「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という概念がある。
「ゲマインシャフト」とは地縁・血縁で結びついた社会(家族・村落等)であるのに対し、「ゲゼルシャフト」は大都市のように利害関係に基づいて人為的に作られた社会(企業・大都・学校)のことである。
参考→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93
まあぼくも良くわかっていないまま放言を放っていて申し訳ないのだが。
それはともかくとして、ぼく自身はこれまでかなりの回数、様々な土地に引越しを続けてきた転勤族なので、地縁としての「ゲマインシャフト」はかなり希薄である。
なんせ14回引越ししたりしているし。
中学校3校逝ったりしているし。
言葉もむちゃくちゃだし。
何処出身とか言われても良くわかんないし。
その代わりと言ってはなんだが、「ゲゼルシャフト」としての生き方は上手くなった。
大して意識をしなくても、空気を読みながら人に合わせて、嫌われないように大事なところを少しだけ主張できるポジションを見つけれるこのスキルは、仕事をする上で何よりも役立ったりしていたりする。
ただ、それだけでは物足りないのは、間違いない。
先日福井の地元から出た事無いという人と話をする機会があった。
子供の頃から今まで引越しを繰り返してきたぼくには、その地域社会や家族との付き合い方などが本当に眩しく、非常に羨ましかった。
あのように暮らせたら・・・
それはぼくにはかなわない願いなのはわかっているのだが。
日本は異説は色々あるし場所により差は有るものの、基本的には村社会として成熟してきたと言う部分も有るから、単純に日本人としてのぼく感性がそう思わせるのかもしれない。
まあ遊牧民になった事は無いし、話した事も無いから良くわかんないけど。
でも同じような事を思うのはぼくだけではないはずだ。
「孤独な都市の住民」というステレオタイプな言い方をしなくても、昨今では地域社会に根ざしたような生き方は、ぼくだけでなくなかなか難しいのが現状なのではと思う。
それでも、なんだかんだ言いながら、人は共同体に参加する事無しに過ごすのは非常に辛い。
それが昔は村であったのが近代化ともに会社になり、会社人間という言葉が生まれた。
そして、今、それすら、無くなった。
昨日、友達のバー、STUDIO610が閉店した。
そこにはお金を持っていたり、社会的には成功していたり、話が面白かったり、ルックスが良かったり、力があったり、人並みでない経験をしてきた人がたくさんいた。
マスターのきたクン
が言うには、
普通のサラリーマン・プータロー・大学生・看護婦・耳鼻科医・外科医・精神科医・プログラマー・不動産屋・美容師・理容師・宇宙人・マッサージ師・詐欺師・ペテン師・花火師・やり手の社長・インチキ社長・SM嬢・ヌードモデル・絵描き・自動車屋・マルチの勧誘・宗教の勧誘・料理人・キャバクラの店員・本屋さん・酒屋さん・ソムリエ・デザイナー・プロデューサー・雑誌ライター・トラック運転手・ラジオのDJ・ストーカー・病人
などの人が来ていた様だ。
うん。濃すぎ。激しく濃すぎ。ありえへん。
が、ぼくが見るには皆一様に孤独を抱えていたように思う。
それぞれの悩みはあったろう。
重い現実もあっただろう。
その一つに「ゲゼルシャフト」としての生き方に疲れていたというのもあるのではないか。
その逝く当ての無い孤独感や寂寥感を抱えたまま、それをそれぞれの分野で活躍していたのだろう。
そのどうしていいかわからないものを、あの「場」は吸収し、ほんの少しだけ軽くしていたように思う。
それは店を始めた人の心意気であったり、そこに集う人の力であったり、なによりマスターであるきたクン
の人柄だろう。
いうなれば都市の中の「ゲマインシャフト」としての機能を立派に果たしていた。
あそこに逝けば知っている人が誰かいるし、他愛の無い会話と気負いの無いもてなしが待っていた。
それこそが皆が愛した所以だろう。
その、皆が愛したあの「場」はもう二度と戻っては来ない。
だが、そのあの時共同体として機能していたことや、共有した気持ちや、それぞれの思いや、願いや、友情や、交わした言葉や、思い出は、それぞれの中に残り続けると信じている。
間違いなくぼくには残っている。
それこそ普段の日常では絶対出会わない人らとの出会いは、確実にぼくを成長させてくれた。
ぼくは先日東京に京都から出てきた。
あのような「場」にぼくはまた出会えるのだろうか?