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死のひと月ほど前。

その頃私は朝起きると直ぐに隣の家の父の部屋に向かった。

父が夜見る幻想を母が怖がったからだ。

 

父自身、自分が見る幻想に

「頭がおかしくなったんじゃないだろうか」

と、眠ることを怖がっていた。

だから、その幻想を紐解くお手伝いをしにいっていたのだ。

 

二階のベランダから隣の家のベランダへと渡るための橋が付いている。

セコムを解除して、カンカンと音のなる橋を渡る。

人の存在が感じられない早朝の時間は、

私の一番大好きな時間だけれど、

この時は少しドキドキしていた。

 

父の幻想が私の対処できる範囲を超えていたらどうしよう。

と、不安でもあった。

 

幻想のほとんどは、

一番自分の心の奥底にしまってあったものだった。

大半は、母でさえチラリとしか聞いたことのない、

父の母のことだった。

大きな家のお嬢様だった祖母は、

商家の祖父の家に嫁ぎ、

その生活の差についていかれず、

次第に軽い鬱のような状態になったという。

そして、祖父はその祖母を使用人の目から隔離するため、

座敷牢のような部屋に閉じ込め、

祖母の具合はさらに悪くなっていったという。

一度だけ、父を連れて教会に行った祖母は、

そこにあったオルガンを弾き

讃美歌の320番『主よみもとに近づかん』

を涙を流しながら歌ったそうだ。

  

小さかった父だったけれど、

その時の感情は、父の人生を左右するに余りあるものだったようだ。

「僕の人生の50パーセント、いや90パーセントはおふくろのためだった」

との父の言葉に、父の持ち続けた深い感情を知ることができた。

 

祖母をその状態から救い出すために、

父は、医者か有名な医者を動かせるほどの実力をつけよう思ったらしい。

大学に入り、有名な精神科医と繋がりができ、

祖母の様子を相談したところ、

「もう少し早くだったら治っていたね」

と、言われたそうだ。

手遅れだったという思いと、

その母親を見ると辛さ、

それをどこかで隠したいという思い、

様々な感情が父の中に生まれ、

祖母を救うためという目的は心の奥深くにしまわれ、

残った原動力だけで生きてきたのかもしれない。

 

そして、

もう一つその医者に聞いたことがあったそうだ。

それは、

「自分にも遺伝するのか」

ということ。

その医者は、

「両親双方の家系を見なければわからないから調べるように」

と言ったそうだ。

そして、その結果

「遺伝はない」

とのこと。

 

しかし、父の中には

「もしかすると」

という恐怖心もこころの奥深くに横たわり続けていたのかもしれない。

 

 

夜になると、

祖母が出てくるという。

父は自分が知っているお経を唱えたり、

「お母さんごめんなさい」

と謝ったりしたという。

 

父は、

「お前たちには話していない話がある」

と言って、

この祖母の話を毎朝話し始めた。

私はただ、毎朝、

手を握って頷きながら父の話を聞き続けた。

 

それは、父が心の奥にしまってきた、

父自身の感情が生み出す幻想なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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