昨日書いたアーサー・リーのことや
ビリー・プレストン、アリフ・マーディン、シド・バレットといった人達のことを書いていて
また身近におこった出来事なんかもあり
最近「死」について時々考えることがある
無意識のうちに村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」なんて本を読んでしまっていたりするのもそのせいかも
村上 春樹 神の子どもたちはみな踊る
そういえば村上春樹の小説には必ず「死」があるような気がします
処女作の「風の歌を聴け」からして
村上 春樹 風の歌を聴け
学校の裏の林で首をくくった彼女
手術の成功する確率が新人投手が巨人を相手にノーヒットノーランをするくらいに低い難病の少年
(今の巨人だったら確率はかなりたかいかもしれません)
小指のない女の娘は子供を堕ろし ハートフィールドはビルから飛び降りる
鼠にしたって「羊をめぐる冒険」では幽霊としてあらわれている
「死」の匂いがするからこそ 「僕」にこんなことを言わせている
鼠の小説には優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。
放って置いても人は死ぬし、女と寝る。
そういうものだ。
村上春樹にとっては「死」も「セックス」とおなじくらい自然なことなのだろうか やれやれ
閑話休題
「死」について考えることは「生」について考えることにもなる
(ちなみに僕の名前には「生」の字がつけられている
この名前をつけてくれた親父に僕は感謝している)
そんなわけで最近この歌を聴き直しています
Laura Nyro The First Songs
ぼくは死ぬことなんて怖くない
ほんとさ どうってことない
死の中に 平和があるのなら
その時が早く来てほしい
死の中に 静けさがあるのなら
死ぬ時がきたら
ぼくのひつぎをしっかり括ってほしい
冷たい道程だから
ぼくが死ぬ時
ぼくが逝ってしまう時
一人の子供が生まれる
そうして世界は廻っていく
ぼくにはいっぱいの悩みがある
井戸のように深い悩みが
天国なんてないことを知っている
地獄もないことを ぼくは祈る
生きてる間は けっして知ることはない
死が教えてくれるのさ
ぼくが死ぬ時
ぼくが逝ってしまう時
一人の子供が生まれる
そうして世界は廻っていく
自由をください
ぼくが生きているあいだはずっと
生きることに望むのは
鎖につながれるのはまっぴらってこと
生きることに望むのは
鎖につながれるのはまっぴらってこと
死に求めることは
自然でありたいということ
悪魔につきそわれた死なんてごめんだ
悪魔につきそわれた死なんてごめんだ
不安な気持ちで死ぬのはごめんだ
自然に逝かせておくれ
ぼくが死ぬ時
ぼくが逝ってしまう時
一人の子供が生まれる
そうして世界は廻っていく AND WHEN I DIE by Laura Nyro
今日も誰かが逝き 誰かが生まれている
8月10日に生まれた命が 自由で自然に生きられますように
今日の僕は祈ります
そして明日も・・・


