彫った白い線は光が当った部分

 

 

感動したのは、ひとつひとつの仕事の完成度と、

 それらを最終的に統合、洗練、昇華させていった姿勢。 

 

 

 

表裏のないメヴィウスの輪や、2次元と3次元の錯綜など

自然・現実世界の捉え方はとても西洋的だった。

 

よく見ると柱が上下で交差してるよ

 

 

 

東洋人にゃー あんなひねくれ方はでけんな。

 










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写真 と 時間

テーマ:

日曜日、新日曜美術館で紹介されてた

橋村奉臣さんの写真展を見に、

 

 恵比寿の東京都写真美術館へ。

 


あらたまって写真展へ行くのは初めて。

 

 

 

作品を通して、

  時間について考えることができた。 



橋村さんによるギャラリートークがあった。 
 

言われてみて、気付いたのは、

 写真って、本当は未来を撮る機械なんだなってこと。

 

カシャッて押してから、ネガに収められるまで、

 

 わずかな時間のズレがある。

 

だから、橋さんのように1/1,000,000秒の瞬間を

 

 撮らえようとする人は、未来を予測して、

       シャッターを切る らしい。

 

 

 

 

今まで、瞬間を撮らえようとしたことがない。


 瞬間を意識しなかった。
 目の前の光景の一瞬一瞬に気付けてなかった。

 

  


人は、瞬間は見えない、画像として知覚、記憶できない。 


 

 

 

 

消えゆく瞬間を永遠とする、写真。

 

 瞬間瞬間、風化しながら、遠く永く建ち続ける、建築。 

 

 

  時間のかたち。

 

 

それらの違い、何かあとあとになって、

    ふっと気付くであろう体験だった。

アート

テーマ:

日曜日。

 

以前一緒に仕事をした、アーティストな人の家に晩御飯を食べに行った。

 

そこは、想像通りの古い昭和な一軒家。

 


奥さんと赤ちゃんがお出迎え。

 

 

 ひさびさの家庭料理に舌鼓。ポン。。。

 

 

新潟の越後妻有トリエンナーレに出品した話や、

 山口のワークショップの話などなど。

 

 

最近は、職探し中とのこと。

 なかなか、思う仕事がなくて、最近、車を売ったと、、、

 

理想と現実と芸術、、、 いつの時代もむずかしぃ


 

建築と同じ匂いがして、人ごとでなかった。

 

いろいろ話してるうちに、彼の活動について話してて、、、 

 

 

どんなとこで働きたいか?について

 

 公園にある遊具をつくる会社だと言う。

 

  

  

赤ちゃんが生まれたのもあってか、、さすが、目のつけどころがいい。


 

 

公園って、お金稼ぎは置いといて、可能性のあるって話に

 

 そして、遊具が特に。

 

 

遊具は子ども用のものばかり、でも、高齢化社会において、そのうち公園は老人の遊び場になる。

 

 地方ではゲートボールに励む元気なジジババをよく見かけるが、、、


  そんなジジババを元気にする遊具、脳の活性化遊具、、、恋人同士の遊具、、、

 

 夢はふくらむ。

 

 

近くの公園で子どもを遊ばせたいが、危なっかしい。

 でも、芸術という手段で、解決できることがあるかも、、、と彼。

 

 

  んーーー なにか 創作の原点にいる人に触れ、大切なことを忘れてたことに気付いた。

 

 

 つくる ということ。

 

 

 

 さてさて、たらふく食べて、飲んで、、、

  

 ぼくは、彼になにもしてあげられなかった。助言も。紹介も。

 

  

 

 

 が、、、 ブログがあった。

 

 

 長谷川さん です。

 

 

 なかなかいい仕事してると思う。見てみて。


タロ と ピカソ と

テーマ:

週末に汐留に行ったので

ミーハー心 くすぐられ 明日の神話を拝見


06-07-10_02-54.jpg


以下、その感想


デカかった

何だか喜劇的な感じ




後から考えたこと

あの絵の目線は 右端に ちっちゃく描かれた動物たちかなって思った

だから 喜劇的なのかな



連続したのは シンレッドライン

戦争の後ろの風景にある 美しい夕日と大自然と無関心な先住民を描いている映画



そして やはり連想するのは ゲルニカ

同じくらいデカかったけど

前者は原爆の生の感覚 後者は戦争のイメージ

カラーとモノクロ

動と静

3次元と2次元




いずれも 人の争いと戦いを 超越えてた目線から描れている

そこに印された象(かたち)は 人の為すことの空虚しさ

馬鹿らしさ



タロさんとピカンさんの純真な目線に 傷ついた心を感じる

画狂老人卍

テーマ:

なんやら、ヒーローもんアニメの悪役みたいな名前と思いきや、、、

 

しかしかし、それは75歳の北斎の最後の号。 

 

 

  

ほぼ日に紹介されてる北斎展

  

「我々が教えてもらう北斎像っていうのは、
ほとんど70歳から74歳の北斎像なんですね。
つまりその、ほんの数年間の北斎のやった仕事が、
北斎の評価になっちゃってるわけです。」

 

しかも、北斎って90歳まで生きてて、

70年のキャリアのうちのたった4年。

 

人生50年の世界で、、、


 

おどろき、もものき、しものせき。

  

まさしく卍老人。

   

高名にあぐらをかかずに、名前を30も変えてるあたり、

すげーぜ!卍老人!

 

 

ピカソやミケランジェロに似てる気がする。

 

近々、北斎展見にいかねばねば。

 

 

設計事務所開いたら、「卍事務所 の きむら卍(まんじ)です。」とか名乗ろかなぁー

 

卍建築とか、建築工房卍とか、、

 

 

息子の名前にいいかも、、、、 

テーマ:

ぼくは、今もお勉強のためにスケッチをよくする、建築の学生がみんなするように。


よく言われるように、写真をとるより、スケッチをする方が、しっかりと観るから。

 

旅や散歩にスケッチブックは必須。


外に出れないときも、事務所で建築雑誌に向かって、スケッチをする。

これもいいお勉強になる。

 

いつもCROQUISの小さいのを使っている。安いから。

学生の頃から数えると相当たまった。

家にあるもので、失いたくない宝物の一つ。


絵だけでなくて、その頃に考えたこともメモしている。



さて、「絵心がないから、、、」といって、絵を描かない人がいる。

 

でも、的をついた表現だと思う。

絵を描くという心をどこかに置き忘れてきたってこと。

 

 

みんな小学校までは、成績表がつくまでは、自由に絵を書いていた。

字が書けない分、言葉が十分でない分、自分を表現するために、絵を書いていた。


小学校で、絵にうまい、へたがあるって、勘違いさせられたままなだけだと思う。

 

ピカソなんかの芸術家が写実的以外の表現を一般化してくれたから。

だから、絵にうまい、へたはない。と思う。



芸術家か、ふつうの人かは、それをするかしないかだけだと思う。

 

表現と評価はべつのもの。

 

表現と数字とはべつのもの。だと思う。

 

 

「芸術家とは心の感じ方の構造を言う」ジョン・レノンの言葉

Georgia O'Keeffe

テーマ:

アメリカのサンタフェをぶらぶら歩いてたときに

ぶらぶら入った美術館で、出会ってヴィヴィっときました


そこはカッちょいいアドビ風建築のジョージア・オキーフ美術館でした


 

生生しい花の表情や色使いと、ヘラジカの美しい骨の死の表情


生と死


こわいくらい美しい作品

言葉ではうまく表現できませんね。