彼は困った時、悩んだ時、力を貸して欲しい時、必ず側にいて支えてくれる。
岩手ケーブルテレビジョン社長の笹原美喜夫氏である。
彼を知ったのは13歳の時、自分は山形市立第一中学校剣道部に在籍していた。
当時の彼は第三中学校剣道部。
当時の一中は強く、山形市の中体連では、三年連続優勝を成し遂げた強豪…と自慢もある。
自分も、山形市で個人3位だった。
父から頑張ったということで、『将棋の駒』を買ってもらった。
父と二人で買い物に行ったのは、この時一度きり。
三中は、そんなに強くはなかったが、笹原社長や藤田氏や今は亡き大場氏など、個性があり楽しい奴らがいた。
もうそれから何十年たっただろう。
ケーブルテレビ山形では、東日本大震災以降、毎日『震災関係の生放送』を当初は30分間、今は15分間やっている。
キー局の大きなニュースと違い、「どこのスーパーにはトイレットペーパーが不足していましたが、今日の午後には入荷します。」とか、「今からの仙台市行きバスは何時出発です。」など、生活に根差した情報を毎日生放送で伝えている。
彼はONAIRを、テレビにかじりついて見ていた。
「これこそケーブルテレビ局の番組だ!」と絶賛していた。
土曜日のランチは、笹原社長とStaff奥出、健、ユタカと一緒に…。
自分は、ダイエットを考えて、鳥つくねと豆腐のハンバーグを食べる。
この笹原社長の深みのある顔が、彼の人間性や人柄を表していると、弟の選挙事務所では多くの先輩方から絶賛されたのである。
選挙戦最終日の打ち上げまで、小1時間空いたので『有頂天ラーメン』を食べに行く。
彼も、自分と同じミソチャーシューを頼む。
美味い☆☆☆
岩手の社長は、「美味い☆美味い☆」と食べてくれた。
このあと、弟の最後の訴えをみとどけて、さらには翌日も開票の結果を見て、夜中に岩手に帰ったのである。
同行してきた佐藤信也部長も元気だった。
心配なのは、彼の携帯電話があまり調子良くない…地震も多いので、連絡がとれなくならないように、早く直したほうがいいと願っている。。。
岩手ケーブルテレビジョン社長の笹原美喜夫氏である。
彼を知ったのは13歳の時、自分は山形市立第一中学校剣道部に在籍していた。
当時の彼は第三中学校剣道部。
当時の一中は強く、山形市の中体連では、三年連続優勝を成し遂げた強豪…と自慢もある。
自分も、山形市で個人3位だった。
父から頑張ったということで、『将棋の駒』を買ってもらった。
父と二人で買い物に行ったのは、この時一度きり。
三中は、そんなに強くはなかったが、笹原社長や藤田氏や今は亡き大場氏など、個性があり楽しい奴らがいた。
もうそれから何十年たっただろう。
ケーブルテレビ山形では、東日本大震災以降、毎日『震災関係の生放送』を当初は30分間、今は15分間やっている。
キー局の大きなニュースと違い、「どこのスーパーにはトイレットペーパーが不足していましたが、今日の午後には入荷します。」とか、「今からの仙台市行きバスは何時出発です。」など、生活に根差した情報を毎日生放送で伝えている。
彼はONAIRを、テレビにかじりついて見ていた。
「これこそケーブルテレビ局の番組だ!」と絶賛していた。
土曜日のランチは、笹原社長とStaff奥出、健、ユタカと一緒に…。
自分は、ダイエットを考えて、鳥つくねと豆腐のハンバーグを食べる。
この笹原社長の深みのある顔が、彼の人間性や人柄を表していると、弟の選挙事務所では多くの先輩方から絶賛されたのである。
選挙戦最終日の打ち上げまで、小1時間空いたので『有頂天ラーメン』を食べに行く。
彼も、自分と同じミソチャーシューを頼む。
美味い☆☆☆
岩手の社長は、「美味い☆美味い☆」と食べてくれた。
このあと、弟の最後の訴えをみとどけて、さらには翌日も開票の結果を見て、夜中に岩手に帰ったのである。
同行してきた佐藤信也部長も元気だった。
心配なのは、彼の携帯電話があまり調子良くない…地震も多いので、連絡がとれなくならないように、早く直したほうがいいと願っている。。。