ぬいま、子どもとともに実家にいるのですが、
父や母が息子に接するときにアレ?と思うことがあるんですね。
(彼等の関係なので指摘はしません。)

その一つが、
『泣いたらあかんよ。』
と言う事なのです。

表現は色々。
『泣いたらもう遊んであげないよ。』
『泣くならもう食べなくていい。』
『泣くならもうやめよう。』
とか。
ありとあらゆる方法を使って、泣かないよう、泣き止むよう、コントロールしようとしています。


わたしは昔から泣く事が悪い事だと思わないので、

息子にはいつも「別に泣いてもいいよ。」
と言ってしまうのです。
「イヤイヤって一杯言ったらいいよ。」
とも言います。
(そこまで聞き分けない感じになることは一度もないですが。)



だから両親の上に書いた態度に毎回違和感を感じていて。
なんだろうな、と悶々としていました。



この藤本さきこさんの書いている記事を読んでピンときました。

ここに煩悩の怒りについて、自分自身に向いたものだと書かれていました。

〜一部抜粋〜

「迷いの思考(エネルギー)」を指していたんです。

これが「怒り」だったんです。

常に自分を痛めつけるその「思考」が「怒り」だったんです。


勝手にリブログさせていただきましたが、
煩悩の怒りについて書かれている内容が、
本当に的を得ていて分かりやすいので、読んで欲しいです。


分かりました。
両親が息子に泣いたらいけないと伝えるという行為、

泣かないように躾けたいという関心は、
子どもに向けたものではなく、
なぜ泣くか分からない不安やどうしたらいいのという迷いを持つ自分自身に向けたものなのではないか

と見えてきました。


これからは、
両親の息子に対する「泣いたらあかん。」
を見たら
自分自身に対する「焦らない焦らない。」
と言い聞かせている風に
脳内変換して観察してみようと思います。

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