富山酵素風呂 麻蓬 &マクロビオティック料理教室 麻蓬食堂

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)を営みつつ、
マクロビオティック料理教室 麻蓬食堂やってます。
もう今は、どっぷり、わの舞。

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)
 10:00~17:00 (月)(火)休み。
  富山市大山北新町954-14
  完全予約制です。
   電話予約→076-483-3392
  
入浴時間は30分。前後の着替えを含めて、
1時間です。一回2000円。
  お得な回数券もございます。
  一度に二名様、ご入浴ができます。
  
◎出ました!「湯めぐりパスポート2017」

5/15より、富山県コンビニ·書店(石川県·岐阜県一部書店)で発売になりました。

この冊子を持参いただくと、
(1人一冊)半額になります。
2000円→1000円

ただ、前回、土日に殺到して
むろやんがおおわらわとなりましたので、
平日 (水)(木)(金)のみのご利用分のみと
させていただきます。

(土)(日)(祝)は使えませんのでご了承くださいませ。

10/31までが有効期限です。

テーマ:
お盆、という時期を、死者、見えないものたちと共に過ごしている。




昔、四国善通寺で暮らしていた時があって、誰にも使われていない男性寮の一室に一人住んでいたことがある。

四国というのは「死国」というだけあって、おおよその家には霊が多いという。

酔狂かもしれないが僕はその頃、ドラえもんよろしく押し入れで寝起きしていて、夜中3時頃だ。

気配を感じて押し入れの襖を内側からそっと開けると、居間の長机に10人くらいの着物姿の婆さまたちがずらっと座っていて、何やら作業をしていた。お数珠だか、造花だかを手元で繰っている。

婆さまたちに「あんたーも、早く手伝え!」と叱られて、慌てて押し入れから出て作業を手伝ったのだが、夢かうつつか、分からない。

学生寮の賄いの仕事をしてて、かなり疲れがきている時だった。この世とあの世のあわいにいたのだろうか。

今ここに僕たちがいて、ここには見えないけれど、死んだ方々も一緒に暮らしているのは間違いない。




先日の富山まつり。



八尾おわら風の盆の踊りも少し出るので、飛び入りで踊ってきた。




おわらは男性と女性と踊りが違っていて、僕はいつも男踊りですが、
これも下方、上方45度に手を差しのべる型が多い。

この時にやはり、上方に腕を上げる時、肩を上から押さえられたような風に、首のまわりに空間を作るのだ、と気がついた。

長く踊っている方でも、そうしている人としてない人といて、やはり肩をしっかり落としつつ、両腕を45度にあげている方がうまく言えないけど「そう。」な感じがする。

背中に、ちゃんと持っている。
今までの歴史や人々を背負いつつ、
踊っている感じです。

本当の、死者と共に盆踊りを踊っている人と、そうでない人と。

一瞬一瞬を大事に活きるというのは、死者の延長線上に自分がある、
おかせられている、ということ、
それを自覚して生きているか?

自問自答しつつ、生きているか?

やはり、数十分踊るだけで、
ここまで伝えられる「盆踊り」、
それに気づかせてくださるわの舞はすごい、と思う。

おわらは人間の頭でこねくって創ったものなので、そう伝統的なものではありませんが、それでも端々に伝えられるものがあります。

翌日は高岡の踊りを。






東大阪枚岡、新大阪でのわの舞かまちゃん講習。




小さい頃から大好きな故郷の岐阜の踊りには、郡上踊りの他にもう一つあって、それが白鳥で行われる白鳥踊り、その中でもわの舞に近い、「拝殿踊り」を講習で踊ることができた。今年拝殿踊り行けないので、わの舞の仲間と踊れるのはほんとうにナイス。手は使わず、足さばきのみの渋い踊り。

初めて踊ったというのに、やはり血が甦ってきて、たぎってきて、しまいには実際のお祭りの場にいるような錯覚に陥った。軽くトランス状態。

手は後ろに組んだまま。やはり、背後に祖先を背負う。

かまちゃんの話を聞いているうちに、先日の60代富山女性とのやり取りを思い出した。

僕「これ、何に使うんでしょう?」
ごちゃごちゃした所。整理したかった。
でもその女性。毅然と、
「わかりません。でも、それは私が来た時から、そこにあった。だから、そのまま置いておくのが一番いいと、思います」

