ようこそ 株式会社 サニーライフ のスタッフブログへ!
弊社は、山口県下関市エリアを拠点に、
建築、不動産、損害保険業務を行っています。
『お客様の夢づくり』のお手伝いをテーマに、
専門的な知識と豊富な情報で最適な提案を行い、
お客様のお役に立ち、喜んでいただける企業を目指します。
この企業活動を通じて地域社会に貢献することを目的とします。
『1つの窓口ですべて解決!One Door Style』
建築、不動産のプロとして専門的な知識・情報によって、
どんな問題でも解決できる企業を目指します。
建築 、不動産 のご相談はサニーライフまで、お気軽にご相談 くださいませ。
ブログでは、サニーライフからの情報発信や、日々のスタッフの声をお届けし、
親しみを持っていただけるような場所にしたいと思います!!
「高校野球やアメリカと比べて日本の
プロ野球のストライクゾーンは狭い。
日本ではまずコントロールを求められて、
落ちるボールが投げられる投手が勝つ。
自分は真っ直ぐをがむしゃらに投げるだけの
ピッチャーで、スライダーやフォークは
不安定だった。球は多少は速かったかも
しれないけれど、肩の強さだけで投げいて、
理にかなった投げ方とはいえなかった」
当時のダイエー監督の王貞治からは、
投手としての信頼を得られなかった。
このまま投手を続けても現役生活は
すぐに終わる。大越は4年目の96年に
外野手に転向することを決意する。
「それまで自分は、ピッチャーに力があれば、
野球は勝てると思っていた。ところが、
野手の練習に加わるようになり、状況に
応じた様々な守備隊形を学ぶうちに、
野球と言うスポーツは、投手を含めた9人が
連動しないと勝てないことを知ったんです。
わがままや傲慢さが消えて、”協調性”が
生まれた。野手転向によって性格が変わり
ましたし、それがなければ高校野球の監督を
務めることもできなかったかもしれません」
打撃に関しては当初、打球が内野手の
頭を飛び越えることもなかった。大越は
毎日1200から1500スイングを自らに課し、
いつしかユーティリティープレーヤーと
しての立場を築いていく。ダイエーが
日本一になった03年は、主に試合終盤
の代走や守備固め要因として貢献した。
ところが、そのオフに解雇通告。
突然ではあったが、大越は覚悟していた。
~その8へつづく~
~週刊ポスト2012・2・24
柳川悠二(ノンフィクションライター)より~
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