1月8日(金)の夜は、パスラボの取締役でもあり、弟分でもある千歳大策氏と、佐五郎でしゃぶしゃぶを食べながら、様々な話をしていた。

とても有意義な時間が流れ、二次会に行こうか…と思っていたら、連絡が入った。

伯父危篤。
まもなくして、伯父が午後9時4分に、亡くなったとのこと。

大策氏とは、申し訳なかったが、そこで別れ、篠田病院へ。

吉村美栄子知事、知事の長男展彦、自分の弟和武、自分の従姉妹達(故人からすれば、甥と姪)が集まっていた。

その後、セレモニーホール霞城で、1月9日(土)午前0時より、枕経を上げていただく。



享年96歳(満94歳)、大往生である。

元山形市長の故吉村和夫は、故人の実弟。

東京大学出身の元弁護士の故吉村和彦は、故人の長男。

山形県知事の吉村美栄子は義娘。

山形県議会議員の吉村和武は甥。

故人の父親は、山形警察署長であり、当時は本部長制度がなかったので、実質的な県警のトップだった。
さらに、消防長も兼務していた。






昨年の夏には、まだまだ元気であったが、秋くらいから、みるみる体調が悪くなったようだ。(昨年夏のお盆休みの時に撮影)


伯父本人は、京都大学生の時、学徒出陣の代表として、壮行の辞を御所前にて述べたことは、NHKラジオで放送されたこともあり、余りにも有名である。

さらには、天皇陛下の御前で、剣道をするといった栄誉をいただく。
この、御前試合も話題となった。

山形県庁に入ってからは、自治省の事務次官から山形県知事に成られた、安孫子藤吉氏の秘書課長を皮切りに、総務部長、教育長、企業局管理者、出納帳と、山形県の三役まで上り詰めた。


本家の長として、一族の長として、立派に自分達を纏めて下さり、統率していただいた。


享年96歳、死因は老衰。

自分の父親より、約20年は長く生きて下さった。

本日の納棺、通夜の時、「お疲れ様でした。ありがとうございます。」と、言葉をかけた。

長源寺の葦原住職からいただいた戒名は、『柏翁院殿徳祥賢敏大居士』…素晴らしいと、感激した。


明日の1月11日(日)午後0時から火葬。

葬儀は、1月16日(土)午後2時から、山形セレモニーホール(鉄砲町)である。


伯父の、大黒柱としての存在は大きすぎるが、喪主の展彦、弟和武と、代わりになれるように、力を合わせて頑張って行こうと思うのである。