美味しいスンドゥブチゲに、出会った~。
テーマ:美味しいモノ昨朝、起きたらお腹と背中がくっついていた。
昨夜今年最後のテニススクールから帰って温野菜をつまんで
そのまますぐに寝たからだ。
空腹で目覚めるととても気持ちがいい。
そしてその日に何を食べるのかを考えるのが楽しい。
そんな状態でおもむろにパソコンを開く。
お腹が空くとよく拝見させて(それ以外でもちゃんと拝見してます^^;)
頂くマサトさんのブログ’マシッソヨ!大久保韓国ランチ’ を見る。
『純豆腐チゲ』の記事を読んで無性に食べたくなった!!
食べたくなると、絶対にソレを口にしないとダメな私。
しかも、背中とお腹がくっついている状態で代替品なんて考えられない!!
丁度、今日は新宿に行く用があったので大久保のこの’鳳雛チムタク’へ行こう!!
とにかく最近は寒いし、鍋だのスープだのばかり食している。
チゲ・・・それは鍋。
我が家でもナンちゃってキムチチゲとか作ったりするんだけれど
どうにも~、辛いのが苦手な夫がおります故、本当にナンちゃってにしかならず
いつかは、辛~いチゲ、しかも本当のスンドゥブ(豆腐)チゲが食べたいと思っていたので
今日は最高のチゲ日和ということで、所在をメモし目指すはいざ新大久保!!
あぁ~久し振り。新大久保。最後にこの駅に降り立ったのはもう10年以上前。
その時新宿から母親とこちらの方へ歩いてきたのだけれど
その時は裏通りが怖くて怖くて仕方なかった。
だが、今は東京の韓流の聖地だ。(と、いう噂だ)
駅を降り立つと、コリアンタウンというよりは、アジアンタウン?
中国系の方やフィリピン系の方、そして黒人の方・・・そして日本人のオバちゃんらが
改札口でそりゃスゴイ数ごった返していた。
今日はナンカの祭り?のよう・・・。
とにかく大久保通りを見つけないと・・・どっちかしら?
交番で「あのぉ~大久保通りってもっと向こうです?」と聞いたら
「この通りだよ」・・・って、目の前大通りだったっ!!(><)うわっ!!
大久保らへんは初めてかなぁ・・・百人町は車のディーラーに勤めていた時に
車庫探しで歩き回ったことあるけれども。
それにしても、この通り沿いは韓国料理屋さんがいっぱいだ。
お昼時もあって、ショッピングしに来たらしき母親世代のおばちゃんらが
「何食べる~?やっぱり焼肉かしら?」と看板を見上げながら
足取り遅くノロノロと歩いている。
私は腹ペコ限界指数がMAXになりそうだったので
半ばおばちゃんらを突き飛ばし気味に’鳳雛チムタク’を目指す。
大久保駅から10分ほどしてようやく到着。
看板が見えた。どうやらビルの2階のよう。
知っていれば入るけれど、知らないとなかなか入りづらいかも・・・。
丁度お昼時だったけれど、祝日のせいか?2階のせいか?
お客さんは男性が一人きりだった。
私は大久保通りが見える窓際の席に通された。
店内に流れる琴の音のような?古風なBGMとお店の雰囲気がマッチしてて
なかなか感じのよいお店だった。
先に居た男性はなにやらひーひーいいながらなんかのチゲ定食を食べている。
’う、そんなに辛いのかしら・・・’
やや待たされてようやくスンドゥブチゲ定食が登場~!じゃーん。
チゲが真っ赤でしかもグツグツと煮立っている。
とにかく、最初に口にするのはスープだ。
一口すする・・・辛いというよりはいろんなエキスが混ざり合った濃厚な味。
ほぅ~、ウチのナンちゃってキムチなべとは全然違う。
美味しいよ~スープ・・・ベリーグッ!じゃなくて、チョンマルマシッソヨ、だね。
でも、だんだん辛さがこみ上げてきてご飯なしじゃ飲めない程に。
そうだ、よくドラマで見かけるようにチゲにご飯を入れちゃえ!
と、ご飯の半分をブッ込む。やや辛さ半減。
先客アジシ(おじさん)がひーひー言ってたの、よくわかった。
辛くて、心臓がドキドキしてきて、しかも息遣いを間違えて
唐辛子の辛さを喉に引っ掛けたものだから、さぁ大変。
咳き込んでしまって口に入れたのを噴出しそうになった。
こ、ここで噴出しては大和魂が・・・いや大和撫子が廃る。
なんとか制覇しなくては・・・腹減りも手伝ってかガツガツとかきこんだ。
チゲの熱が奪われ始めると辛さも半減し普通に食べれるようになった・・・
そのことにはもう残りも少なかった。
初めて使うチョッカラ(韓国箸)とスッカラ(韓国スプーン)はちょっと感激。
これが、割り箸とれんげだったらまた違う味のように感じるんだよね、きっと。
とにかく、テーブルの上に出されたものは全て喰い尽した。
テーブルの上にあったボトルに入ったお茶も全部だ!!(それほど辛かった)
今は開店記念でメニューが30%OFFということで960円のセットが672円であった。
店を出てやや方針状態で大久保通りを歩き出す私。
美味しさを味わった!という感激と完食した!という達成感で
大久保通りを方針状態で新大久保を目指し歩き出した私であった。






