富山酵素風呂 麻蓬 &マクロビオティック料理教室 麻蓬食堂

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)を営みつつ、
マクロビオティック料理教室 麻蓬食堂やってます。
もう今は、どっぷり、わの舞。

・富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)
 10:00~17:00 (月)(火)休み。
  富山市大山北新町954-14
  完全予約制です。電話予約→076-483-3392

  一度に二名様、ご入浴ができます。


年内の営業は28日(水)をもって最終日とさせていただきます。
新年は1月5日(木)より営業いたします。

テーマ:
12月。

木の影


一昨日ぐらいに、やっと大音響の耳鳴りがやや落ち着いてきました。
それまでの右の鼓膜を
音でもって叩いて延ばされるような感じがなくなってきた。

肩からふっと力が抜ける瞬間も出てきました。

補聴器通しての人工的な音であっても、
外界の音を耳がキャッチできているという今の状態、ありがたいのだな、と
しみじみ思えました。

以前なら「補聴器を通しての人工的な音をかろうじて拾っている」、
そんな風に思っていましたが、

補聴器越しであっても。
わずかに変な音であっても、
「外界の音」を
「自分の耳」が
「キャッチできている」ということに。

これは今回の気づきの一つですね。


わの舞では節目を大事にしていて、しかも当日ではなく
その日に向けての期間を大事にしています。

今から、冬至に向けて。感謝を。

イチョウ


断捨離もはかどっています。
内面が成長したからか、手放せる。執着、と分かる。脱皮ですね。
そのものを手放すことで、それに象徴される己の中の執着も手放せるので、
分かりやすい作業です。
耳鳴りでわの舞の練習ができないでいるけど、
自分の内面を見つめ直し、シンプルにしていけている。

自分の中の「モノ」が少ないと、磨きやすくなります。


昨日「偶然」にも、昔わの舞がバレエの舞台で公演された
その日にちと場所を知ることができました。

かごめ


ネットのブログ発見。


2013年。兵庫県立芸術文化センターでした!

チラシ3

(チラシ画像は明石むらのブログから)

西宮の実家から車で10分のところ。

ここで、わの舞が。あの、ホームページにある動画は、実家の近くだったのか!

ここ、私が結婚する前は建設中で、
結婚して富山に行った年にオープンになった施設です。行き違いに。

ここのホールでは勅使河原三郎やシルヴィ・ギエムも公演したそうなんだけど、
せっかく実家近くのホールなのにまだここで何も観てないです。

いやー、なんと。
2013年ってまだわの舞知らない時だったんだけど、
まあ、なんてことだー!

●わの舞 明石むらブログ 「バレエ わの世界」
http://wanomaiakashi135.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

明石むらはもうやっていないようですが、
陽子さんなど、今年淡路の講習で知った方々のお名前も。
こんなにいきいき活動してたんだ。


動画はこちらから見られます。

●わの舞公式ホームページ
http://chiga.jimdo.com/

取り巻いているバレエの人たちの動きは「わの舞」ではないのであしからず。
真ん中の4人の男性の踊り手が、わの舞の人たちです。

そして同時に演じられたのが「ロミオとジュリエット」だという。
わの舞の方もちょっと出演されたそうで。
「ロミオとジュリエット」、私もバンコクで2000年に上演しました。


冬の日


昨日は朔日(ついたち)参り。瀧社。
氏神が、瀬織津姫、という珍しいところに住めています。
瀬織津姫は、マグダラのマリア様、ね。

世の中は、男性原理(陽)と女性原理(陰)、ふたつの要素からできています。
これは、「男らしさ、女らしさ」というような
「男」と「女」の性別を意味するのではなくて
もっと根本的な、宇宙の原理のことです。
男と女、陽子と電子、N極とS極、太陽と月、
肉体と精神、光と闇。

すべての物事は、
陰(女性原理)
陽(男性原理)
ふたつの要素から構成されているということです。

この陰陽の分類は、絶対的(常に固定)のものではありません。
「何を中心に置くか」
「どの軸で2つの対象を選ぶか」によって、配役が変わります。

(中略)

