鳥肌音楽 Chicken Skin Music

WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.


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昨日(1月30日)ジェファーソン・エアプレイン~ジェファーソン・スターシップのオリジナル・メンバーであるポール・カントナーの逝去を知り、過去のエントリーの中からエアプレインがビートルズのルーフトップ・コンサートよりも前にビルの屋上での演奏を行っていたというエントリ(2011年12月15日「UP ON THE ROOF」)をフェイスブックにアップしました。その後でネットを検索していたらローリングストーン誌のウエッブで「Beatles' Famous Rooftop Concert: 15 Things You Didn't Know」という記事にヒットしました。1月30日は当のルーフトップ・コンサートが行われた日だったんですね、なんというシンクロニシティ。「あなたの知らない15の事実」知っていることもなかにはありますがが、知らなかったことも多く、へぇそうだったのと。

久しくブログの更新もしていないので、リハビリ的にローリングストーンの記事を抄訳してみました。みなさんはいくつご存知だったでしょうか?

■元記事はこちら→Beatles' Famous Rooftop Concert: 15 Things You Didn't Know





「ビートルズの有名なルーフトップ・コンサート:あなたの知らない15の事実」


バンド結成当時のロックンロールに立ち戻ろうという「ゲット・バック」プロジェクトは、解散の危機にあったバンドの関係を回復させてくれるはずでした。セッションの模様は撮影されドキュメンタリー映画にもなる予定でしたが、このプロジェクトはかえってバンドの仲を悪化させてしまいます。なんとかアルバムと映画を完成させようとしたビートルズはアップル本社屋上でのライヴ(通称:ルーフトップ・コンサート)を思いつき、2年半ぶりに人前で生演奏を行います。アルバムと映画は1970年の5月に彼らの”白鳥の歌”『レット・イット・ビー』として発表されました。

ここではルーフトップ・コンサートについてあまり知られていない15の事実を紹介したいと思います。



1 当初、演奏場所は古代の円形劇場や豪華客船の上や砂漠などが考えられていた

ビートルズにはクライマックスのライヴをどこでやるかということについて多くの(かってな)アイデアを持っていました。ロンドンのパラディアムやラウンドハウスといった具体的なものからサハラ砂漠やギザのピラミッドの前、クィーン・エリザベスの甲板といった頭をひねりたくなる場所まで。中にはチュニジアにある2000年前のローマ帝国の円形劇場なんていうのもあり実際にロケハンまで送りました。

しかしながら、どれも決定には至らず、メンバーの情熱も醒めてきたのかよりシンプルで身近な案が考えだされます。ビリー・プレストンによれば「アップル本社の屋上」という案を考えたのはジョン・レノンとなりますが、リンゼイ・ホッグは自分のアイデアだったと言いはり、他のメンバーはリンゴが考えたと主張します。奇抜なアイデアのようでしたが実際は妥協の賜物でした。

器材の重さに床が抜けないよう厚板が用意された屋上に向かう階段の踊り場にビートルズは待機していました。彼らは怖気づいていました。映画を監督したリンゼイホッグによれば「ジョージはやりたくないっていうし、リンゴはやる意味があるのかと言い出した」そうですがジョンの一言で屋上へ飛び出します「くそったれ、さぁやっつけようぜ」。

2 数週間早くニューヨークでジェファーソン・エアプレインが屋上での演奏を行っていた



ビートルズは音楽史の中で多くの”初めて”を行ってきました、しかし大都市の屋上で無許可のコンサートをすることについてビートルズは初めてではありませんでした。ジェファーソン・エアプレインが1968年12月7日にスカイラー・ホテルの屋上に上がり「ハロー、ニューヨーク、起きなよ、くそったれ!自由な音楽!最高の歌!自由な愛!」と叫びニューヨークを驚かせていました。無許可のためニューヨーク警察に演奏を中止されてしまいます。演奏できたのはたった一曲、「プーネイル・コーナーの家」の激しいバージョンだけでした。バンドは素直に演奏をやめましたが友人で俳優のリップ・トンは抵抗したためパトカーに連れ込まれました。

このゲリラ・ライヴはジャン・リック・ゴダールによって撮影され、彼の「ワンAM」プロジェクトの一部に組み込まれました。エアプレインの一件にビートルズが直截的に影響されたかどうかは分かりませんが、ビートルズが知っていたことはほぼ間違いないようです。

