Google翻訳恐るべし&追悼ジョン・シュローダー  | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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FACEBOOKのタイムラインに海外の音楽ニュースをアップすることが多いのですが、今までその内容を理解するのに、Yahoo翻訳を使って日本語に訳し、意味が通じない部分を改めて辞書などで調べてとやっていました。ただ元々の翻訳文がほとんど日本語になっていない場合が多くて、ほとんどマニュアルで訳してっていう感じでした。

ちょっと前にGoogleの翻訳機能がAIを使って飛躍的に進化したという記事を見て早速ためしてみました。確かにこれは今までのフリー翻訳機能と比べるとかなりの優れものの気がします。

例として本日サイト「udiscover music」にアップされていた英国のプロデューサー、ジョン・シュローダーの訃報記事で試してみますね。



記事の前半はこんな感じです。

>British record producer, songwriter and executive John Schroeder passed away on 31 January at the age of 82, after a long fight with cancer. In a long and varied career stretching back to the late 1950s, he played significant roles in the early development of UK artists ranging from Helen Shapiro to Status Quo, and in the formative story of the Motown label in the British market.

Schroeder, born in London in 1935, joined EMI Records in 1957 as an assistant to Norrie Paramor, the A&R manager of the Columbia label. There, he worked on records by such artists as Cliff Richard and the Shadows, Frank Ifield, Tommy Bruce and Helen Shapiro. She was just 15 when she raced to No. 1 in the UK with 'Walkin' Back To Happiness,' co-written by Schroeder and Mike Hawker. He co-wrote several more singles for Shapiro including the further hits 'Don't Treat Me Like A Child,' 'You Don't Know' and 'Little Miss Lonely.'

これをまずはYahoo翻訳で訳してみます。




ガンにかかった長い戦いの後、イギリスの記録生産者、ソングライターと重役にふさわしいジョン・シュローダーは82才で1月31日に他界しました。 1950年代後半へ戻って続いている長くて様々な職歴には、彼は、現状に、そして、英国の市場のモータウン・レーベルの形成的な物語でヘレン・シャピロから変動している英国アーティストの初期の成長で、重要な役割を演じました。
シュローダー(1935年にロンドンに持って行かれる)は、Norrie Paramor(コロンビア・ラベルのA&Rマネージャ)のアシスタントとして、1957年にEMI Recordsに加わりました。 そこでは、彼はクリフ・リチャードと影(フランクIfield、トミー・ブルースとヘレン・シャピロ)のようなアーティストによって、記録に取り組みました。 シュローダーとマイク・ホーカーによって共同書かれて、幸せへ『Walkin』で英国でNo.1に競争したとき、彼女は15だけでした』。 彼は、『私を子供のように扱わないでください』という更なるヒットを含むシャピロのために、もう数人のシングルに共同手紙を書きました、『あなたは、知りません』、そして、『孤独なほとんど失敗でない』。


次にGoogle翻訳。





英国のレコード・プロデューサー、ソングライター、エグゼクティブ・ジョン・シュローダーは、癌との長い戦いの末、82歳で1月31日に亡くなりました。 1950年代後半にかけて長きにわたり様々なキャリアを持ち、ヘレン・シャピロからステイタス・クオに至る英国のアーティストの早期育成、英国市場でのMotownレーベルの創造的なストーリーで重要な役割を果たしました。

1935年にロンドンで生まれたSchroederは、1957年にコロンビアレーベルのA&RマネージャーNorrie Paramorの助手としてEMI Recordsに入社しました。 そこでは、クリフ・リチャードとシャドウ、フランク・イップフィールド、トミー・ブルース、ヘレン・シャピロなどのアーティストによるレコードを手掛けました。 彼女はシュロダーとマイク・ホーカーの共著「ウォーキング・バック・トゥ・ハピネス」で英国で1位にレースしたばかりの15歳だった。 彼は、「子供のようにはやめてはいけない」、「あなたは知らない」、そして「リトル・ミス・ロンリー」といったヒット曲を含め、Shapiroのシングルをさらに数曲も作った。



いかがでしょうか?冒頭からして全然違いますよね。

Yahoo翻訳は「ガンにかかった長い戦いの後、イギリスの記録生産者、ソングライターと重役にふさわしいジョン・シュローダーは82才で1月31日に他界しました。」

Google翻訳では「英国のレコード・プロデューサー、ソングライター、エグゼクティブ・ジョン・シュローダーは、癌との長い戦いの末、82歳で1月31日に亡くなりました。」

レコード・プロデュサーがYahooでは記録生産者となっていて何のことか分からないし、文章として圧倒的にGoogleの方がこなれている気がします。

個人名や曲名がヘンなのは致し方ないことなのですが、それを除くとGoogleの方はほぼ意味が通じる訳になっている気がします。気になるといえば「彼女はシュロダーとマイク・ホーカーの共著「ウォーキング・バック・トゥ・ハピネス」で英国で1位にレースしたばかりの15歳だった。」ってとこで音楽なので「共作」となるところが「共著」となっていることと、「「ウォーキン・バック・トゥ・ハピネス」で1位争いをしたとき彼女はほんの15歳だった」というのがうまく訳しきれていないことくらいじゃないでしょうか。

まぁ、それすらYahooでは「シュローダーとマイク・ホーカーによって共同書かれて、幸せへ『Walkin』で英国でNo.1に競争したとき、彼女は15だけでした』。」ってほとんど意味の分からないものですから、それに比べればかなりましですよね。

Googleの方は誤っていると思われる部分を修正して送信できる機能がついているので、おそらくはそれをもとにAIが学習しよりこなれた翻訳になっていくということなのでしょうね、いやはやAI恐るべし、おっさんにはついていけない世界です。





ということでGoogle翻訳の紹介はここまでで、例文として使ってしまったのですが、ジョン・シュローダーがガンで亡くなりました82歳。訳文にもあったようにEMIのプロデューサーとしてヘレン・シャピロのヒットを生み出したり、スティタス・クォーのデビュー・シングルをしたりと英国では有名なプロデューサーなのです。しかし英国ロックに対する一番の貢献はひょっとしたら61年にインディーズのオリーオール・レコードのA&Rに就任した時にモータウン・レコードと契約してシングルを中心にモータウンの楽曲を英国に紹介したことじゃないでしょうか。シュローダーの目利きがなければモッズの音楽趣味は違ってたかも知れず、ザ・フーやジャムが「ヒート・ウェイヴ」演ることも無かったかもしれません・・・っていうのは神のみぞ知るですが。




ジョン・シュロダーへ追悼の意をこめて。