神社参拝とは、神様と人間の交流です。
「神と人間」という軸で見た場合には、
神 =女性原理
人間=男性原理
という構図になります。

男女問わず、神様と向き合うときは神様が女性役で、
人間は男性役になるのです。

だから、神社の境内というのは、
よく女性(母親)の胎内に例えられます。
鳥居が女性器にあたり、「参道」は「産道」です。

鳥居


その奥の本殿(お宮)は、子宮。
社をおおう森は、陰毛。

黒い木


お賽銭箱の前でガラガラ鳴らす鈴の紐は、へその緒。

瀧社


誕生の合図となる「陣痛」は「神通(力)」と同じ言霊です。

神社参拝は、男女が契りを交わすように
神と人が一つになる「まぐわい」です。

その前には、人間(男性)は御手水で、穢れを祓い、参道(産道)へ入っていきます。
参拝の時に降る雨は、その道を潤わせて神様(女性)がお迎えしている合図なのです。

(中略)

一緒に過ごした女性が心の底から安心感で包まれたら、
その場所こそが斎庭(ゆにわ=神様が降りる場所)です。

   
      (ゆにわ塾 川嶋政輝 11月26日 より)

最近受け取った「ゆにわ塾」のメルマガが、
わの舞の心持ちに役に立ちそうなので、所々紹介させていただきます。

これは私の感じたことですので、わの舞がこういうもの、と
限定するものではないのでそのつもりでお読みくださればありがたいです。
抜粋・要約しています。


(私たちの師・北極老人は、)祈る時間も、それ以外も、区別のない方です。

日々のどのシーンを切り抜いても
祈りと行動が、分け隔てないような生き方をされています。

「すべての言葉を、祝詞のように奏でなさい」

もちろん、神棚の前や太陽を拝みながらお祈りをする時間も必要。
特に祈りが板につくまでは、
朝起きた時、何かを始める前、祈りを習慣化することで
何事に対しても姿勢が変わる。

祈りで自分と神様を結ぶことで、
平凡な一日、単なる作業、ではなくなる。
ありふれた日常が、神話の1ページになるような感覚。

しかし究極は、祈っている時と、そうでない時の境目をなくすこと。

誰かと話す時は、その方の幸せを祈りながら。
「いただきます」の言葉も、神様に届けるつもりで。

そういう過ごし方をしていくと、
何かに護られているような気持ちになったりする。

日頃から神様と結ばれていることを感じながら、生きる。




わの舞でいう45度に心を向けて生きる、ですね。

また、



集団で参拝する時、自分の枠を超えるような願いをもって参拝。
神様に、惚れてもらう。
そう思わせるような姿勢を見せる。
「自分は未熟」と思うことはない、だからこそみんなで。
互いに熱い気持ちを高め合い、大きな火の玉のようになって参拝する。
そうすれば、普段は降りてこない神様が降りてくる。
つまり、その日、その時にしか味わえない空気
(空間)に変化する。

その空気
(空間)は、すごく繊細。
自分自身の心がざわついていたらなかなか感じられないもの。

目で見たり、耳で聞いたりする情報よりも空気
(空間)の中には、
遥かに濃い情報が込められています。

空気
(空間)の中には、その場で積み重ねられてきた歴史が詰まっています。

どんな想いを発したか?
どんな言葉が交わされたか?
それらが全部、空気
(空間)となって残ります。

もし、そこにいる人が毎日、変わり映えもなく
ただ漫然と過ごしていたら、
空気
(空間)ものっぺりとして、密度が薄くなります。

人の想念が、場を作ります。
場に神様が宿れば、どんな場所でも斎庭(ゆにわ)になるのです。

みんなが見ている時だけ取り繕ったりしても
「空気」を見れば一目瞭然。
場の空気は正直だからです。

日々、祈り、人の幸せを願う言葉は、
誰に褒められなくても、認められなくても
濃密な空気となって場に充満します。

 ・
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空気、をわの舞で使われる「空間」、に置き換えてみました。

集団参拝、はみんなでわの舞を舞う時。

舞う時もその振り一挙一投足が祈りであるように、と言われますが、
その舞っている時だけではなくて。日々の所作に祈りを。

空間が何よりの情報、とか。

わの舞が、作られてから年々、精度があがっていると聞きますが、
来年、さらに精度が上がりそうですね。

今回の耳鳴りで得られる感性でもって臨みます。

身が引き締まります。


涼し気なガラス細工は灼熱の工房で作る。苦こそ美を生む
(東京都)上田 結香



黒い木の





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