弟が亡くなって4か月経ちます。



今日 駅でシニア世代の夫婦をお見かけしました。



JR千葉駅というのは、ターミナル駅で、さらにいま全駅工事中なので、複雑極まりない。混雑もすごいのです。



それでも若い人ならなんでもないのですが、ご高齢の方は、どうやって切符やスイカを買うのか、何番ホームから乗ればいいのか、。


それを教えてくれる駅員さんはどこにいるのか、、、、電車に乗るだけでもさぞ大変だろうと思います。



若い人でないと電車に乗れない国ってどうなんだろうという、政治への怒りは常にありますが、それはさておき。


お見かけしたそのご夫婦は、小さなお2人で寄り添って一生懸命、路線図を見上げていました。




スイカ持っているんだろうか。


自販機で切符を買うのは大変だよ


高齢の方に、切符の買い方を聞かれたことあるし。



「何方面はどのホーム」というのも、ほとんど脈絡ないよ。こんな混雑している中、たどりつけるんだろうか。




そうしてそのご夫婦の姿を見たら、ふいに自分の両親を重なって、ああ、そうか、こんな年になってから、ひとり息子を亡くしてしまったんだなと。



そうしたら、涙が止まらなくなってしまいました。



私の両親は、いわゆる田舎の夫婦ではないし、より添って町の片隅で、、というタイプではないけれど、それでも年を取って、小さくなってしまった。



そんな年になって、ある日、あなたたちのひとり息子とお別れしてくださいと言われたんだな。、と。私だって、たった一人の弟が、もういないんですよといわれても、なかなか実感がもてません。



ふだん一緒に暮らしていなかっただけに、いなくなり方があまりに突然だと、そうそう「永遠の不在」に慣れることができないですね。


長期の出張にでも行っているようなのですが、飾られた写真と花を見て、ああ本当にいないんだなと、頭で理解するのです。



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それでも時間を経るごとに少しずつ、パックリあいた傷がかさぶたになってくるもの。もともと気の合わない父と私のいざかい (笑) も、絶賛再開です(;^ω^)



そういう中で、ふとしたこと、予期してないときに突然、涙がこぼれたり感情的になる。そういう初めての経験に、他人事のようにビックリしています、




ところで弟が亡くなった直後に、クリスチャンの母の友人から詩が届きました。


この詩によって、どれだけ家族の気持ちが救われたかしれません。この世からいなくなったことはさみしいけど、それでも、あらゆる点から考えて、やはり恵まれているなあと思うのです。



「天に一人を増しぬ」


セラ・ゲラルデナ・ストック作
植村正久訳


家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり

愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき

 さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ

全うせられしもの一人を


家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ

行くを送る言葉 一つ消え失せぬ

別るることの絶えてなき浜辺に

一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ


家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず

内に入れば空きし席を見るも涙なり

 さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ

天に一人を増しぬ


家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽いて

歩みもしどろに 目も暗し

 さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ

天に一人を増しぬ


 げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて

 キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること

 いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん

 かしここそ家なれ また天なれ


地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり

旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり

 さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を

天の家に増しぬ


天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん

感謝 讃美の題目 更に加はり

吾らの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環

さらに一つの環を加へられしなり


家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に

一人も失はるることなかるべき家に

主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を

我らすべてにも与えたまえ