うわ、これが保守的な富山気質か!とその時は衝撃を受けたのだけど、
かまちゃんの話を聞いているうちに、見方が変わってきた。

その女性のうちには、たくさんの祖先が息づいている。




北陸、中でも富山は保守的、閉鎖的と言われるんだが、それはこの彼女のような、動かぬ山のような、「元から在るものは、動かさないのが基本」という考え方。

そのおかげで、連面と昔の文化が廃れることなく保たれている。

常に新しいものを取り入れるのをよしとする関西からは考えられない、真反対の考え方だけれども、

日本人としてコアを保っているのはどちらだろう。




さて、今回、すばらしい出逢いもあった。

Tさんだ。わの舞仲間。初めて会った。

これでも人生の岐路に立ったような悩みを抱えて、気持ちを整えるべく今回の2日連続かまちゃん受講に臨んだ。

この中で出会った。

講習後、思わぬ形で意気投合して、「メディスン・カード」という占いを受けることができた。

メディスン・カードというのも初めて。インディアンの、なにか動物をモチーフにしたカード。

カードをひくに従って、いくつかあった悩みはすべて解き明かされてゆく。

中でも、かねてよりの、自分の土台、自分ははたして男なのか、女なのか?

それに決着をつけてくれた。

僕は、「両性」だ、と。どちらつかず、中途半端なのではなく。

僕の男性性を表す右手は「ふくろう」を選んだ。




女性性を表す左手は「おおかみ」を引いた。



ふくろうの冷静な観察眼、おおかみの、人に教え導く役割。
男性性のいいところ、女性性のいいところを合わせ持った存在だった。

性は、グラデーション。その時々で様々に変わる、と聞いて、また、長野にいる、かわいい女性だけど、「僕」でやっている人のことも聞いて、一気に楽になった。解放された。

手放したとたん、決めたとたん、判ったとたん、全身の何億何兆の細胞は、ざざっと音を立てて回れ右をする。そのベクトルを向く。

多分、顔つきも変わったと思う。

今回のブログ、「僕」と言う一人称で書いているのはそういう訳だ。これまでも度々そうしてきたけど、今回はもう、確信に満ちて。


わの舞で時々、今日もそうだったけど、男性、女性で分けられる時があって、その時やはりどうしてもひっかかる。足は男側にとどまろうとする。

ひっかかる僕は、わの舞的にダメなのかもしれない、と思っていた。

わの舞を始めた頃、女性性を、と再び軽くメイクもするようになっていたのが、今日はもうメイクをしなかった。
その、楽なこと!

しかも、「女」したい時は、してもいいんだ。別に自分に都合よくしている訳じゃない。ちょっとは女な時の自分もいていいのだ。

そして、アセクシュアル。無性愛。「恋愛」のできない自分は、何かブロックがかかっている訳ではない。「恋愛」は、僕の人生の課題ではない。

自分の思う、男女、肉体を超えた魂のふれあいを、Tさんは理解できる方だった。

ふっきれたお陰で、2日目のわの舞講習では今まで以上に集中できた。





僕の背後には、数えきれないほどの縁者、どちら様か知らない人までついている。

小さい頃から「この子は背中に二人か三人は背負って帰ってくる」と言われてたっけ。

どなたでもいい、ウェルカム。あなたたちは、味方だ。家族だ。僕はあなた方あって生まれている。護られている。

メディスン・カードで引いた、鷲やふくろう、狼やトンボたちも、僕を護ってくれている。






トンボって、元は龍だったんだって!


イルカのカードの話も心にしみいった。

イルカは、仲間が傷ついた時、ベタベタと支えたり寄り添ったりしない。ただただ、少し前を、正しく泳いで見せるだけ。それで傷ついたイルカはリズムを取り戻し、治っていくのだと。

僕にとってのわの舞は何かを問いかけた答えがそれ。

今回も、いつも、乱れた心身を整えに行く。

人の形をしてはいない。

「場」。それも、僕を護ってくれている一つだと、思う。

だから、独りではない。

見えていればびっくりするだろう人々とともに、僕たちは生きている。

どんなに僕が、君が、独りになりたがろうが、僕たちはこの輪から外れることはない。

大いなる、「愛」の存在。



暑さは落ち着いてきた。風もどことなく秋の風だ。



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