富山酵素風呂 麻蓬 &マクロビオティック料理教室 麻蓬食堂

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)を営みつつ、
マクロビオティック料理教室 麻蓬食堂やってます。
もう今は、どっぷり、わの舞。

・富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)
 10:00~17:00 (月)(火)休み。
  富山市大山北新町954-14
  完全予約制です。電話予約→076-483-3392

  一度に二名様、ご入浴ができます。


年内の営業は28日(水)をもって最終日とさせていただきます。
新年は1月5日(木)より営業いたします。

テーマ:
明けまして、おめでとうございます。

やまの


5日に相模原の千賀先生の講習、7日に池袋でかまちゃんの講習でした。

今回、スマホのバッテリーの調子がよくなくてほとんど使えなくて、
写真撮れませんでした。

アプリで一生懸命、バッテリーの節電をする。

常に、常に、きれいにする。

この作業が、とても大事で、ありがたいものに思えました。
仕事でも毎日掃除しますが、心も、同じだと。

わの舞で結構バレエ的なことをやるので参考になるかと、
バレエの漫画も読んだりしますが、

「ダンス・ダンス・ダンスール」
これは男子バレエダンサーの成長を描いたものでおもしろいです。

ダンス・ダンス・ダンスール(1) (ビッグコミックス)/小学館
¥価格不明
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そこに「同じアンシェヌマンを1カ月繰り返す」とあって、
「アンシェヌマン」というのは一連の動きみたいなことですが、
ああ、これはわの舞だな、と。

同じ動きを、ただただ繰り返すのだけど、その中で動きを深めていく作業をする。
やたら新しい振り付けを振り付けをやっていくのではない。

淡々と同じ動きをすること。
そこに宿る、大きな意味。

「踊りって今の状態のすべてが滲みでちゃうのよぉ」

でも、わの舞、バレエとも違うのですね。
和服の舞で、「さくらさくら」などがあったりするのですけど、
これもああ、日本舞踊か、と思ったら違うのです。

昔、地唄舞と仕舞をやったことがあるのですが、
あの踊り方でやってしまったら、それは違う、わの舞でなくなるようです。

中心軸とか。

おわらを昨年身につけたら、背中のそり方など、それも自然に出てしまうようで、
バレエなど他の踊りに手を出さない方がいいみたい。私に関しては。

それにしても、地唄舞や仕舞の稽古の時は、ここまで教えていただけませんでした。
ただ、振りだけ。

でもわの舞では、教えないようでいて、
ちゃんとねじりのことまで解説してくださるところなど、
ある意味親切かもしれません。

そして、バレエでは(他のでも)揃うことが美しい、とされるようですが、
わの舞では形が整った群舞でなく、
心が先に整って、それ、それこそが美しい、と。

ひの



最近、老人施設での清掃をしている成果としても、
エネルギーの扱い方が分かってきました。

だって、周りは老人だらけですから、自然と。
元気いっぱいの自分をそのまま持ち込んだら、
おじいちゃんおばあちゃん、負けてしまいます。

今まではありあまるエネルギーをコントロールすることもなく
そのまま振り回していたんだな、と。
それでケガする人もいたんだな、と。
去年9月のトラブルは、それも一因あったと思う。

エネルギーをおさめたり、その場から回収したりするようになりました。

それだけ、大人になった、人間らしくなれた。
膨大なエネルギーを内に秘める身としては、
これは身につけるべき素養の一つでした。

微細なエネルギーの感じ方、発し方、コントロールのしかたが分かってくると、
その辺りの空間が喜びに満ちた、フリー(無料)の空間だということが
分かります。

かまちゃんの7日の講習の折り、
天の舞を舞っている時、舞い終わった時、
空間から美味しいものを食べているような気がしました。
自分たちで作った空間での自給自足エネルギーのようで。

しかも、これも太陽や空気、唾液と同じく、フリーである、と。
大事なものはどんな人にもフリーである、
フリーなものであるかどうかが見分けの一つでしたが、
空間もそうだった。


女性真ん中で正座、周り男性が天の舞を舞ってくださる、というのもあって、
いかな私でも、本当に嬉しい、幸せに感じるものでした。
エネルギーを身に浴びる。

この時ばかりは、男と女と、
人間が2つに分かれててよかったな、と思いました。
2つあって、それぞれが極になっているから、エネルギーが生まれる。



今週、富山は大雪になります。

東京での背中に受けた太陽の光と温かさを思い出します。

かまちゃんの舞う姿は、深い海の底から仰ぎ見るようです。
これは他の踊りでは出てこない。わの舞に見られる姿だと思う。

深海から、海面の太陽を拝むような。
浅瀬からだと、別にどうにもならない。

仰ぎ見るということは、
暗闇から、
泥から、希求する気持ち。
それが舞を美しくしている。

仰ぎ見るということは、深さがそこには、ある。

敬う、ということ。

己と、すべての対象への尊敬、敬愛の気持ちを本当に感じているかどうか。
天と己の間の深い隔たりと、
それと同時に包まれている有り難さを感じているかどうか。
それが、敬う、ということ。

漫然と夜を過ごすのと、
夜空の星の想いを知るのと

漫然と歩くのと、
足下の葉っぱの細部の美しさに心揺さぶられるのと、
そのまなざしの深さは違う。

そこに思い至らないと、踊りは浅いまま。

蓮の花が美しいのは、泥から生まれているから。
きれいな水から咲く蓮の花は、汚れ苦しみを知らないから、
そんなに美しく咲かない、香りも弱いそうです。

バラも、桜も、寒さを厳しい寒さの中で育つものはかぐわしく、
透明に、鮮やかに咲くという。

寒さの中で、私は太陽の温かさを乞うて、手をのばそう。



朝日新聞の「折々の言葉」から、わの舞に通じてそうな言葉。

間違いを「あり」にする方法が好きなんです。
 キオ・グリフィス


ジャズトランペット奏者のマイルス・デイヴィスは、
ピアニストがうっかり間違ったコードを弾いたとき、
それを責めずに、そのコード変更に合わせ別の旋律を紡いでいった。



個性的な作品を作りたいと思う作者は個性の弱い人です。
 山田洋次

個性的であるとは、競争をたくましく勝ち抜いて目立つことではない。
か弱く傷つきやすい人たちをあらゆる暴力からかばい、
その命を深く愛おしみ、守り抜くところに、
人の個性とその強靭さがおのずと表れると映画監督は言う。


力は釣り合いが崩れると、弱い所へ弱い所へと集中しますからな。
 西岡常一

木には強いのもあれば弱いものもある。それを削ってまっすぐに見せるのは、
きれいかもしれないが後でかならず無理がくる、と。


Happy  New  Ears
 英語の語呂合わせ

今年こそ耳の人になろう。長く圧し殺されてきた声、出かけては呑み込まれた声、
ぼそっと漏らされた短すぎる声、恐る恐る絞り出されたくぐもった声、今にも途切れそうな声。それらにじっと耳を傾けられる人に。
「聡明」には耳がある。「省庁(廳ちょう)」にも。
そこは天の声、民の語を聴く場所だった。その声を最もよく聴く人が「聖」。
天声人語(vox populi vox dei)は
「民の聲は神の聲」という意味。


私には聞き取れる能力はないけど、「聴く」ことは可能だと思う。
己のエネルギーを小さくして。
「聖」なる舞を舞うのならば、己に課します。
何もない空間に、ただ研ぎ澄まして。


今年も、よろしくお願いいたします。


はつの





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