山本ユキHP エネルギーの学校

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それに関連しているのかもしれないが、そのあとに出てくる幻想は、
常に見張られているというもの。
それが、夢か現実か区別がつかないという。
何十年も、常に
「人から見られる」仕事につく。
というのは、どんなものなのかは想像もできない。
道を歩いても、電車に乗っても、デパートに行っても、父と一緒に歩いていれば、
振り返られ、時には呼びとめられて、
「お父さん笑うの?」
と聞かれることすらあった。
父の性格から言って、
アナウンサーをやりたかったようにも思えない。
(実際、父は文化放送でしていたアルバイトの流れで試験を受けたと言っていた)
今の時代であれば、成功に向けて『上手くやる』タイプではなさそうな父だが、
だからこそ、
自分のアナウンサーとしての『鎧』を扱うのは大変なことだったのかもしれない。
 
そして、その次は、
家族の仕事の心配。
心を開いてこなかった人に人が変わったように心を開き始める変化。
普通だったら、何十年もかかりそうな、内的葛藤を一気に解放していった。 
毎日毎日、小さなものから大きなものまで、父が自分の奥そこに押さえ込んできた感情が、
つぎつぎとあらわれては消えていった。
 
私はただ、父の手を握り、全面的に同意しながら、
それを聞いていた。

 

 

波


 
日を追うごとに様々な欲望がなくなってきている父だったけれど、小布施に行くことだけには、
目を輝かせた。
昨年から、小布施にある北斎の天井画を見たいと言っていたのだ。

 

北斎が80歳を過ぎてからの作品が多く残る小布施だが、

父はなぜ北斎が80過ぎて小布施まで行ったのか、

その謎を探りたいと言っていた。

すでに長い距離を歩くことができなくなっていたので、

心配ではあったけれど、

父はその日を心待ちにしていた。

酸素を用意し、

車での移動にしろ、

山を背に佇む

岩松院の階段を登るのは一仕事。

やっとついた本堂の2段の階段が登れず。

そこで座って一休みしながら、

本堂へ入っていった。

本堂は、「寝転んで見ないでください」

と、注意書きがあり、係員の方もいらしたけれど、

天井画以外何も見えない父が

息も絶え絶えになりながら入っていって

ごろりと横になった様子を咎める人は誰もいなかった。

父は、息を整えながら、

しばらく天井画を見入っていた。

その目に何が映り、

何をおもったのか。

ただ、

「いいね」

とポツリといって起き上がり、

岩松院を後にした。

 

その後、小布施長の北斎館へ行った後、

町長の家へ。

長女の峰華が小布施の仕事でお世話になり

いつも滞在させていただいているのだ。

客間に座り、

一息つくと、

「私は北斎狂でしてね」

と、話し始める。

少しウィットを聞かせながらの父の会話を久しぶりに聞き嬉しくなった。

それが父のスタイルだから。

町長はその話を聞くと、

北斎直筆の屏風を出してきてくれた。

そして、町長の先祖でもある北斎のスポンサー高井鴻山の話は、

身を乗り出すほど楽しそうに聞いていた。

 

小布施から帰った後の父は、

もうどこかに行きたいということもなく、

大好きだった大リーグの試合にもイチローにも

目を向けなかった。

 

ただ、毎日ショパンのピアノ曲を流し続けていた。

これも面白いのだけれど、

それまでは様々な作曲家の様々な演奏を聴いていたのだけれど、

それらは一切効かなくなり、

ただ、ピアノ曲だけが繰り返し流れていた。

 

 

 

 

北斎の絵を見ると元気をもらえるんだ。

という父の棺の中には、

愛用していた北斎の神奈川沖浪裏の暖簾が入っている。

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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