9月15日、民進党代表に蓮舫議員が選ばれた。
 14日法務省は、「台湾の出身者に中国の法律を適用していない」とする見解を発表。さらに「国籍法違反に当たる可能性」に言及した。これから、針のむしろになることは間違いない。
 二重国籍問題が発覚した後の言動を過去の記事と比較した。(下記リンク)なかには、過去の記事について記者が書き換えたという発言もあり、蓮舫議員が、その時限りの方便を語る方であることが分かり、またその言動で、台湾の方や、日本の関係者を傷つけてきた。誰かが捏造したと言えない、蓮舫著「一番じゃなきゃダメですか?」の国籍問題に関わるところを抜き書きで紹介する。

 

要旨
(言語能力)
 子どもの頃は、兄弟とも台湾では台湾語を使用していた。蓮舫議員が中学2年の夏休み、単独で台湾に「帰って」いる。この時、空港で台湾語、中国語(北京語)、英語のアナウンスがあったが聞き取れなかった。27歳のとき語学留学で北京に行った時は、中国語を一から勉強した。この時ほとんど台湾語も忘れていた。

 

 週刊朝日(2010年8月6日)によれば、2004年、台湾の親戚と台湾語と北京語で会話したとされているから、台湾語を忘れていたわけではない。(下記リンク)。

(1985年1月21日17歳の時、父親と台北駐日経済文化代表処に国籍喪失の手続きに行った際、父親と代表処の職員が台湾語で話していたので分からなかったと述べているが、ある程度の会話能力があり、父親や職員から手続きの声明を受けていたはず。)

 

(パスポートの認識)
 中学2年の単独訪台で、台湾パスポートを使用していたことが書かれているが、高校時代のことは書かれていない。高校時代も夏休みとか何らかの行事で訪台していたはず。パスポートの問題は熟知していたのでは?
 2000年と2004年の総統選挙取材で使用したパスポートは?

 

(他人との付き合い方)
 相手がどう思うと言いたいことを言った方が勝ち。そうした環境が心地良く感じました、と。(現在の気性につながる)

 

(台湾の政治的背景)
 本省人と外省人の区別歴史的背景は理解している。

 2000年、2004年総統選挙の取材で訪台

 

蓮舫著「一番じゃなきゃダメですか?」 PHP研究所 (2010/6/17)
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-77964-5

 

「蓮舫さんの台湾語能力と中学2年の一人旅とパスポート」
(日本国籍を取得したのは高校2年であるから中2で使用したのは台湾(中華民国)のパスポート)

(54頁)
私にとっての台湾
(略)
 父謝哲信は戦後、大学で勉強するために日本に来ましたが、父の生まれたときにはすでに台湾は日本の一部で、父もネオティブな日本語を話していました。
 やがて、母斉藤桂子と結婚して、私と兄と弟の3人の子ども達をもうけ、3人の子ども達を日本語を母語として育てました。
(略)
(55頁)
 だから、海外に出て台湾人として生きていくという選択肢をこの子たちはしないだろう、という前提で、日本語を母語として日本語だけで育ててもらった。大学まで苦労しないで進めるように青山学院に入れるという学校選択も、同じ発想だと思います。
 ただし、私は台湾に行くときはいつも、「台湾に帰る」、と表現していました。日本人ではありますが、もう一方で台湾人であることに誇りを持っていたからです。
 父は台湾バナナの輸入会社を経営していたので、一年のほとんどを台湾で過ごしていました。母も父について台湾に行っていたため、東京の家には母方のおばあちゃんと私たち兄弟だけ、というのが日常でした、
(略)
(56頁)
 そこで、小学校が夏休みになると私たち兄弟3人はずっと台湾にいるんです。ホテルに2ヶ月ぐらい。でも私にとって、台湾での生活は日本にいるのと同じ感覚でした。 
 台湾といっても、いつも台北か高雄に長期滞在で、いろんなところを観光して回るわけではありません。泊まるホテルも毎回、園山大飯店です。台北では麒麟楼という旧館に、父と母の部屋と私たち子どもの部屋をつなげて宿泊。高雄の園山大飯店では、部屋まで決まっています。
(略)
 朝食をホテルのビュッフェで食べたら、プールへ直行。父と母は、朝食後には会議に行ったりバナナ畑を視察に行ったりして、夕方まで帰ってこないいんです。だから、その間はプールの監視員に私たちの面倒を見るようにアルバイトで頼んで、監視員が見ている下で私たち子どもはずっとプールで遊んでいました。
 プールの監視員の方とは、台湾語と日本語で話をしていました。最初はもちろん日本語だけしかしゃべれず、監視員のお兄さんたちも片言の日本語で応えてくれていましたが、そのうちに私たちが台湾語を話せるようになっていたので、そうなったらもう台湾語でやりとりします。
(58頁)
 両親の帰りが遅い時には、監視員のおじさんの家まで連れて行ってもらって、そこでその家の子どもたちと将棋を指したりしていました。
(略)
 言葉も、そうやって子ども同士の遊びの中から覚えていったんです。
 ・・・といっても、私自身で台湾語をしゃべっていたという記憶はありません。「しゃべっていた」と父と母がいっていたので、だったらそうなんだ、と。日本に帰ってきたら台湾語は一切家庭の中でも使いませんし、台湾に帰ったときだけ、なぜだかとても自然に台湾の言葉が出てきていたそうです。
(略)
(59頁)
 中学2年の時のことです。たまあま兄も弟も部活で台湾に行けず、かといって子どもが誰もいないとイヤだということで、両親から「蓮舫一人で台湾に来なさい」、と言われました。
(略)
 その時は高雄に「一人」で、羽田-台北の国際線から、台北-高雄の「国内」線に乗り継がなくてはいけない。
 いつもは父や母と一緒だったりするのでついて行けばいい存在だったのが、今回は私「一人」。トランジットのアナウンスは、英語と台湾語と中国語。台湾語は久しく使っていない、中国語はまったくわからない、英語は・・・。
 で、まったくわからなくずっと座っていたら、チャイナエアラインの案内係の男性がトランシーバーで叫びながら走ってきて、
 「さっきから呼び出しているのはおまえじゃないか?」
 と言って、
 「パスポートを見せろ!」
 見せたら、すごく怒られた。
(以下略)

