昨日はひどく風の強い1日だった。

 深夜11時ごろの4チャンのニュースで、風になぎ倒された映像が繰り返し流された。今年はどうやら煙霧なるものがクローズアップされているらしい。

 強風にマンション全体が軋む音がなぜか心地良く、僕はすぐ眠りについた。

 

 昨日の強風が地球の空気をかき混ぜたのだろう。これまで続いた冬の名残など跡形もなく、春の日差しがカーテンの繊維の隙間から部屋の中を明るく照らした。

Kロフト付きの一人暮らしをする身としては、そろそろ暑くてロフトでは寝られなくなる。暖かい空気は上にたまるのだ。

髪のわけ目を境に左右へとメデューサの蛇のように広がった寝癖を触りながら、カーテンを開けると、東向きの窓は太陽の明るさを惜しげもなく、若干の痛みすら伴うのではないかという勢いで僕の眼へと突き刺した。外気は25度。

 

春、通り越して夏である。

 

そう言えば、彼女が25日に泊まりに来るらしい。

大学卒業に伴い、就職でじもとへと戻った彼女が、久々にその卒業式のために上京する。あいにく25日は僕が仕事で、26日が休みとスケジュールは合わないのだが。

誰も訪れることのない一人暮らしの男の部屋は、それはもう怠惰の集合体で、片づけるには、腕まくりをして、タオルを鉢巻にするくらいの勢いが必要なのだ。そして、僕は腕まくりをして鉢巻をした。

部屋がなんとなく、見た目として(物理的にという意味で、生態的にはどうかは保障できないが)綺麗になり、後は布団を干して、洗濯をするだけになった。

僕が住むアパートは洗濯機は共同で、だいたいスタートしてから1時間を要する。その間暇になったので、ドイツの自動車メーカーのロゴが描かれたTシャツと、聞き覚えのないスポーツメーカーの短パンで近くのレンタルビデオ屋に向かった。

 

そこでは結局何も借りなかったが、春、通り越して夏の空気を、昨日の強風の面影残るそよ風がその身にまとって僕を駆け抜けた。

 

帰り際、僕の部屋のベランダに干してある布団が気持ちよさそうに揺れていた。

今年から発症したかもしれない花粉症が心配になる。まだ3月の夏の日。

 

 洗濯機が高音の終わりの合図で僕を急かした。
街中で、僕は彼女とそう簡単には手を繋がない。
それは付き合って間もないからではない。

僕の感覚を支配する上斜め45度の視点がゆえに。

もちろん、彼女の方から手を繋ごうという場合、それは言葉だけではなく、暗にそのような仕草でもって発生するのが大半であるが、その場合には断るのは失礼だし、僕自身、繋ぎたくないわけではなく、むしろ繋ぎたいくらいであるから、その流れに身を任せるのだが。
それでもなお、僕の方から街中で彼女と手を繋ごうという場面はめったにない。
「めったにない」
つまり、たまにはある。

街中で、僕が彼女と手を繋ぐのを阻害する感覚が、上斜め45度の視点だ。

僕のその感覚を説明する上で、ひとつ大切なのではないかと、僕自身が勝手に解釈している考え方に「恋愛適齢期」(これは勝手に命名した)がある。
結婚適齢期これはどこかの誰かが毎年?発表しているが、それと似たようなもので「恋愛適齢期」も人々の感覚として存在しているのではないかと思う。
簡単に言えば、恋愛をしていて最も不自然じゃない年齢もしくは世代のこととと思ってもらえればいい。
これをもとに僕の上斜め45度の視点は生まれている。

上斜め45度の視点は、自分自身を上斜め45度から客観視する感覚である。

中学生の頃、当時の彼女と手を繋いで街中を歩いていると、
上斜め45度が
「中坊のくせにいっちょまえに彼女と手なんて繋ぎやがって。」
と、野次を飛ばした。

高校生の頃、当時の彼女と手を繋いで街中を歩いていると、
上斜め45度が、
「どうせすぐ別れるのにな。」
と、野次を飛ばした。

大学生の頃、彼女と手を繋いで街中を歩いていると、
上斜め45度が、
「大学生のカップルが調子こいて手なんて繋ぎやがって、邪魔なんだよ。」
と、野次を飛ばした。

だから、僕は街中で彼女と手を繋げなかった。
そしてこれからも上斜め45度の僕は、おじさんになった僕、おじいさんになった僕に野次を飛ばすだろう。
だから僕は街中で彼女と手を繋げない。