3 映画はオーソン・ウェルズの隠し子によって監督された

直近の「ヘイ・ジュード」や「レボルーション」のプロモーション・ヴィデオでビートルズと一緒に仕事をしたという理由でゲット・バック・プロジェクトの撮影はアメリカの映画監督リンゼイ・ホッグに任されました。彼はあらゆる角度から決定的瞬間を撮るために多くのカメラを手配し、撮影隊を隣のビルやアップルの受付にも送り出しました、もちろん屋上にも5台のカメラが設置されていました。その結果フィルムは歴史上最も伝説的なコンサートのひとつとなりました。

彼の才能は彼の血筋によるものかもしれません。2011年の自伝でリンゼイ・ホッグは自分は名監督/俳優のオーソン・ウェルズの一人息子であることを明かしています。彼の母で女優のジェラルディーン・フィッツジェラルドは公式にはウェルズとのうわさを否定していますが、友人であるグロリア・バンダーベルトには真実を語ったとされています。ウェルズの長女もリンゼイ・ホッグの主張を支持してDNA鑑定も行われましたが彼が隠し子である決定的な結果は得られなかったようです。

4 ジョン・レノンとリンゴ・スターは女もののコートを着ていた

ロンドンのウェストエンドのビルの上は寒風が吹きすさぶ凍えるような寒さでした。おまけに霧の予報のため撮影用のヘリは飛べず、いまにも雨が降り出しそうなお天気。野外演奏するようなコンディションではありませんでした。「手が冷えすぎてコードが押さえられない」レノンが歌の間につぶやきました、アップルの役員ケン・マンスフィールドはジョージ・ハリソンがいつでも指先を温められるように火のついたタバコを持ち続けなければなりませんでした。冬の寒さを防ぐためにレノンは(時々そうしていたように)ヨーコ・オノの毛皮のコートを借りていました。リンゴ・スターも奥さんであるモーリンの赤いレインコートを着ていました。

5 マイクは女性用のパンティ・ストッキングにくるまれていた

スタジオ用の精密なマイクにあたる突風によっておこるノイズはドラムやギター・アンプの音の録音の障害となりました。ノイズを解消するためマイクには簡易的なシールドが必要となり、(後にピンク・フロイドの仕事で有名になる)エンジニアのアラン・パーソンズは、その朝、女性用のパンストを買いに行きました。「僕はデパートに入りこう言った”パンストを3足くれないか、サイズはなんでもいいから”店員は僕のことを銀行強盗か女装趣味と思っただろうね」

6 2年ぶりの生演奏だった。

ビートルズ最後のコンサートとして有名なルーフ・トップは彼らの2年ぶりの生演奏でもありました。「愛こそはすべて」や「ヘイ・ジュード」などでTVスタジオの聴衆の前で生演奏はしていましたが、録音されたバック・トラックにより演奏は補強されていました。ルーフ・トップは正真正銘の生演奏で、最後のツアーの最終日となった、1966年8月29日のサンフランシスコはキャンドル・スティック・パーク公演以来のものとなりました。そして彼らはこの演奏でステージ上での決まり事を破っていました。レノンが中央に立ちハリソンが彼の左側に立ったのでした。

7 ジョージ・ハリソンのギターは初めて使われたタイプだった



ハリソンがルーフトップで弾いたテレキャスターは彼のためにロジャー・ロスマイシルとフィリップ・キュービックという職人が作ったカスタム・モデルで、フェンダーから贈られたものでした。フェンダーはすべてローズウッドのギターを新発売しようとしていて、宣伝のためにプロトタイプをビートルズに贈りました。丹精込めて作られたギターは手荷物として機内持ち込みで空輸されアップル本部で手渡しされました。

宣伝のために贈られたギターながらビートルズがどのように使用するかまでは知らなかった職人のキュービックは映画「レット・イtット・ビー」を観に行き、自分の作ったギターがスクリーンで大写しになるのを見て「感動のあまり椅子から落ちそうになったよ」と回想しています。

8 ジョン・レノンは歌詞を忘れないようカンペを用意させた

ジョン・レノンはいつだって歌詞について問題をかかえていました。ポール・マッカートニーは彼らが出会った1957年、レノンがデル・バイキングスの「カム・ゴー・ウィズ・ミー」をステージでしばしばアドリブで適当に歌うのを見たことがあったといいます。「ディグ・ア・ポニー」の歌詞が覚えられないレノンのが映画用にちゃんと歌えるようにビートルズはアップルのアシスタントであるケビン・ハリントンに跪いてカメラに映らないようにして歌詞カードをかかげてくれるように依頼しました。それにもかかわらずレノンは記憶に残るヘマをやらかします。「ドント・レット・ミーダウン」で”And only reese we got the blootchy-koo."とやってしまったのです。