 

「中国留学」
(94頁)
嘲笑に見送られた北京留学
(略)
 留学した理由のひとつには、亡くなった父との約束だった、・・・
(略)
(95頁)
 フリーのキャスターがいつまで生きて入れるか。それを考えたら、可能性はそう明るくないと。何か特殊性とか専門性、スキルがないとメディアで仕事をし続けるのは難しいだろうなと、ほとんど直感的に思って、自分ができることは経済や経営の知識でも法律でもない。それに詳しくなるよりも、語学だろう。ならば、英語よりも中国語だ、と考えたんです。
 もともと台湾からやってきたルーツがあるので、もう一つの母国語を習うというのは自分にとってもすごく自然だし、可能性も広がると思って、それで中国留学を決めました。
(96頁)
 もう一つの母国語といっても、小さいときに台湾語をしゃべっていただけで、もう覚えてはいませんし、大学の第二外国語で中国語を履修しただけで、ニイハオ、シェイシェイぐらい。
(略)

 

「蓮舫議員の対人関係の考え方」
(101~103頁)
言わなければ負け
(略)
 どこの国の学生でも、特に中国人はそうですが、ほとんどけんか腰で得やり合います。あまりにストレートにものをいって、イエス・ノーを迫ったりするので、一緒にいた夫がよく中に割って入っていました。
「そこまでいわなくても・・・」
と友人達もいいましたが、バカじゃないのと思いました。いわなければ負けるんです。相手が傷つこうがどうしようが、自己主張というのはそんなもので、それでわかり合えばいいし。わかり合えなければそれっきりでいいわけです。
 ですから、中国に留学して得た最大のものは、
「私は私のままでいいんだ」
という自信でした。国際的な場所において、自己主張をしない、日和る、黙っている、これらがいかに損するは。それがよくわかったし、私にとってはそうした環境が心地良く感じました。
(以下省略)

 

「2000年と2004年の台湾訪問は取材活動。本省人と外省人の認識」
(137~139頁)
台湾にみる民主主義の誕生
 台湾の総統選挙も思い出深い取材です。
 2000年と2004年の選挙を取材に行きましたが、2000年3月18日、民進党の陳水扁さんが国民党の連戦さんを破り、選挙によって選ばれた初めての総統になりました。
(略)
 私は台湾に2週間いて取材をしました。
(略)
 台湾の人は、ものもとの住人である「本省人」と、戦後中国大陸から渡ってきた「外省人」に分けられます。外省人は、辛亥革命で清朝を倒した国民党の人たちが主で、1945年の日中戦争終結のあと、中国共産党との間の内戦に敗れて、台湾に来た人たちなのです。それ以来、台湾の政治は国民党の一党独裁でした。
 ですから、もともとの台湾人である本省人にとって、ある意味で外から押しつけられた国民党という政党によって、いろんな自由を制限された中で生活をしていた。だから、政治に対する不信感のようなものがもともと根強いところでしたが、李登輝さんが総統になって、これまでの「国民党の党首=台湾の総統」というシステムから、国民の有権者による選挙によって総統を選出するように政治改革をしました。台湾の民主化です。
(略)

 

(143頁)
 (2004年の総統選挙の)取材に出発する直前、民主党の仙石由人さんと手塚仁雄さんから、政治家への転身を考えてほしいとオファーをいただいたからです。


二重国籍問題が発覚した後の言動と過去の記事との比較
http://ameblo.jp/study-houkoku/entry-12197946780.html

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