しかし、今僕は僕の中の「恋愛適齢期」だ。

僕が客観性が欠落した過剰な自意識から生み出した、上斜め45度の僕は、
「今なら街中で彼女と手を繋いでもおかしくない年齢だ。人生で今だけだぞ。」
と、譲歩してくれている(らしい)。

決して手を繋ぎたくないわけではない。
いつも僕の上斜め45度にいる悪魔がご機嫌な間に、
「手でも繋ぎますか」
と、言ってみましょうか。
手を振って明暗を分けようか
どこからともなく近づいてくる横殴りの風に
ああと小さな悲鳴をあげて倒れてああ

さあ感蝕のない防壁に
誰が何を守ると言うのか

笑いのそのもっと向こう側のやるせなさから
もっともっとその向こうの現実を引っ張りだして
ガッハガッハと大口を開けて泣くしかないのだろうし

とにもかくにも目を自らで握りつぶして
目になった手が探し当てるのは
それはもう形のないものでしかないのだろうよ

あっちに行けよと指図され
こっちに来いよと指図され
そりゃあもう疲れ果てるのは
猫が砂で隠そうとしても無理なもの
犬にはもう犬笛は届かない

隣でおにぎりを頬張る痩せこけた老女の
その口元につく米粒くらいに愛おしい

ところかまわず暴れ回ってなお
そばに寄り添う人に甘えて
甘えて甘えて安堵して腐敗する
腐ってなお居心地の良い生ぬるいお湯
ああ天国だろうか ここは

最果てまで走ってきたのだが
振り返るとなんということ
元いた場所が最果てになっているではないか
夢があるのはここ
うんと頷く人を撫でよう

するとどうだ
その人ですら嘘っぱちに思えて
その表情が歪むのが見たい
緩衝材のないその皮膚が
溶けるまで溶けるまで
殴っていいのだと
先生が教えてくれたのかもしれない

突然の変換を求めているという伝説の
架空の空白を埋めるのは誰だ

皆が一斉に回避した

いつも寄り道した駄菓子屋の
紐付きの飴が舐めたくて
6年ぶりに寄ってはみたが
店主の老いが酷過ぎて
飴の味すらしなかった

どうやら殴った右手がジンジンするなあ

歩道橋に割られる夕日

細めた眼 眉間の皺

何度目か もう何度目か

 

長く緩く下る坂道 色のあった落葉

よもや 踏まれた毛虫の体液の鮮やかさよ

色無くし 誰に何を伝えよう

転がるのみ 長く緩く転がるのみ

 

世界を暗転するビル群

もう夕日は山には沈まない

もう夕日は海には沈まない

 

まだ空がある奇跡

 

孤立した緑 不自然に守られて

彷徨う小さなトカゲ

お前もまだそこにいるか

毛虫の体液の警告など無視すればいいものを

 

いずれくる明転を待つとて

熱さがお前を焼き尽くしはしないか

明るさでお前は消えやしないか

 

枠外の一歩の想像

 

世界を明転するマンション群

もう朝日は山から昇らない

もう朝日は海から昇らない

 

まだ太陽がある奇跡

 

木陰のベンチに腰を下ろせば 小さなトカゲ
街を行く七十億の絶え間ない人並み
同じ動物
同じ構造
同じ思考

腰を屈めたおじいさんはもう忘れてしまっただろうか
足速のサラリーマンは馬鹿にするかもしれない
バイトに向かう女学生は今まさに
母親に手を惹かれる女の子はこれから
ベビーカーの赤ん坊はスヤスヤと寝息をたてている

途切れることのないその人並みを
無理に横切ろうとしたら
おじいさんの杖に引っ掛かった
サラリーマンのカバンが当たった
女学生の溜息を吸い込んだ
母親と女の子の手をほどいた
赤ん坊が泣き出した

人並みを抜けたそこは
なんださっき通ってきた道じゃないか

高架下のホームレスの鼻を突く匂いに
胸が苦しくなった