9 「ワン・アフター・909」は最も初期のレノン=マッカートニー作品のひとつだった



「アイ・コール・ユア・ネーム」「消えた恋」と並んで「ワン・アフター・909」はレノン=マッカートニーが共作しオリジナル・アルバムに収録された楽曲の中で最も初期に作られたもののひとつです。レノンは17歳の時にこの曲を書き、新しく友達になったポール・マッカートニーに少しだけ助けてもらったと主張しています。「たいした曲じゃないよ」後年マッカートニは回想します「だけど、とても大好きな曲なんだ、僕にとってはブルージーな貨物列車の歌にジョンと一緒に挑戦した歌だからさ」と。

バンドは「ワン・アフター・909」のオリジナル・バージョンを1963年5月の「フロム・ミー・トゥ・ユー」のセッション中に録音しました。このバージョンはお蔵入りとなってしまいますが、6年後の「ゲット・バック/レット・イット・ビー」プロジェクトで、最初は冗談で演奏されています。ルーフトップ・コンサートでのライヴ・バージョンによって「ワン・アフター・909」という曲はようやく公式音源としてラスト・アルバムで世に出たのでした。


10 その日ルーフトップでは演奏された曲が他にもあった

映画「レット・イット・ビー」では最終的に21分間のコンサートが記録されています。しかし実際の演奏は倍の長さでした。42分間のセットでビートルズは「ワン・アフター・909」を1回、「ドント・レット・ミーダウン」「ディグ・ア・ポニー」「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」を2回ずつ、「ゲット・バック」を3回、そして様々な、イギリス民謡「ダニー・ボーイ」の一部など、を含む断片的な歌を演奏しました。

これらに加え後に『アビーロード』に収録される「アイ・ウォント・ユー」の数小節、アーヴィン・バーリンの「美しい娘はメロディに似て」からのメロディなど。これらのぶっつけ本番の演奏の中で最も完奏に近かったのがインストゥルメンタル版の「女王陛下万歳」で、アラン・パーソンズがテープを交換する間に演奏されました。これらはお遊び程度のもので公式音源としての発表はまったく考えられませんでした。

11 警察の対応は思ったほどひどくはなかった



ビートルズ伝説ではロンドン警察は60年代のロックにおける最も歴史的な瞬間を無理やり中止させた典型的なブルー・ミーニーズ(イエロー・サブマリンの青鬼)として描かれています。はたしてそれは事実なのでしょうか。

ウェスト・エンド中央警察署はサヴィルロウの27番地、アップル本社からわずかのところにあります。警察署でも通りに鳴り響くうるさいロック・ミュ-ジックは聞こえたにちがいありません。窓はガタガタいい、床は揺れ、交通渋滞によるクラクションが鳴り響いていましたから。その気があれば、最初の曲を終わる前に警官が駆けつけ演奏を止めることもできたはずです。にもかかわらず警察は42分間にわたりコンサートが続けられるまで放っておきました。周囲の会社から騒音をなんとかしろという苦情が届きだして初めて動き出しています。

その後も、すぐに排除はせず警告を与えています。アップル社の社員の発言では「踏み込む前にサヴィルロウ警察署から電話がありこう言われました”10分だけ待つ”」と。「それで、我々は警察がやってくることを知り、みんな用意ができていました・・・。警官がビルに踏み込んだ時、合唱のようにトイレの水の流れる音がしていました」。危機は避けられました。

12 セットリストは予定より長くされたのかも知れない。

コンサートは警官たちによって中断されたため、ファンは、もしビートルズが演奏を続けていたら他にどんな曲を演奏したかという推論が数10年にわたり交わされてきました。一部の眼光鋭いロック研究者はアップル屋上に置かれたが、使われなかった楽器に注目しました。もう一台のキーボード、ラップスティール・ギターそしてマッカートニーが弾くであろうアコースティック・ギター用と思われるマイク。「トゥ・オブ・アス」のようなフォーキーな歌は歌われたでしょうか。マッカートニーは「レット・イット・ビー」「ロング・アンド・ワイディング・ロード」のようなピアノによるバラッドは歌ったのでしょうか。レノンは「フォー・ユー・ブルー」でハリソンがその日はじめて、そして唯一のボーカルをとる時のためにラップ・スティール・ギターを置かせたのでしょうか。

答えは闇の中です。何人かのファンはハリソンは自分の曲はやらないように求めたといいます。また他の人たちは風が強かったので静かな曲は録音が困難だったのだろうといいます。しかしもし他に曲が予定されていたとしたなら、いくつかの曲を繰り返し演奏するというのはありえなかったのではないかとも思われます。ではなぜ予備の楽器が置かれていたのか。おそらくは器材を屋上に上げるように指示されたローディたちは、その辺の器材をとにかくまとめて運んでしまったのではないのか。セットリストはいまだ見つかっていません。

13 ビリー・プレストンはビートルズの共演者として唯一公式クレジットされた

1962年のリトル・リチャードのツアーに同行して以来の友人であるビリー・プレストンはゲット・バック/レット・イット・ビー・プロジェクトにおけるMVPといえます。バンドの関係は悪化しハリソンは脱退を宣言しスタジオを後にしました。頭を冷やすためレイ・チャールズのコンサートに行ったハリソンはオルガンを演奏するプレストンと再会します。ハリソンはプレストンを連れてスタジオに戻りメンバーたちとジャムを行いました。プレストンの温厚な性格はバンドの緊張を和らげ、キーボードの演奏は陰鬱なセッションに刺激を与えました。

プレストンの音楽的ひらめきがバンドにいかに貢献したかは、アルバム『レット・イット・ビー』を聴けばわかります。レノンをしてバンドの正式メンバーにと言わせたほどで、まさに第5のビートルズと言えました。「馬鹿げてるよ、4人で十分だ」とマッカートニーなら言うでしょう。それでも彼の貢献度はシングルとして発表された「ゲット・バック」で証明されています。そこには”ザ・ビートルズとビリー・プレストン”というアーチスト名が記されていました。オフィシャル盤でビートルズ以外の名前がクレジットされるのはこれが初めてのことでした。

プレストンはその夏にはビートルズとともに『アビー・ロード』の録音に参加し「アイ・ウォント・ユー」「サムシング」でキーボードを弾いています。


14 ルーフトップ・コンサートの跡地は今アバクロンビー&フィッチになっている。

ビートルズはアップル・コープの本社としてサヴィルロウ3番地のビルを1968年に買いました。地下にスタジオを建設し、ゲット・バック/レット・イット・ビー・セッションの後半で使用されました。ハリー・ニルソン、バッドフィンガー、マーク・ボランといった人たちが1976年にビルが売却されるまでに録音を行いました。2012年にアバクロンビー&フィッチに購入されるまでビルの持ち主は何度も変わりましたが現在は建物の一階はアバクロンビー&フィッチ子供服売り場になっています。


15 ビートルズのラスト・アルバムの最後の音

『アビーロード』が4人によって最後にレコーディングされたアルバムではありますが、1970年5月に最後のアルバムとして発売されたのは『レット・イット・ビー』でした。それはバンドの解散が世界中の新聞の見出しになった数週間後のことでした。黒い縁どりのジャケットは葬式を思わせ、ファンは60年代を象徴した4人からの最後のお別れのメッセージを感じました。

最後の曲「ゲット・バック」の演奏が終わった後ジョン・レノンの声が聞こえてきます。「我々グループ全員を代表してお礼を申し上げます。オーディションに受かってるといいんですが」。それはルーフトップ・ショウの終わりを告げる控えめな発言で、デビュー前に多くのオーディションで落とされたことを自虐的なジョークにしたものでした。それは誰もが経験したことのない大成功にたする謙虚な言葉であり、はからずもビートルズの完璧な墓碑銘となりました。






PS.15番目の事実としても書かれていますが『レット・イット・ビー』の最後、つまりはビートルズの最後はジョン・レノンのジョークとともに締めくくられます。

"I'd like to say thank you on behalf of the group and ourselves, and I hope we passed the audition."

ジョンのこの言葉はデビュー前に何度かオーディションを落とされた経験を自虐的なジョークにしたものなのですが、この言葉こそ「ゲット・バック」という、自分たちのルーツに立ち戻ろうというプロジェクトにふさわしい素晴らしいジョークであると言えます。この言葉によって僕たちは「ラヴ・ミー・ドゥ」のビートルズに引き戻されてしまう。終わりと始まりがひとつの輪となってつながる、そうしてビートルズは永遠になる。

だから、スペクターの入れたオーケストラがどうのこうのじゃなくって曲間のおしゃべりをすべてカットしてしまった『ネイキッド』はビートルズのアルバムとしては、どうなんだろうねぇと思ってしまいます。




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